誓約書と決闘
一口ケーキを食べた姿勢のまま、ドロシーは眠りに落ちていた。
「ドロシー…どうしたの?」
クラリッサは、突然動きを止めたドロシーを不思議に思い呼びかけたが、当然彼女からの返事は無い。
「ほーっほっほっほっほー」
そんなクラリッサを見て、ジャネットが勝ち誇るかのように高笑いする。
「!?」
クラリッサは、そんなジャネットを訝しそうな目で見た。
「これで貴方を助けてくれる人はいなくなったわ」
ジャネットは勝ち誇ったように言い放った。その背後にはフレデリカも笑みを浮かべて立っていた。
「一体、どういうことなの?」
事態をまだ良く飲み込めていないクラリッサが小首をかしげ、ジャネットに問う。
「猫娘! 貴方は、私達に呼び出された自分の立場がまだ分かってないの?」
そんなクラリッサの態度に苛立ったジャネットは、立ち上がってクラリッサに詰め寄ろうとしたが、
「ジャネット様、落ち着いてください」
フレデリカは、ジャネットに落ち着くように両肩に手を添えて、彼女を座らせた。
「…クラリッサさん、当方は、貴方の使い魔の子猫と侍女の娘を預かっているのです。その意味が分かりますか?」
フレデリカは、諭すようにクラリッサに話しかけた。
「だから…早くプルートに合わせて欲しい」
しかし、クラリッサは、フレデリカの含みのある発言の意味を取り違えていた。
「あー-ーっ! もう、鈍いわね、この猫娘は。 いいかしら、こちらは使い魔の子猫と侍女の娘を人質に取ったと言うことよ!」
ジャネットは、再び立ち上がるとクラリッサに身も蓋もなく怒鳴り散らした。
「…人質…ああ、理解した。……それで貴方の望みは何なの。お金?」
ようやく状況が飲み込めたのか、クラリッサは冷めた目でジャネットとフレデリカを見る。
「ば、馬鹿にしないでよ。なぜ私がお金を要求しなきゃいけないのよ!」
当然のことながら、カーン聖王国の伯爵家次女がお金に困っているわけは無い。クラリッサの的外れな言葉に、苛立ったジャネットは、髪の毛をかきむしって絶叫した。
「…クッ、ジャネット様、落ち着いてください。猫娘の言うことに惑わされてはいけません」
フレデリカもかなり苛立っていたが、そこは年の功だろう、彼女は冷静さを欠くこと無くジャネットをなだめるように椅子に座らせた。
「お金じゃ無いとすると、貴方は何を要求するの? …まさか私の命とか…」
何故二人がそんなに苛立っているのか不思議に思いながら、クラリッサは尋ねた。
「母国…カーン聖王国なら、獣人である貴方なんか直ぐに処刑できるけど…残念ながら、このラフタール王国では、そんな当たり前の事もできないわ。…だから、私は貴方に対して、私は決闘を申し込むことにしたの」
「決闘?」
「そうです。貴方には、ジャネット様と、魔法で決闘を行ってもらいます。…貴方が、拒否することはできません。理由はお分かりでしょ?」
フレデリカは懐から決闘を申し込むための誓約書を取り出して、クラリッサの前に置いた。そこには既にジャネットの署名がなされていた。
ラフタール王国の法律では、決闘を行うには当事者双方が決闘に合意することと決められている。この合意を確認するのは、決闘を行う双方に対して中立な立場の立会人と決められている。しかし、中立な立会人を認定するのは、"至高神"や"天陽神"の神官であり、その場合そのまま神官が立会人を勤めることが多い。
ちなみに、なぜ"至高神"か"天陽神"の神官が立会人となるかだが、双方とも秩序と法を司る神だからである。
しかし、決闘の場に都合良く神官がいるかというと、予め決闘をすることを決めて置かない限りあり得ないい。そこで立会人に変わる物として誓約書という物ができたのである。
誓約書は"至高神"や"天陽神"の教会が発行する一種のマジックアイテムで、高価な物である。その機能は、誓約書に記述された内容に双方が合意したと自らの血にて署名するすることで、その内容に従うように強制力が働くというマジックアイテムである。
