王都への旅:夜襲と誘拐
野営地に乱入してきたのは、岩頭猪という全長五メートル、全高三メートルの巨大な猪の魔獣であった。
本来なら森の奥で群れを作って生活しており単独でこんな場所に出現しない魔獣である。
突然の乱入に見張りの冒険者達は慌てて仲間を起こしていた。
「それじゃ遅いんだよ!」
ゴランはケイロに皆を起こすように言うと単身岩頭猪に向かっていった。ゴランは中級の上クラスの冒険者だが、単身で岩頭猪に立ち向かって勝つのは難しいだろう。子猫は彼のサポートをするため荷馬車から飛び降りた。
野営地に乱入してきた岩頭猪は、荷馬車の一台に突進するとそれをひっくり返した。護衛の冒険者が岩頭猪に斬りかかるが、彼らの腕では岩頭猪の分厚い毛皮に阻まれて致命傷を与えるのは難しいようだ。
「おら、猪野郎、オメーの相手はこっちだ。」
ゴランがブロードソードを振りかぶって斬りつけると岩頭猪から苦悶の鳴き声が上がった。倒した荷馬車を蹂躙していた岩頭猪は、自分を傷つけたゴランを睨みつけると、鼻先をしゃくり上げるようにして巨大な牙で彼を攻撃した。
「にゃっ」
子猫が叫んだが、ゴランはその牙による攻撃をラウンドシールドで受け流して鼻先に再度ブロードソードを叩き込んだ。体重が五トン近くある魔獣の攻撃をあの小さなラウンドシールドで受け流す技術は、さすが中級の上クラスということなのだろう。
このままゴランに任せておいても倒しそうな気配だが、辺りの被害が大きくなりそうなので、子猫は魔法で援護をすることにした。
子猫は影踏みの魔法を唱えると、焚き火の明かりに揺らめく岩頭猪の影を踏みつけた。
「ん?」
突然動きが止まった岩頭猪にゴランは驚いたようだが、それで攻撃を躊躇することもなくこれ幸いにと急所に一撃を加える。深々とブロードソードが岩頭猪の体に突き刺さり心臓を切り裂くと、苦悶の鳴き声を弱々しく上げて魔獣は倒れた。
(俺が動きを止めていたとはいえ一撃か、凄い力だな。それともあれが活性化ってやつか?)
魔力による身体の活性化で身体機能を向上させる技術は、クラスが上の冒険者になれば必須の技術と言われている。逆にそうでもしないと普通の人間が体の大きな魔獣と戦って勝てるわけがない。
子猫は踏んでいた影からそっと足を外して立ち去る。ゴランはそんな子猫を睨んでいたようだが、素知らぬふりで「ニャーン」と鳴いて荷馬車の方に向かった。
トルネの商隊の野営地では、ケイロが起こしたのかベーズとツェッタ、アマネ、クラリッサが馬車の周りで警戒していた。岩頭猪が単体で行動することは普通はないので、別な岩頭猪が襲ってこないか警戒しているのだろう。
「プルート」
クラリッサが子猫を見つけると駆け寄って来た。子猫は、ゴランが岩頭猪を倒したことをクラリッサに耳打ちして皆に伝えてもらった。
岩頭猪が倒された辺りではゴランが冒険者に囲まれていた。冒険者達に単独で岩頭猪を倒して凄いとか言われているのだろうが、ゴランは子猫が手伝った事を気付いているのか渋い顔をしている。
荷馬車をひっくり返された商人は青ざめた顔をしていた。商人が運んでいたのは主に食糧だったのだがそれを岩頭猪に荒らされてしまったのだ。幸い荷馬車は修理すれば動かせるようになりそうだが、それに載せる荷物が無いのでは意味が無い。
