猫は旅する
シュタインベルグ男爵の領地に向かう馬車は意外と簡単に見つかった。王都から南西に三日という距離にあるシュタインベルグ男爵領は、良質な木材の産地として有名であった。そのため王都から木材の買い付けに向かう商隊が定期的に出ていた。俺はその商隊の一つに話を付けて、男爵領まで乗せて貰う事にした。
眠りこけるアーデンベル先生を背負ったクラリッサが馬車に同乗させてほしいと言うと、商隊主の商人は胡散臭そうにしていたが、前金として金貨を握らせると「どうぞどうぞ♪」と逆に愛想笑いを浮かべて馬車への同乗を了承してくれた。
朝一に出発した商隊は、順調に行程を進めていった。半日ほど道を進み、昼食のために道を少し外れた水場に商隊は止まって所で、アーデンベル先生の薬が切れた。
「…見知らぬ空…。はっ? ここは…いったい何処じゃ」
「アーデンベル先生、お目覚めですか」
「…クラリッサくん? 儂は…一体なぜ儂はこんな所で馬車に乗っておるのじゃ?」
覚醒したアーデンベル先生は、自分の置かれている状況が分からないのか、クラリッサや馬車の中をきょろきょろと見回していた。
「この馬車は、シュタインベルグ男爵の領地に向かっています。あと、スーサンさんから『旦那をよろしく』と承っております」
「シュタインベルグ男爵じゃと。…なるほど、スーサンさんからの伝言があると言うことは、つまり…儂は拉致されたと言うことか?」
そう言って、アーデンベル先生はクラリッサを威圧するかのように睨み付けた。
「まあ、そういうことです。私もできればこの様なことはしたくなかったのですが…。先生の奥様がこうしないと先生は動いてくれないと仰ったので…」
「それは昔の事じゃ。儂としてはここで馬車を降りて戻りたいのじゃが…」
「それでは、先生は学生に不意を突かれて拉致されたという評判が立ってしまいますよ」
「儂を脅迫するのか」
「そうですね。先生がシュタインベルグ男爵を説得さえしてくれれば、その様な事にはならないでしょう」
クラリッサはアーデンベル先生からのプレッシャーを受け、内心冷や汗を垂らした。しかしそれを隠し、クラリッサは先生ににっこりとほほえみ返した。
アーデンベル先生はしばらくクラリッサを睨んでいたが、俺が気圧されていない事を悟ると「フゥー」とため息をついて視線を和らげた。
「油断していたとはいえ、学生ごときに不意を突かれて拉致されたのは事実じゃ。それに校長にも話は付けてあるのじゃろ」
「ええ、校長先生には話は付けてあります。先生の授業は、当面校長先生が受け持ってくれるとのことのです」
「其処まで手を回されては仕方ない、さっさとお前さんの頼みを片付けて帰るのが一番じゃの」
アーデンベル先生は、魔法学校の方を遠い目でみて大きくため息をついた。
「ご了承ありがとうございます」
クラリッサはアーデンベル先生に深々と頭を下げた。
◇
シュタインベルグ男爵の領地まで三日の旅程であり、俺達は商隊の馬車に乗って快適な旅をするはずだった。だったのだが…。
「もっと、この紙をよこすのじゃ」
「ええ、それはかまいませんが…。アーデンベル先生、馬車の中でレポートを書くのはあきらめませんか?」
「馬鹿者。さっさとレポートにまとめぬとせっかくの実験結果を忘れてしまうではないか。それともお前さん、学校に戻ってからもう一度実験するのを手伝ってくれるのかの」
「…はい。これで私の持っている紙は最後です」
クラリッサは、真っ白な上質紙の束をポケットから取り出してアーデンベル先生に手渡す。
紙をひったくるように受け取ったアーデンベル先生は、即席の画板をテーブル代わりに必死の形相でレポートを書き殴っていた。
そんなアーデンベル先生の様子を見ながら、(紙とボールペンなんて渡すんじゃなかったよ…)とクラリッサはため息をついた。
こんな状況になったのは、馬車の旅にアーデンベル先生が暇をもてあまして錬金術についてクラリッサに講義を始めたからである。最初はクラリッサも興味を持って聞いていたが、さすがに半日も聞かされると苦痛となる。
そこでアーデンベル先生の興味をそらすため、ボールペンと紙を渡して拉致する前に書いていたレポート作成を勧めたのが発端だった。
「クラリッサ君、このペンは一体何処で手に入れたのじゃ。インクにつけなくても書くことができるとは、ものすごい発明じゃぞ」
「はぁ、それはダンジョンで見つけたマジックアイテムです。もう二度と手に入らないと思いますので、大事に使ってください」
(ホントは俺がメモを取るためにアントンに作って貰ったんだけどね。どういう原理かインクも不要の総ミスリル製のペンだから、マジックアイテムと言っても良いだろうな)
「それとこの白くて薄い紙だが、非常に書きやすいのじゃ。一体何処で手に入れたんじゃ。そういえば、この前突然現れたエーリカも灰汁取りにも使っていたが、…もしかして彼女が発明した物なのか?」
「いえ、これもそのペンを見つけたダンジョンに置いてあった物です…」
もちろんこの上質紙もアントン作である。
「そ、そうか。エーリカの発明品じゃないのか。…後で、そのダンジョンを教えるのじゃ。儂もペンと紙を手に入れるのじゃ」
「…はあ、シュタインベルグ男爵を説得できれば…」
「…ウム任しておけ」
(紙とペンで釣れるとは…や、安いぞアーデンベル先生)
ボールペンと上質紙に釣られるアーデンベル先生を見て、クラリッサは今までの苦労は一体何だったんだろうと思うのだった。
◇
王都から三日の距離にあるシュタインベルグ男爵の領地は、木が生い茂る山々に囲まれた田園都市であった。しかも田園の名の通り麦ではなく水田による稲作が行われていたのだった。
なぜこの国では珍しい水田がシュタインベルグ男爵領で行われているかだが、それは周りの山々から栄養豊富な豊富な水が流れ込み、麦を作るには向かない土地だったからである。
商隊の馬車は、水田の間を縫うように走る道を進み、男爵領で最も大きい都市というか農村の中心部に向かっていった。。
(懐かしい光景だ。まるで日本の山間の農村みたいだな~)
俺は日本の農村のような風景を懐かしく眺めていた。
商隊馬車は木材の買い付けのために山の方に向かっていくため、俺とアーデンベル先生は、農村の真ん中で下ろしてもらった。そして近くを通りかかったいかにも農民というおじさんにシュタインベルグ男爵の居城がどこか尋ねたのだが…。
「彼処に見えるのがお殿様のお城ですちゃ」
妙な方言のおじさんは、彼方に見える魚の様な物が乗った大きな建物を指さした。
「あれが、シュタインベルグ男爵の城…お城ですか」
「…な、なかなか独創的な城じゃの」
クラリッサとアーデンベル先生が見つめる先にそびえたっているのは、どう見ても日本のお城であった。
なぜ日本風のお城なのかと尋ねると、シュタインベルグ男爵領では建築に使える石材の産出量が極端に少ないのが原因だと教えてくれた。その一方木材の方は売るほどあるため、男爵は自分の居城に東方の城の建築様式を取り入れ木材でお城を築城した為、あのような形になったのだと農民のおじさんは教えてくれた。
「いや、しかしこれは…こちらの世界にはそぐわないデザインでは…」
「こちらの世界? デザイン?」
「あ、いえ。独り言ですので、どうか気にしないでください」
日本風の農村とお城なのに、其処には西洋風の人々が暮らしている。俺はものすごく違和感を感じながらもお城に向かっていった。
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