猫は会心の一撃をもらった!
(ここが魔術学校の食堂か~)
子猫は魔術学校の食堂の手前に立ち、50名は入れそうな大きな建物を見上げていた。
夜が明け、トビアスと分かれた子猫は女子寮に戻りクラリッサに事情を説明した後、魔術学校の食堂にやって来たのだった。
なぜ子猫が魔術学校の食堂にやって来たかだが、もちろん朝食を食べに来たわけではない。ここにアーデンベル先生の奥さんがいるとトビアスに教えてもらったからなのだ。
(しかし、すごい人の数だな~)
時刻は夜が明けて直ぐ、時刻で言えば朝の七時といったところである。食堂は、朝食を食べに来る学生達でごった返していた。
「今日のメニューは何かな? おすすめは、焼き魚定食か…うーん、俺魚苦手なんだよな~。こっちのベーコンとソーセージのセットにするか」
「仕送りが届くまで節約しなきゃ…。今日は黒パンにスープだけで済ませることに…」
「急いで食べないと、朝の奉仕活動に間に合わない…」
生徒達は食堂の前にある黒板に書かれているメニューを見て、朝食を選んでいた。朝と言えばトーストやいり卵、ソーセージ等のモーニングセットのようなメニューだけかと思ったら、定食などのメニューも存在していた。若い生徒たちは朝から食欲盛んなのか、そういった定食を選ぶ人も多いようだった。
「ここの定食はいけるよな~」
「街の店より安いし量も多いし、味も悪くない」
「…いやここの飯は美味しいだろ」
学生達の会話から味も良く、評判は上々のようだった。
(しかし、この混雑を抜けて食堂に入るのは難しいな。それに使い魔とか連れている生徒も見当たらない。もしかしてこの食堂は使い魔禁止かもしれないぞ)
本来食堂は動物禁止だ。女子寮の食堂の方が例外なのだ。それに使い魔の同伴が可能でも、クラリッサがいない状態で子猫一匹で食堂に入るのは不味い。
しばらく待ってみたが、食堂に向かう生徒達の数は一向に減らず、どんどん増えていく一方だった。
(どうしよう…朝食の時間が終わるまで待つしかないか。いや、早くアーデンベル先生を説得してシュタインベルグ男爵家と話を付けてしまわないと。裏口に回ってみるか)
子猫は食堂の裏口に向かうことにした。
(生ゴミもきれいに片付けられているし、衛生面に気を遣っているようだな)
食堂の横から裏に回ったのだが、子猫は食堂の周りが綺麗に掃除してあることに気づいた。
こちらの世界では衛生観念が希薄なため、残飯などの生ゴミなどは結構雑に捨てられていたりする。これだけ大規模な食堂ともなれば、一日に出る生ゴミの量は数十キログラムはあるだろう。しかし食堂の裏にはパンくず一つ落ちてはいなかった。
しばらく歩くと、食堂の職員の出入り口であろう勝手口のような扉が見つかった。
(さて、どうしよう。窓があれば覗いてみようと思ったけど…)
中の様子が窺えなかったため、子猫はどうすべきか迷ってしまった。
扉の先は調理場である。当然食堂の前より猫など動物が入ることは許されない場所である。
(仕方が無い、話をするにも猫のままじゃ駄目だかな、クラリッサに変身するか)
子猫は手近の茂みに入ると、クラリッサに変身を行う。彼女の服はポケットの中に幾つか入っているが、今回はエーリカの所で彼女が着ていた服を借りることにした。
麻のシュミーズの上に幅の狭い袖を持つ足首丈のウールのチュニックワンピースと言った組み合わせである。ぱっと見て、魔術学校の生徒というより街の娘さんという姿になってしまった。
準備を整えると、裏の扉をたたいて「済みません?」と呼んでみたのだが、返事は返ってこなかった。
(誰もいないのか? 扉の鍵は…開いているか)
不用心にも扉には鍵がかかっていなかった。クラリッサはそっと扉を開いて中に入る。そこは食材が積まれている棚とテーブルや椅子が置かれている部屋であった。
(ここは食材置き場兼、休憩室って所だな)
部屋には人の気配がなく、部屋の奥にある扉の向こうから学生達の注文の声や食堂の職員の声が聞こえていた。
(食堂が忙しいから誰もいないのか。アーデンベルの奥さんも奥で働いているんだろうな。ここは食堂が暇になる頃に出直そう)
そう考えて振り返ろうとした時、
「誰だい、あんたは?」
と背後から野太い声で誰何されてしまった。
「ヒッ!」
思わずクラリッサは小さく悲鳴を上げてしまう。
(馬鹿な、背後に人の気配は無かったぞ?)