「こいつを持っていけば良いんじゃねえか?」
ゴランはその商人に倒した岩頭猪を指さした。
「えっ、それは貴方が倒した物で…」
「こんな大物、何処にも持って行けないしな。毛皮を剥ぐのも面倒だ。全部あんたにやるよ。」
「助かりますが、お代は…私にはそれほど手持ちが…。」
「捨ててくつもりだったんだから、いらねーって。」
そう言ってゴランはその場を立ち去った。
冒険者はお金に意地汚いと思われがちなのだが、ゴランはお金より名声重視で困った人を助ける事の方を取ることが多い。今回はどうせ捨てていく物だし、アマネやボリスがいるので人助けを優先したのだ。
「ゴランは、ええかっこしいなんだよ。」
アマネは判っていたようで、後で子猫にゴランがそう言った人柄であることを教えてくれた。
別な岩頭猪が襲ってくる気配もなく、野営地は襲撃の興奮も収まり静かになっていった。倒された岩頭猪は解体され、毛皮と肉になっていく。
毛皮はゴランが一突きで殺したこともあり損傷が少なく、かなりの高値で売れそうで、もらった商人は大喜びであった。肉の方は大量にあるので、一番美味しい部分を除いて野営地に居た商人と旅人が好きなだけ持って行って良いことになった。トルネもかなりの肉の塊を入手して空いていた食糧の樽に一生懸命詰めていた。
「クラリッサさん、この樽に腐敗防止魔法をお願いできませんでしょうか。」
クラリッサが肉の詰まった樽に腐敗防止魔法をかけていたが、そんな光景を見ていた子猫はあることに気がついた。
(リュリュがいない?)
慌ててリュリュが寝ているはずの荷馬車に向かったが、そこに彼女は居なかった。夕方に魔法を使いすぎて寝てしまっていたのでケイロも彼女を起こさないようにしたのだろうが、これだけ野営地が騒がしかったのだ、リュリュは起きてきても不思議じゃないはずだ。
子猫は野営地を見渡せる木に登って辺りを見渡すが、リュリュは野営地に居なかった。
「にゃーっ!」
子猫は、クラリッサにリュリュがいないことをゴラン達に伝えてもらう。
「リュリュがいなくなったって?」
「そんな、こんな時間に何処に行ったのでしょうか?」
ゴランとケイロが心配そうに顔を突き合わせて話をしているが、子猫はそんなことをしている場合ではないと感じていた。
「にゃーにゃー。ニャーン」
「誘拐された?かも。」
「「えっ、なんで誘拐されるの?」」
ゴランとケイロがクラリッサの言葉に驚いていた。確かに魔法使いとはいえ初級の中クラスの小娘を誘拐する人はいない。リュリュが良い所のお嬢様でもあればだが、彼女にそんな隠し設定は無い。
では何故リュリュが誘拐されたと子猫が言ったかだが、子猫は馬車の荷台のリュリュが寝ていた場所にこの商隊メンバー以外の匂いを嗅ぎ取っていたからだ。
(誘拐したのは野盗をけしかけた連中か?追加の荷物を狙っているのかと思っていたが、まさかリュリュを狙っていたのか。それとも彼女を人質にして荷物を要求するとか…それならトルネを誘拐するな。じゃあリュリュの誘拐は別口の事件なのだろうか?)