強制力といっても、魔法による制約や呪いほどの効力はなく、神殿でお布施を払えば破棄できる程度の物である。
ジャネット側としては、決闘に神官がいてもらっては不都合であるため、今回はこの誓約書を使うつもりで準備してあったのだ。
「…決闘をすれば、プルートとリュリュを返してくれるの?」
クラリッサが緊張した顔で尋ねると、
「はい、それはお約束します」
フレデリカはそう言って頷いた。
「…分かった」
クラリッサはそう呟くと、誓約書に書かれている内容を確認した。。
クラリッサに不利な内容が書かれていると思った誓約書だが、書かれていたのは、
(1)決闘においては、魔法のみを使用すること(直接的な接触による攻撃は禁止)
(2)相手を殺してはいけない(相手を殺してしまった場合は敗北となる)
(3)マジックアイテムの使用は禁止
(4)勝敗は、相手が敗北を宣言するか、若しくは戦闘不能(気絶)によって決まる事とする
(5)敗者は魔術学校から退学すること
であった。どう見ても、この内容通りならクラリッサが負ける要素が無い。
「…意外、真っ当な内容…というか、そっちに不利では?」
クラリッサは、本当にこの内容で良いのか、ジャネットとフレデリカに確認する。
「フフ、何を仰ってるのかしら。私が貴方に負ける要素がどこにあるのよ」
ジャネットはその薄い胸を反らして、そう言い放った。
「誓約書は決闘に勝った証拠として皆の目にさらされる物。一方的に不利な内容など記載できるわけが無いでしょう。それに、ジャネット様が貴方に負ける道理がありませんから」
フレデリカは、冷静にそう答えた。
「自信の根拠は分からないけど、この内容なら了解した。決闘を受ける」
フレデリカはまだしも、ジャネットの実力で自分に勝てるわけが無い事は、実技の時間の実力を見れば明らかである。クラリッサは一体何処から二人の自信がわいてくるのか不思議に思いながらも、人質を取られているこの状況では、決闘を受けるしか選択子は無かった。
こうやって、ジャネットとクラリッサの決闘が行われることが決まったのだった。
「あの、一体私はどうすれば?」
給仕をしていたドミニクは、この状況に付いていけず困っていた。
「ドロシー様は、小一時間もすればお目覚めになるはず。それまでに私達が戻ってくるとは思いますが、貴方は万が一ドロシー様がお目覚めになられたら、このお部屋にお引き留めするのが役目です」
おろおろする侍女のドミニクにそう言いつけると、ジャネットとフレデリカ、そしてクラリッサは部屋を出て行った。
◇
クラリッサが案内されたのは、邸の裏手にある魔法の訓練場だった。魔法学校と比べても遜色ないほどの広さの訓練場は、砂で覆われていた。
もちろんこの下には、先ほどフレデリカが描いた魔法陣が隠されているが、クラリッサにはそんなことは分からない。
「ジャネット様、準備はできております。あちらの方に…」
「分かったわ…」
フレデリカは、ジャネットに訓練場の真ん中に行くように指示をする。その指示のままジャネットは訓練場の真ん中に進んでいった。
「さぁ、ここが決闘の場よ。貴方も準備しなさい」
ジャネットは、魔法少女が持つようなバトンを取り出すと、クラリッサに呼びかけた。
「私は、こっちかな」
クラリッサは、ジャネットから十メートルほど離れた場所に立つと、彼女も杖を構える。
「では、双方ともこの誓約書に従い、正々堂々と決闘を行ってくださ…」
「ちょっと、お待ちください」
フレデリカが誓約書を掲げ、決闘の開始を宣言しようとした時、それを遮る者が邸から駆け寄ってきた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
お気に召しましたら、ご感想・お気に入りご登録・ご評価をいただけると幸いです。誤字脱字などのご指摘も随時受付中です。