最近はいろいろと物騒な目に遭っていたので、周囲への気配察知は常に行っている。この状態でいきなり背後を取られたのはこれが初めてだった。
「あ、あの…私、ここの職員の方に用事がありまし…てっ?」
敵意がないことを示すために両手を挙げて、クラリッサはゆっくりと振り向きながらそう答えたのだが、誰何してきた人物をみて思わず声が止まってしまった。
「はっ? 食堂の職員に用事だって? 一体誰に用があるんだい?」
そこにいたのは奇妙な格好をしたおっさんであった。
おっさんは、クラリッサと同じ程度の身長…つまり男性としてはえらく低身長である。ビア樽のような太い胴体とクラリッサの胴体ぐらいの太さの短い手足には鋼のような筋肉が詰まっていた。こんな体型の人間はめったにいない。
(ドワーフか?)
子猫も何度かドワーフを見たとこがあるし、冒険者ギルドや鍛冶屋で話したこともある。今更ドワーフだからと驚くことは無いのだが。
(しかし、この姿は…)
子猫が驚いたのは、彼のファッションだった。
口髭を豊かに蓄えた彼は、その長い黒髪を三つ編みに編み込みリボンを結んでいた。また髭の先にもおそろいの小さなリボンが結ばれていた。そしてあろうことか、彼はヒヨコが描かれたエプロンとスカートを身にまとっていたのだった。
スカートから覗く丸太のような脚を見てクラリッサは
「へ、変態さん?」
と思わず呟いてしまった。
「誰が変態だ!」
ごんっ
目から火花が飛び散るほどの一撃を食らって、クラリッサはノックアウトされてしまったのだった。
◇
「…知らない天井だ」
目を覚ましたクラリッサは、天井を見上げてお約束の台詞を呟いてしまった。
「あら、目が覚めたようね」
「チーさん、スーさんを呼んできて。お嬢ちゃんが目を覚ましたって」
「はーい。スーさん~」
周囲から女性の声が聞こえる。
(どういう状況なんだ?)
辺りを見回すと、30~50代の女性達が5人ほどクラリッサを心配そうに見守っていた。恐らく彼女達は食堂の職員だろう。
変身が解除されていないところを見ると、気絶してからそれほど経過していないようだった。
「目が覚めたようだね」
クラリッサが状況把握に努めている時、さっきのドワーフが部屋に入ってきた。先ほどのエプロン+スカート姿に今度は三角巾を付けていた。どうやら彼もこの食堂の職員のようだ。
「さっきの変態」
その姿を見て、クラリッサは再びそう呟いてしまった。
「誰が変態だって!」
「スーさん、落ち着いて」
「この子は知らないんだよ」
ドワーフは腕まくりをして近寄ってくるが、それを周囲の女性達が慌てて引き留めようとするが、数人がかりでも彼女を止めることはできなかった。
(この女装ドワーフはスーサンというのか…ん? スーサン…あれ? 確かアーデンベル先生の奥さんって…)
拳をかざして近寄ってくる彼に、
「もしかして貴方がスーサン…アーデンベル先生の奥さんなのですか?」
とおそるおそる尋ねると、
「ああ、アーデンベルはあたしの連れ合いだよ」
と彼女は答えて、再び強烈な一撃を頭に見舞ってくれたのだった。
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