誘拐と言った子猫もその理由が判らず悩んでいた。
「どこかトイレにでもいってるとか?」
「寝ぼけて彷徨いてるなら探さないとな。」
ゴランとケイロはかなり脳天気なことをいっている。ベーズとアマネは岩頭猪の解体を手伝っており、ツェッタは怪我をした人の手当をしていてこの場にはいなかった。
「ミャッ」
頼りにならないゴランとケイロに見切りをつけて、子猫はクラリッサと一緒にリュリュを追いかけることにした。
「まって、プルート!」
クラリッサは子猫を追いかけて来てくれた。
リュリュの匂いを辿り森の中を子猫は駆け抜けていく。それほど時間が経っていないから後を追うのはそう難しくはない。匂いは森の中をしばらく進むとぐるっと曲がって街道に向け進路を変えていた。
追跡を始めてから二十分ほどで匂いが強くなってきた。そろそろ誘拐犯に追い付いてきたようなので、子猫とクラリッサは気配を絶ち音を立てないように進み始めた。
「!」
人の気配を感じた子猫は、魔法の手を伸ばすとクラリッサを抱きかかえて木の上に飛び上がった。木の上から見ると、前方五十メートルぐらいの少し森が開けた場所に二人の男と肩に担がれたリュリュが見える。
男達は黒い柔皮鎧を身につけ、小剣を持っている。
「あれが誘拐犯?」
「それにしか見えないよね。」
リュリュを誘拐した二人は、野営地からかなり離れたこともあり安心したのか休憩をとっていた。リュリュは、猿ぐつわをかまされロープで縛られていた。死体にそんな事をする人はいないので、リュリュは生きているのだろう。
「油断しているみたいだから、僕が魔法で片を付けたほうが早いかな?」
「プルートに任せる。」
クラリッサを木の下に降ろすと、子猫は魔法の手を使い木の上を移動して行く。休憩をしている二人の上にそっと忍びよると眠りの粉魔法を唱えた。
「何だ猫か?」
「森の中に猫って、そりゃ魔獣の子供じゃないのか?」
木の上でにゃーにゃー鳴いている子猫をみて和んだ顔をした二人は、魔法の粉を吸い込むとそのまま眠ってしまった。
「楽勝だな。」
猫の手でVサインは出せないので、前足をつきだして爪をビョンと出してクラリッサに合図した。
リュリュは拘束された状態で呑気にも寝ていた。いや、誘拐された時には起きていたのかもしれないが、運ばれている最中に寝てしまったのだろう。
二人をロープで拘束して木に縛り付けると、リュリュのことはクラリッサにお願いして子猫は二人組を尋問することにした。
猫の姿で尋問はできないので、僕は時間制限をかけて獣人の姿に変身する。寝ている二人を身体検査して持ち物を調べたが、身元が判るようなものは持っていなかった。
「起きてください。」
「…な、何故縛られているんだ?お、お前は誰だ?」
「誰でも良いでしょ。それより何故リュリュを誘拐したんですか?」
「リュリュ?ああ、魔法使いの少女か。そんな名前だったのか…。」
この二人はリュリュの名前すら知らずに彼女を誘拐したのだろうか。俺は男が言っていることが本当かどうか疑っていた。
「それより、貴様は一体誰だ。どうやって俺達を…捕まえたんだ。」
男は自分達が眠りの粉魔法で眠らされた事に気がついていないようだった。
「それは…秘密です。それよりリュリュを誘拐した理由を教えてくれませんか?」
「そんなこと言えるわけ無いだろ。」
「依頼者がいるの?」
「…」
男はどうやら黙秘するつもりらしい。そこで俺はもう一人の方に尋問することにした。
「おはよう。」
「…おはよう、ってなんで縛られてんだ?おい開放しろ。」
もう一人の男を起こすと、自分が縛られていることに気付いて暴れだした。
「君たちは僕に捕まったんですよ。」
「俺達が、こんな獣人の小僧に…マジかよ。おい、アルボどうなってるんだ?」
「ハンデ、どうやってか知らないが、俺達はこいつに捕まったんだよ。」
「…そうか。」
誘拐犯の男達、アルボとハンデはガックリとうなだれた。
「意気消沈してるところ申し訳ありませんが、どちらでも良いので僕の質問に答えてくれませんか?何故少女を誘拐したか教えてください。」
「「…」」
