薬学での出来事(3)
「マナよ、すべての力の源よ、癒やしの力となりてこの中に…」
ジャネットが、上級回復薬作成の呪文を詠唱する。それに伴い魔力が魔法陣上の壺に集まっていくのだが、クラリッサの時と比べその魔力量は少ない。
「魔力が足りない」
「みゃっ」(うん)
クラリッサの言葉に子猫は頷く。
「…宿りたまえ~」
そして呪文の詠唱が終わり、魔力が壺に収束する。
ポンッ
小さく音を立てて、壺からは黒い煙が立ち上がった。俺達の予想通りジャネットの呪文は失敗した。
「失敗ですね…」
「うむ、失敗じゃな」
「…どうして。呪文は完璧だったはずなのに」
ジャネットは呪文に失敗したことにショックを受けていた。
(呪文の詠唱は完璧だったけど、魔力が足りなかったな)
クラリッサの詠唱を一度聞いただけで呪文をマスターしたのはすごいと思うが、ジャネットには上級回復薬作成するのに必要な魔力が足りなかった。
ジャネットは三学年の生徒の中ではダントツの才能を持っているが、制御できる魔力の総量はクラリッサに遙かに及ばない。それが上級と中級の壁である。
「ジャネットは、まだまだ精進が足りないの~」
トビアスが顎髭を撫でながらそう呟く。
「幼少の頃から魔法修行をしてきた私が…獣人風情に負けるなんて…。ありえませんわー」
ジャネットは、涙ぐむと教室を飛び出してしまった。
「ジャネットさん、お待ちなさい…」
ファミド先生がジャネットを呼び止めようとしたが、彼女は走り去っていった。
(ありゃ、ちょっとやり過ぎちゃったかな?)
俺は泣いて教室を飛び出したジャネットを見て少しやり過ぎたことに気づいた。
「にゃーにゃーなー?」(あの子はどうしてクラリッサに突っかかってくるのかな?)
「それはな、あの娘…ジャネットはカーン聖王国からの留学生だからじゃな」
子猫の呟きにトビアスが答えてくれた。
「みゃーみゃーん」(カーン聖王国って…)
「…」
カーン聖王国と聞いて、クラリッサの顔がこわばる。
カーン聖王国はラフタール王国の隣国で、極端な人間至上主義をとっている宗教国家である。そしてクラリッサの出生の地である。クラリッサの両親はカーン聖王国の貴族だったが、生まれたクラリッサが獣人だった為に国を追われてしまった。そして追っ手から逃げるために魔獣の森に入ったクラリッサの両親は魔獣に襲われて死んでしまった。
現状クラリッサの事情を知っているのは、子猫だけだ。エーリカも知らないことである。
「あの国は極端な人間至上主義だからの。ジャネットも獣人を人間扱いしておらんのじゃ。ただ魔術学校には今まで獣人はいなかったこともあっての、あまり問題にはならんかったのじゃが…」
「みゃみゃー」(そこにクラリッサが入ってきた…)
「魔法を使えないはずの獣人に魔法で負けたのはショックじゃろうな。まあ、儂としては良い薬だとは思っておる」
そう言ってトビアスは少し苦笑いした。
「にゃにゃっ」(おいおい)
そんなトビアスの態度から、子猫は今後ジャネットが別な意味で厄介な相手になることを感じとった。
◇
薬学の授業が終わるとちょうどお昼の時間となった。教室を出て各自お昼を食べに向かうことになるのだが、クラリッサと子猫は男子学生達に囲まれてしまった。
「クラリッサちゃん、僕と一緒にお昼を食べに行かないか?」
「僕、美味しいお店を知ってるんだ」
「僕の家のランチに招待したいんだけど?」
:
「クラリッサちゃん、我が家の専属魔法使いにならないか?」
「何を言ってる、クラリッサちゃんは僕が先に目を付けていたんだ。お前は引っ込んでいろ」
「僕の家は代々王家に使えている男爵家なんだ。どう、うちのお抱えの魔法使いにならない?」
最初はお昼のお誘いだったのだが、だんだんクラリッサを自分の家に引き入れようという流れになっていった。
「な゛ー」(どうしてこうなった)
「うざい」
子猫とクラリッサはそんな男子学生達に囲まれて、閉口としていた。
そんな俺達を救ってくれたのは、
「こら、あんた達! クラリッサちゃんが迷惑しているでしょ」
「クラリッサちゃんは、私たちと女子寮でお昼を食べる約束なの」
「こんな年端もいかない子を勧誘しないの」
「男子は邪魔~」
アメリア、ベッキー、チャイカ、ドリスの女子学生四人組であった。
「にゃーん」(助かった~)
「ありがとう」
四人に助けられて、俺達は女子寮に向かうことができた。
「クラリッサちゃん、後で魔法のコツを教えてね」x4
寮に向かう途中で、彼女たちに魔法のコツを教えるという約束をさせられてしまった。
◇
薬学の授業の後、トビアスは書斎でファミド先生とノーバ先生に泣きつかれていた。
「トビアス校長先生…。正直、私はクラリッサさんに薬学を教えていく自身がありません」
「うーむ、あの娘はエーリカ先生の弟子だからの~。薬学はもう教えることが無いかもしれんの。じゃがノーバ先生まで泣きついてくるとは、どういうことじゃ!」
「校長先生、クラリッサさんは魔法実技で、炎の矢と氷の矢を二重に発動させていました。これは"魔法の効果の拡大"という超高等テクニックです。生徒はおろか魔術学校の先生でもあのようなテクニックを実践できる人はおりません」
トビアスは目を瞑ると暫し考え混んでいた。
(エーリカ先生の弟子だから、それなりの実力を持っているとは思っておったが、"魔法の効果の拡大"ができるとは予想外じゃった。エーリカ先生も人が悪い。あれだけの才能を持っておるなら教えておいて貰いたいものじゃ。しかし先生はどこであのような娘を見いだして弟子にしたのやら。今度手紙でも送ってみるかの)
エーリカがクラリッサを弟子にしたのは、プルートとイチャイチャするのを邪魔するためだった。しかしそんなことはトビアスは知らない。彼はエーリカがクラリッサの素質を見いだして弟子にしたと思い込んだのだった。
「あい分かった。クラリッサ嬢は魔法実技と薬学に関しては授業を免除としよう。その授業の間は儂が彼女を預かることにする」
ファミド先生とノーバ先生は「ふぅ~」と安堵のため息を付いた。
◇
「ジャネット様、いったいどうされたのですか?」
「良いの!どいて」
薬学の授業を飛び出したジャネットは、魔術学校の外にある屋敷に戻っていた。出迎えた使用人を突き飛ばすようにして退かせると、彼女は自室に駆け込んだ。
「どうして、どうして、私があんな獣人の娘に負けなければいけないの! そんなことあり得ないわ」
そうして、一頻り部屋の中で家具や枕に当たり散らしたジャネットは、そのままベッドに倒れ込んだ。
「ジャネット様?」
「誰?…フレデリカ。今は一人にしておいて」
ジャネットは部屋に入ってきた黒髪の女性…フレデリカを一瞥すると、またベッドに突っ伏した。フレデリカは、ジャネットの付き人兼護衛であり、魔法の先生でもある。
異国の地にあって、ジャネットが最も心を許す存在であった。
「学校で何があったのですか?」
「…フレデリカ。獣人は人より劣った存在、そうムノー神様が決められたのよね」
「…その通りでございます。どうしてそのような当たり前のことをお聞きになるのですか?」
「今日学校で…」
ジャネットは魔術学校で起きたことをフレデリカに話し始めた。
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