猫と男爵と先生
アーデンベル先生とようやく対面することになったアンドレだが、そのそわそわとした落ち着きのない様子は怪しいの一言だった。
「アンドレ、久しぶりじゃな」
「は、はいーーーっ。せ、先生もお元気そうで何よりでございますです」
滝のように流れる汗、緊張で真っ赤になった顔、がちがちと打ち鳴らされる歯。アンドレは今にもまた失神しそうな状態であった。
(失神されてばかりじゃ話が進まないから…兎に角失神はさせないようにすべきだな)
男爵家の護衛やメイド達には眠って貰っているが、それもそう長くはない。俺達はさっさと男爵と交渉してしまう必要があるのだ。
「(好奇心の神よ、かの者の心に平安をもたらしたまえ~精神鎮静の奇跡)」
アンドレの背後に回ったクラリッサは、小声で小さく呪文を唱えその背中にそっと触った。精神の落ち着きを取り戻す神聖魔法はその効果を発揮して、アンドレの態度は目に見えて落ち着いたものとなった。
「…ふぅ。なぜか落ち着いてきたが…?」
急にアンドレの態度が落ち着いた事に驚いたアーデンベル先生がクラリッサを睨むが、素知らぬ顔で彼の背後に移動する。
「(一体何をしたんじゃ。魔力が感じられたと言うことは、魔法のようじゃが? まるで神聖魔法のような感じじゃったが…)」
と小声で尋ねてきたので、
「(獣人の私が神聖魔法を使えるわけがありません。先ほどのは、エーリカから教わった精神安定のツボを魔法で刺激したのです)」
とそれらしい嘘の説明をする。
「(精神安定のツボ? それは何なのじゃ。詳しく教えるのじゃ)」
と逆にアーデンベル先生の興味をひいてしまった。
(ええい、面倒な人だ。何とかごまかさないと…)
「(え、えーっと、エーリカに他人には教えるなと言われてますので…)」
とちょっと強引な言い訳をしたのだが…
「何じゃと!」
「ひぃぃい。何か分かりませんが、済みません先生」
アーデンベル先生が思わず大きな声で怒鳴ってしまった。おかげでまたアンドレが落ち着きを無くしてしまったのだった。
「せ、先生。ここは兎に角男爵様とお話を進めましょう。ツボの話はまた後で…」
「チッ、しょうが無いの。さっさと話を付けてしまうとするかの」
とようやく本題の話を進めることになった。
◇
「アンドレ。お前の娘として魔法学校に通っている娘が、実の娘ではない。そうじゃな?」
「は、はい」
「なぜ替え玉を送ったのじゃ?」
「そ、それが…申し訳ありません。む、娘がどうしても魔法学校に…王都に行きたくないと申しまして」
「なら、魔法学校に入学せねば良かろうが」
「そ、それでは貴族娘としていろいろと問題が…」
貴族の子女として魔法学校に在籍したというのはある種のステータスとなる。男爵の娘ともなれば入学するのが常識らしい。
「それで、通いたくない娘…メグ嬢の代わりに替え玉の娘を送り込んだということか。愚かなことをしたものじゃ」
アーデンベル先生が呆れた顔でため息をつく。
「も…申し訳ありません。替え玉を送るのはよくある話と聞きまして、その…決して先生に御迷惑をかけるつもりは無かったのです」
後でトビアスに聞いたのだが、付き人と一緒に学校に通わせるのが経済的に無理な弱小貴族の子女達の中には、自活しなければならない寮生活を嫌がり、魔法学校に替え玉を送る者がいるとの事だった。
まあ送られる替え玉は、子女の評判を落とさないようにその地方で優秀な者が選ばれるため、才能の無い貴族の子女を学ばせるよりマシと言うことで見逃していると言うことだった。
しかし、俺の見立てでは、木材の輸出で稼いでいるシュタインベルグ男爵家は経済的には付き人を付けて学校に通わせることができるレベルであった。
(それなのに替え玉を送ったということは…つまりシュタインベルグ男爵家御令嬢は魔法学校に行きたくない別な理由があったのか…)