「うーん、答えて欲しいんですが…どうでしょう、喋ってくれた方は命は助けます。喋らなかった方は可愛そうですが…ってどうですかね?」
「「…」」
俗にいう死んでも喋らないということだろうか、二人は押し黙ったままだった。
(困ったな。拷問とかやりたくはないし、人を殺すのも嫌だな。)
俺はこの二人の口を割る方法が思いつかず悩んでいた。このまま二人を役人につきだしても再び彼女が狙われるだろう。俺はなんとかして二人から情報を引き出したかった。
(殺すって言っても、おれがこんな少年の姿だから無理だと思われてるのかな?もっと違う姿に変成の魔法で姿を変えて…おおっこれだ。)
「どうやら喋ってくれないようなのであなた方を処分するしか無いですね。残念です。」
俺がそう言うと覚悟を決めたのか更に二人は顔を強ばらせる。
「ああ、僕は人を殺しませんよ。殺しませんが、人間はやめてもらいます。」
そう言うと俺は魔法陣を地面に描き、その中心にアルボを立たせて呪文を唱えた。
「マナよ集まりて彼の者の姿を変成せしめよ。シェイプチェンジ。」
「馬鹿な獣人が魔法を。」
驚くアルボに光が収束し、彼の姿が小さなネズミに変化した。ネズミとなったアルボはあまりの出来事にその場に硬直していた。俺はネズミの尻尾を掴むとハンデの前でブラブラと振ってやる。ネズミとなったアルボは「チューチュー」と鳴いていた。
「どうですか、僕は実は獣人じゃないんですよ。この姿も仮の姿です。で、貴方のお仲間のアルボさんは一生ネズミとなって暮らすことになりました。貴方はどんな姿がお望みですか?」
この脅しに殺されても喋らないという感じだったハンデが、ガタガタと震えだした。
「ネズミがいることですし、蛇に変えてあげましょうか?」
「…しゃ、喋る。お願いだから俺を蛇なんかに変えないでくれ。」
ハンデはよっぽど蛇になるのが嫌だったのかベラベラと喋り始めた。
ハンデが喋ってくれた事を要約すると、彼らはジャガンの街の盗賊ギルドの一員であり、トルネの商隊に雇われた冒険者の魔法使いの少女を誘拐してくるという命令を受けたということだった。当然盗賊ギルドの上からの命令だから下っ端の二人には依頼主など知らないとの事だった。
「野盗に商隊を襲わせたのもあなた達ですか?」
「ああ、そうだ。彼奴等に襲わせて捕まった女達を…魔法使いの少女を分前として貰う予定だったんだ。」
(少女が野盗に殺されるとは思わなかったのかな?)
前日にゴランを嵌めるところまで綿密な計画を建てていたのに、詰めが杜撰な計画を建てた二人に俺は頭を抱えた。しかし、後でアマネに聞いたところ野盗は女子供は殺さず売り払うのが常識らしいので、それほど杜撰な計画ではなかったようだ。
「じゃあ、今日の岩頭猪は?」
「そんなもの俺達にどうにか出来るか?偶然だ。おかげで誰にも気付かれずに誘拐できたからラッキーだと思ったのに、こんな奴に捕まるとは…。」
岩頭猪の襲撃が偶然の一言で片付けられ、俺はがっくりしてしまった。
「判りました。もう良いです。」
「そうか…じゃあ、俺は助けてくれるんだな。」
「いえ、このままじゃあなた達は再びあの商隊を狙うかも知れませんし、貴方には蛇になってもらいます。」
「そ、そんな、俺は喋ったじゃないか。」
ハンデが怒りだすが、俺は麻痺の魔法で彼を麻痺させる。
アルボと同じく魔法陣を描いて変成の魔法で彼を蛇に変えてしまった。
二人、いや二匹の尻尾を捕まえ逆さ吊りにしたまま俺は二人に話しかけた。
「二人には魔法で呪いをかけておきました。今からしばらくすると二人は元の人間に戻ります。が、再びあのリュリュを襲った場合は今の姿に逆戻りです。その時はもう二度と元の姿に戻りませんよ。」
この二人がどこまで魔法に詳しいか知らないが、俺の脅しは効いたようでネズミと蛇は頷いていた。
(しかし、リュリュが狙われている理由が判らんのも困ったものだ。)
そう考えながらリュリュを背負った俺は、クラリッサと一緒に野営地に戻るのだった。
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