猫は手順を教わった
「あんたの頼み事、旦那には話してみるけど…やっぱり、旦那が素直に言うことを聞いてくれるかというと…難しいと思うんだ」
スーサンは、ばつの悪そうな顔でそう言い出した。
「ええっ?」
ここまで来てスーサンがそんなことを言い出したことにクラリッサは驚いてしまった。
(今更そんなことを言い出すのか。これじゃ授業をサボって皿洗いを手伝った意味がないじゃないか)
「どうして、スーサンはアーデンベル先生の奥さんですよね。研究一筋の先生といえども奥さんの言うことには耳を貸してくれるのではないのですか?」
「うーん、そう言ってもあたしゃ押しかけ女房のあたしの言うことってなかなか聞いてくれなくてね~」
「へっ?」
スーサンの思わぬカミングアウトにクラリッサは意表を突かれてしまった。
「押しかけ女房って…それはどういうことなのでしょうか」
「そりゃ文字通り、奥さんとして押しかけているってことさ。それ以外何があるって言うんだい」
「いえ、それでは夫婦と言えるのかと。普通は婚姻届とか出してって、あっ…」
言いかけて、俺はこの世界では婚姻というか夫婦になるということの条件が異なる事に思い至った。
地球では、未開種族でもない限り役所に婚姻届を出すことで夫婦になるのが普通である。しかしこちらの世界ではそういった手続きが存在しない。いや、存在するのだが誰も利用していない。
一応この世界でも、街の役所に夫婦になったという届け出を出すという手続きが存在する。この手続きで夫婦となった記録が残るが、それ以外の意味は無い。しかも手続きにはそれなりの費用がかかるのだ。
つまり一般の人にとってはそんな手続きを取るメリットは無く、貴族や裕福な商人などが自分たちのステータスを示すために利用するぐらいなのだ。つまり一般人に取って夫婦になるとは、地球で言うところの事実婚状態を示し、周りの人に夫婦になりましたと認識してもらうことでしかない。
「あたしと家の旦那が冒険者だったことは知ってるかい。冒険者なんてやっていると夫婦って言ってもそりゃ当人の意識の問題だけさ。それに家の旦那は錬金術の研究一筋だからね。夫婦って言っても要はあたしが押しかけてるって感じだね」
「そう、そうなんですか…」
「アーデンベルを週に一度は研究室から引きずりだして、風呂に入れたりきちんとした食事をさせたりしないと、下手すると死んじまうからね。旦那はあたしがいなきゃ駄目なんだよ。ほんとあの人は、冒険者の頃から全く変わらないんだよ」
スーサンはそう言ってガハハと豪快に笑っていた。
(アーデンベル先生はエルフでスーサンはドワーフ。二人とも人間とは異なる種族だから同じ結婚感じゃないと思っていたけど…何のことはない、駄目な男と世話好きの女って関係なのか。スーサンって駄目な男に惚れるタイプだったのか)
スーサンとアーデンベル先生の関係は何となく理解できた。しかしこれではスーサンからアーデンベル先生を説得するというのは確かに難しいと思えてきた。
「スーサンさんとアーデンベル先生の関係はよく分かりました。では、どうすれば先生に私の願いを聞いて貰えるのでしょうか?」
困った顔でそうスーサンに告げると、
「そうさね~」
彼女は頬杖をついてどうしたものかという顔をする。
「世話を焼く分には良いけど、旦那に研究以外ことをやらせる方法か~。冒険に連れ出すならそれなりの手順があるんだけど」
「手順ですか?」
「ああ、旦那は冒険者だった頃から研究に夢中でね、あまり外に出ないエルフだったんだ。だからあたしを含めパーティのメンバーはいつも冒険に旦那を連れ出すのに苦労したよ。まあ、いつもあたしが旦那を冒険に連れ出す役を請け負っていたんだけどね」
「なるほど。つまり、スーサンさんはアーデンベル先生をその気にさせる手順を知っておられるのですね」
「ああ、冒険に連れ出す手順ならよく知っているよ」
そう言いながら、なぜかスーサンは苦笑を浮かべていた。
「では、その手順を教えていただけないでしょうか」
「うーん、余りおすすめできない手順なんだけど…」
真剣に頼み込むクラリッサにスーサンは、苦笑を止めて渋い表情に変わった。
「どうかお願いします」
「…仕方ないね。じゃあ、手順を教えるよ。いいかい、旦那に言うことを聞かせる手順だけど、それにはまず腕力が必要なんだ」
クラリッサの勢いに負けたのか、スーサンは渋々といった感じで手順を話し始めた。
「わ、腕力ですか? 同年代の娘さんに比べればある方だと思いますが…」
いきなり腕力が必要と言われてクラリッサは戸惑った。腕まくりをして力こぶを作るって見せるが、スーサンにはあまり腕力があるようには見えなかったようだった。
「まあ、腕力がないなら誰か手伝ってくれる人をさがすしかないね。じゃあ、次の手順だけど、あんた忍び歩きはできるかい?」
またまた、スーサンは変なことを言い出した。
「忍び歩きですか。一応、得意ですが…」
「猫獣人に聞くまでもなかったか」
クラリッサの立ち振る舞いから、問題無いと感じたのかスーサンはうんうんと頷く。
「忍び歩きができるなら。後は道具だね。大きめの靴下と砂を準備するんだよ」
「へっ? 靴下と砂ですか? 一体全体何をするのですか?」
「はぁ、家の旦那を冒険に連れ出す時の手順を教えてほしいとあんたが言ったんだろ?」
スーサンは、少し呆れたようにそう言うが、クラリッサはスーサンが何を言っているか分からず混乱してしまった。
(腕力が必要で、忍び歩きができて、靴下と砂って……ええっ、もしかして)
「……後は、タイミングだね。一番確実なのは、家の旦那が研究に没頭している時が狙い目さ。研究に熱中すると周りのことが見えなくなるからね。後は背後から砂を詰めた靴下でドスンと一発決めてやれば良いのさ」
まさかそんな手段でと思っていたことをスーサンは自慢げに話してくれた。
「…スーサンさん、それは本当にアーデンベル先生をその気にさせる手順なのでしょうか?」
「いや、まだ残っているよ。最後に気絶している旦那を担いで冒険に連れ出すのが一番重要なのさ。気絶から目覚めるまでにどれだけ街から離れられるかが肝なんだ。街に簡単に戻れないと判れば、旦那もあきらめてくれるからね」
「つまり、スーサンは、冒険にアーデンベル先生を連れ出すために、毎回気絶させて無理矢理連れ出していたと言うことですか…」
「簡単に言えばそういうことかね~。だんだん旦那も学習してね。冒険に出る頃合いになったら行方をくらますようになったね。そんな時はエーリカに居場所を探すのを手伝って貰ったよ。…ああそれと、忘れていたけど、低級回復薬は準備しておくんだよ。エーリカの弟子なら作れるだろ」
「先生、それで良くパーティを抜けませんでしたね」
クラリッサは、スーサンが話してくれた冒険に連れ出す手順を聞いて、アーデンベル先生の悲惨な状況に涙するのだった。
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