その辺りを男爵から聞き出したのだが…。
男爵家御令嬢は12歳の時、社交界デビューをさせようと男爵が王都に連れて行ったのだが、その際に王都の貴族の令嬢達に田舎貴族だと激しく馬鹿にされたのだった。
金髪立てロールの貴族令嬢とかに『皆さん、なんて時代遅れのドレスでしょう』とか言われからかわれたのだった。
ようやく訪れた社交界デビューと王都に夢とあこがれを持って望んだ男爵令嬢は、その体験がトラウマとなり、「絶対に王都には行きたくない」とものの見事に地方に引きこもる様になってしまったのだった。
男爵も王都の社交界に娘を連れて行った事を後悔したのだが、魔法学校に通わないということは外聞も悪いため、嫌がる娘の代わりに替え玉を送り込む事になったのだった。
「…まあ、お主の娘が替え玉だった件については儂にはどうでも良いことじゃ。問題なのは、お主が替え玉の娘にこの者の暗殺を依頼した事じゃ」
「へっ暗殺? 私が、この娘の暗殺を依頼した? 一体何のことでしょうか?」
アーデンベル先生の言葉に、アンドレは怪訝な顔で答える。
「アンドレ、今更しらを切るのか。あの娘がお主の命令だと言っておったのじゃぞ」
「わ、私はそんな事をあの者に命じてはおりませぬ。し、信じてください先生」
アンドレの言い訳にアーデンベル先生のこめかみに青筋がぴきっと立つと、彼は命乞いでもするかのように土下座してしまった。
(あれっ? 何かこの人本当にそんな命令をしていないみたいだな)
今までのアンドレの態度から、彼がアーデンベル先生に酷いトラウマを植え付けられていることは確かである。そんな人物が、アーデンベル先生に対してこんな見え透いた嘘をつくだろうかと俺は疑問に思ったが、
(まて、これでも彼は男爵。それなりに交渉もできる人だろう。先生をだますぐらいの演技かもしれないぞ)
と思い直した。
「入学してから何度も襲ってきたメグ嬢の替え玉の方ですが、私が捕縛して現在はトビアス校長先生に預かって貰っております。そこで彼女から貴方の命令で私を狙ったと聞いたのですが」
実際には聞いたのはアーデンベル先生で、替え玉ははっきりと暗殺を支持されたとは言っていないのだが、男爵の態度が演技かどうか見破る揺さぶりになると考えてそう告げると。
「な…そんな馬鹿な事はありません。アーデンベル先生、私は何もしておりません。これはこの娘の…いえ、きっと紫の魔女の陰謀に違いありません」
アンドレはクラリッサを指さして、エーリカの陰謀だと言い出した。
アンドレのそんな姿にアーデンベル先生もさすがにどうしたものかと困ったのか、クラリッサに視線を向けてきた。
(…エーリカのせいにされているけど、一体全体、男爵はどういうつもりなんだ?)
クラリッサはそんな男爵の態度にますます演技しているのかと疑問に思ってしまい、もう少し揺さぶりをかけることにしたのだった。
「エーリカがそんな事をしますか? というか、あの人はシュタインベルグ男爵家の事などこれっぽっちも歯牙にもかけてないでしょう」
「そうじゃな。エーリカはシュタインベルグ男爵家など気にもしておらぬじゃろう。アンドレ、その娘が言っているように、エーリカがそんな事を企むとは、儂には到底信じられぬ」
アーデンベル先生はクラリッサの言葉に頭を振って同意する。
「そ、そんな…先生まで紫の魔女の方をもたれるのですか? …先生、考えて見てください。折角娘の替え玉として魔法学校に入学させた者に、どうして私が暗殺とかさせるのでしょう。そんな事が発覚すれば、娘の評判どころかこの男爵家の評判は地に落ちてしまいます。私が暗殺を命令するなど、そんな馬鹿な話はあり得ないでしょう?」
アンドレは、そう言ってアーデンベル先生の脚にすがりついて泣き始めたのだった。
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