邸を調査する子猫
気配察知と聞き耳で、部屋の外に誰もいないことは分かっていたが、扉を開けて廊下を覗くという行為はドキドキするものがある。
ノブをひねり扉を押すと、作りが良い扉は音をたてること無く静かに開いた。
顔を出して外の様子をうかがうと、幸いなことに廊下には誰もいなかった。
子猫が閉じ込められていた部屋は、邸でも端の方に位置していた。廊下は五メートルほど進むと、左に曲がっていた。
子猫は扉をそっと閉めて廊下に出て、曲がり角まで気配を消して歩いていく。
廊下の角からそっと顔を出して覗くと、三十メートルほどの長い廊下が確認できた。廊下の左右に部屋が三つあり、そのうち一番近い部屋の前に侍女らしき女性が立っていた。
(うーん、さすがにこのまま進んだら、見つかっちゃうよな)
廊下は見通しが良く、幾ら子猫とはいえ廊下を歩いていけば、廊下に立っている侍女に見つかってしまうだろう。
(どうする、いったん外に出てしまうか?)
廊下には窓があったので、窓枠に飛び乗って調べたが、ガラスがはめられた高価な窓は開閉する事ができないはめ殺しであった。
つまり、窓を壊さない限り外に出ることはできない。もちろん壊してしまったら、子猫が逃げ出したことがバレてしまうだろう。
(窓から外に出るのは難しいな。…ん、あんな所に良い場所が。子猫の俺なら伝っていけそうだな)
辺りを見回していた子猫は、廊下の天井付近に幅五センチほどの張り出し部分が在るのを見つけた。
張り出しは飾りのような物で、華奢な作りである。しかし廊下の端から端まで繋がっており、人間には無理だが子猫ならその張り出しを伝って移動できるように思えた。
魔法の手を伸ばして、子猫は張り出しに取り付く。
(うん、大丈夫。俺の体重なら問題なくいける)
張り出しの強度を確認し、問題ないことを確認した子猫は、廊下の上をそろそろと進んでいった。
◇
ガチャリ
張り出しを匍匐前進で進み、あと少しで侍女の上を通り過ぎようとしたところで、部屋の扉が開いた。
部屋の中からは、台車を押した侍女が出てきた。台車の上には、食器が並べられていた。
(食事の後片付けか)
子猫は張り出し部に身を潜めて、侍女達の様子を窺った。
「では、失礼します」
部屋から出てきた侍女は、そう言って台車を押して廊下の奥に進んでいった。
入れ替わりに廊下に立っている侍女が部屋の中に入り、扉を閉めようとしたとき、部屋の中からリュリュの声が聞こえてきた。
「ありがとうございます、お食事までいただいて…」
「いえ、それより何か他に必要な物はございますでしょうか?」
「あの、プルート…子猫ちゃんの具合は…」
「今お医者様が見ているとのことです。もうしばらくお待ちください…」
侍女が扉を閉めたため、聞こえたのはそこまでだった。どうやら、各部屋は防音の仕掛けがあるようで、人の気配は感じるが中の会話は聞こえてこなかった。
(リュリュはあそこに囚われているのか。…会話から察するに、一応客人として扱われているようだな)
子猫は、リュリュが監禁されて酷い目に遭っているのかと心配していたのだが、取り越し苦労だったようだ。
とりあえず、リュリュの居場所と状況が判明したので、子猫はホッとした。
(子猫の具合を悪いことにして、リュリュは足止めされているのか。…確か、あの女は「貴方のご主人様が-」とか言っていたな。となると、狙いはクラリッサか)
リュリュが目的じゃ無いとすると、拉致犯の狙いはクラリッサだということになる。
(クラリッサを狙う奴というと…彼奴しかいないよな。とにかくこの邸を探索して、確認しないと…)
子猫は更に廊下を進んで、残りの部屋を探ることにした。
廊下を進んでいくと、途中に階下に通じる大きな階段があった。階段は、玄関と繋がるホールに続いており、この邸が二階建ての建物という事が分かった。
更に廊下を進み部屋の気配を調べたところ、階段の向かいにある、一番大きそうな部屋と突き当たりを曲がった所にある、小さな部屋で人の気配を感じとった。
小さな部屋は、扉の意匠から使用人達の部屋だろうと俺は当たりをつけた。
大きな部屋に恐らく黒髪の女と、主犯がいる気がする。しかしこの邸の部屋は防音の仕掛けがあるため、決定的な証拠が得られない。
(どうにかして、部屋の中の様子を知りたいな)
子猫は張り出しの上でじっと考えた。
(こういう時のお約束は、天井裏から見るというパターンだけど…)
時代劇にありがちな天井裏から部屋の様子を窺うという方法を考えたが、あれは日本家屋だからできる事であり、それも普通は天井裏でも部屋ごとに仕切りがあって不可能だと聞いたことがある。
(でも、俺の…子猫の体ならいけるか?)
子猫は、ポケットから小太刀を取り出すと、魔法の手を使って天井の隅に小さな穴を開けた。ミスリルを芯にオリハルコン合金を使って作られた小太刀の切れ味は抜群で、子猫が通れるぐらいの小さな穴をくりぬく事に成功し、子猫は穴に潜り込み、天井裏へと侵入することに成功した。
(ほこりっぽいな~。それに、やっぱり仕切りがあるな)
屋根裏は、やはり部屋ごとに仕切りが有り早々移動できないようになっていた。
しかし、人間には無理でも子猫には小さな体と、小太刀がある。仕切りに穴を開けつつ、数分で目的の大きな部屋の上に子猫は移動することができた。
◇
部屋の人間に気付かれないように、子猫は慎重に天井に小さな穴を開けた。穴を開け終えると、部屋の中の音が途切れ途切れだが聞こえるようになった。
(部屋にいるのは、黒髪の女と…やっぱり、ジャネットか)
部屋の中には黒髪の女とジャネットがおり、何事か話し合っていた。
「フレデリカ。…いつあの猫娘はこの邸にやって…かしら?」
「先ほど…に手紙を届けさせました。もう…すれば、邸にやって来る…」
「…そう。ではあの猫娘が…来たら、手はず通りに…」
「かしこまりました。…決闘の準備に…かかります」
黒髪の女、フレデリカはそう言って部屋を出て行った。
「…くくっ。これで猫娘も…ね。ムノー神様、…猫娘に正義の裁きを…ください」
ジャネットは、そう言って手を胸の前で組んでムノー神に祈りを捧げていた。
(こいつ、この邸にクラリッサを呼び出して、決闘をするつもりか…)
途切れ途切れの会話から、ジャネットはクラリッサと決闘を行うつもりらしい事が分かった。
ラフタール王国においては、決闘とは貴族の男性が名誉をかけて行うもので、一般市民や婦女子が行うことはない。
しかし、一般市民や婦女子が行うことが無い事と、やってはいけないとはイコールでは無い。王国の法律には、決闘のルールが存在し、それに則るのであれば、誰が行っても良い事になっている。
つまり、貴族と一般市民、女性同士にによる決闘も可能ではあるのだ。
(俺が捕まっていると聞いたら、絶対にクラリッサはやって来る。まずい、このままだと、クラリッサが危ない)
普通ならクラリッサがジャネットに負ける要素は全くない。しかし子猫やリュリュが人質だと脅されれば、クラリッサが抵抗できるはずはない。
そして、ジャネットはクラリッサに恥を掻かされたと思っており、獣人に人権が無いカーン聖王国の貴族なのだ。クラリッサにどんな酷いことをするか分かった物ではない。
子猫は、どうやってこのピンチを切り抜ければ良いか、頭を抱えるのだった。
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