拉致されちゃいました
リュリュが転んだ拍子に子猫は空高く放り出されたが、そこは猫。子猫は空中で三回転して足から上手に着地した。
「みゃん」(危ないな)
「痛いよ~」
リュリュは、残念ながら盛大に転んでいた。膝の擦り傷が痛そうである。
リュリュの前に飛び出してきたのは、黒いトゥニカ(修道女が着るような服)を着た、黒髪のスレンダーな女性であった。
(先生? いや、学生の付き人かな?)
年齢は二十代半ぐらい、ローブを着ていないことから、学生や先生ではないと子猫は判断した。
「あらら、ごめんなさい。少し急いでいたの」
黒髪の女は、謝ると、「可愛い子猫ね~」と、子猫を抱き上げた。
「子猫ちゃんごめんね。怪我しなかった?」
文字通りの猫なで声で安否を確認しながら、黒髪の女は子猫の頭を撫でる。
(うぅ、何かピリピリするぞ? もしかして、この女はアデリーナの同類なのか。…いや、違う。これは魔力を手から注ぎ込んでいるんだ!)
黒髪の女が子猫の頭を撫でるたびに、魔力が注ぎ込まれていた。手から送り込まれる魔力に当てられた子猫は、意識が朦朧とする。
「あらら、猫ちゃんは調子が悪いみたいですね」
黒髪の女は、子猫を撫でながら、倒れているリュリュに近づいていった。
「貴方の方のお怪我は…。ああ大変、膝をすりむかれている。このままでは後が残ってしまいます。治療しないと…」
黒髪の女は、リュリュの足の具合を見て、大げさに驚いた。
「…で、でも今から行かなきゃいけないところが…」
リュリュは、そんな女の態度に胡散臭さを感じたのか、子猫を奪い取ろうとしたが、女はスルリとそれを躱した。
「怪我をさせた相手をそのまま行かせたとあっては、我が主に怒られてしまいます。どうか、我が主の邸で治療させてください」
黒髪の女はリュリュを立たせると、強引に手を引っ張ってどこかに連れて行こうとした。言葉通りの解釈だと、子猫とリュリュを学校の外に連れ出そうとしているのだろう。
(こいつは…もしかして…俺達を拉致するつもりなのか…)
ここに至って、俺はこの女の意図に気付いたが、既に過剰な魔力を注ぎ込まれたことで、意識を失いかけていた。
「みゃ…みゃ…」(リュリュ…逃げるん…だ)
そこまで鳴いたところで、子猫は意識を失ってしまった。
「クラリッサ先生。ここ、この部分の解釈を教えて欲しいのじゃ」
「…プルート早く迎えにきて」
「もうちょっとだけ、この魔法陣の構築についての詳細を…」
:
子猫とリュリュが拉致されようとしていた時、クラリッサはしつこく論文の説明を求めてくるトビアスに辟易しながら、迎えが来るのを待っていたのだった。
◇
(…何処だここは? これはケージの中?)
目を覚ました子猫は、自分が動物用のケージの中に閉じ込められていることに気付いた。
周りを見回すと、ケージが置かれているのは見知らぬ部屋であった。
(確かあの黒髪の女に撫でられて、意識を失ったんだよな。その後、ここに連れ込まれたのか。…リュリュはどこに?)
慌てて部屋の中を見回すが、リュリュはこの部屋にはいなかった。
(俺と別な部屋に監禁されているのか? それとも、リュリュが目的だったのか? まずいな。もしリュリュを狙っている奴らだったら…)
子猫はそんな焦燥感に囚われ、ケージを引っ掻くが、鉄でできたケージはびくともしない。逆に子猫の爪が折れてしまった。
「うみゃっ」(痛っ)
しかし、爪が折れた痛みで子猫は冷静さを取り戻した。
(落ち着け。ここで焦ってもしょうがない。まず、ここから出る方法を考えるんだ)
まず手の怪我を回復の奇跡で治して、子猫は、ここが何処なのかを知るため、部屋をじっくりと観察した。
(…どうやらここは、貴族か商人の邸のようだな)
部屋の中には豪華と言ってもよい家具や調度品が置かれていた事から、子猫は貴族の邸だと判断した。そして、家具は余り使われた様子がないことから、ここが客間だろうと判断した。
その部屋の片隅に子猫を閉じ込めたケージが置かれていた。
(ケージの方は、…頑丈な作りだな)
一体どんな獣を入れる物なのか、ケージはオール鉄製であった。ケージの扉には、南京錠の様な鍵がかけられており、子猫ではどうあがいても開けられそうにない作りであった。
(…あんな所に鍵が)
ケージから少し離れた所にある机の上に、鍵が無造作に置かれていた。
(あの距離なら届くな)
子猫が、机の上の鍵を取ろうと魔法の手を伸ばしかけたところで、いきなり部屋の扉が開けられた。
入ってきたのは、子猫を拉致した黒髪の女だった。
「あら、目が覚めたみたいね」
子猫は魔法の手が見つからなかったかとドキドキしたが、どうやら見つからなかったようだった。
黒髪の女は、ケージに近寄り中を覗き込む。子猫は「フーッ」と鳴いて威嚇した。
「子猫ちゃん、閉じ込めちゃってごめんね。…でも仕方ないの。全部貴方のご主人様が悪いのよ」
子猫の威嚇にも怯まず…いや、子猫の威嚇なんて可愛いだけだった。女は鍵で南京錠を外し扉を開けて、ミルクの入った皿をケージの中に置いた。どうやらこれが子猫の昼食らしい。
「この部屋は、魔力が漏れない様に結界が張ってあるの。だからご主人様と繋がれないから、不安かもしれないけど我慢してね。全てが終わったら、解放…いえ、私の飼い猫にしてあげるわ」
黒髪の女は、そう言って扉を閉めて再び鍵をかける。鍵は持ち去られるかと心配したが、先程と同じ机の上に置かれた。黒髪の女は、自分が見ていると子猫が食事をしないと思ったのか、小さく手を振って部屋を出て行った。
使い魔は、魔力で通信を行い、主人である魔法使いと意識や感覚を共有できる。そして、魔法使いは、使い魔を経由して魔法を使用することも可能である。
しかし魔力が遮断されているこの部屋では、使い魔は主人と通信ができないため普通の動物に成り下がってしまうのだ。
(魔力が遮断されているのか。普通の使い魔ならそれで無力化できるんだろうけど…俺には意味が無いな。それに鍵もこれでとれるし)
子猫は魔法の手を伸ばし、今度こそ机の上の鍵をゲットした。魔法の手で鍵を操作して扉を開ける。
ケージから出ようとして、俺は少し考えた。
(あの女が戻ってきて、俺がいなくなったのに気付くとまずいな。ダミーを置いておくか)
お腹のポケットから俺は小さな猫の人形みを取り出した。
(テテテテッテテーン、身代わり人形~)
何となく、魔法の手で意味も無く人形を空に掲げてしまった。
子猫が右手で人形の鼻をクリックすると、人形は膨らんで子猫にそっくりな子猫の姿になった。
この人形は、子猫が他の人の目を盗んで出歩くためにと、精霊人のアントンに作ってもらった物である。某身代わり人形のように、鼻を押すと子猫の姿になり、眠った振りをしてくれるのだ。
勿体ないが、皿のミルクはポケットから取り出した布に吸わせる。そしてケージの真ん中に人形を置けば、お腹いっぱいで眠っている子猫の完成である。
ケージの扉を閉め、鍵は机の上に戻しておく。
(さて、邸の探検といきますか)
子猫は扉をそっと開けて、部屋を抜け出した。
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