猫は考える
(メグがクラリッサを狙うのは、シュタインベルグ男爵家からの指示による所だろう。つまり俺とクラリッサが真相を話さないとメグに誓ったとしても、お家からの指示が撤回されなきゃ駄目ってことだな)
床をゴロゴロと転がりながら子猫はメグを助ける方法を考えていた。床を転がるのは子猫が考え事をするときに良くやる癖である。
「お前さん、何をやっとるのじゃ?」
トビアスは子猫のそんな姿をみて呆れていた。
(メグへの命令を撤回するには、俺とクラリッサがドロシーに真相を話さないことをシュタインベルグ男爵に信じてもらうしかな。だけど、全く面識のない子猫やクラリッサにシュタインベルグ男爵が会ってくれるとは思えないし…。だいいちシュタインベルグ男爵って、今どこにいるんだ? 領地か王都か)
あお向け状態でゴロゴロと転がるのを止めた子猫は、
「校長先生。シュタインベルグ男爵は現在何処に居られるのでしょうか?」
とトビアスに尋ねた。
「シュタインベルグ男爵の居場所じゃと?いや、知らぬぞ」
トビアスは即答する。
「そうですか…」
「いやいや、王国には二百数十の男爵家が存在するのじゃぞ。シュタインベルグ男爵もその一つじゃ。男爵家の者でもなければ居場所なぞ把握しておらぬわ」
子猫もトビアスがそんなことを知っているとは思っていないのだが、トビアスは慌てて良いわけじみたことを言い出した。
(二百数十も男爵家があるのか。そりゃシュタインベルグ男爵家の人じゃないと居場所なんて分からないよな~。…それなら、メグなら男爵の居場所を知っているはずだな)
子猫は転がるのを止めすくっと立ち上がると、
「校長先生は、僕とクラリッサがドロシーさんに真相を話すことはないことをシュタインベルグ男爵伝えることはできませんか」
トビアスを見上げて聞いてみた。
「うーむ、これでも儂は魔術学校の校長じゃからな。メグのこともあることじゃし、シュタインベルグ男爵と会うことは可能じゃろう。…しかし儂はエーリカ先生の弟子じゃからな。そんな儂の話を男爵が信じてくれるかというと、難しいといわざるを得ぬの」
難しいとトビアスは顎髭を撫でる。
「校長先生でも駄目ですか。困りました。僕やクラリッサの知り合いでシュタインベルグ男爵と話のできる方と言えば…ラフトル伯爵、ドロシー嬢ぐらいしか思いつかないのですが…」
子猫は思いつくままに、身分的に大丈夫そうな知り合いを口にしたが、
「お前さん、まじめに考えておるのか」
トビアスにじろりと睨まれてしまった。
「ええ、分かってますよ。思いつくままに言ってみただけです」
もちろん子猫もそんなこと重々承知していた。
(うーん、誰か他にシュタインベルグ男爵を説得してくれそうな人はいない者か)
再び床でゴロゴロと転がりながら子猫は考え込んでいた。
(ジャネット…は身分的には問題ないけど、シュタインベルグ男爵に会う理由がない。第一そんなこと彼女に頼めるわけもない。後は………ん? そういやアーデンベル先生はシュタインベルグ男爵を教えていたとか言ってなかったっけ? …うん、確かにそう言っていたよな)
子猫はアーデンベル先生がメグを尋問していたときにそう言っていたことを思い出す。
「…シュタインベルグ男爵の説得ですが、アーデンベル先生にお願いできませんでしょうか?」
「アーデンベル先生じゃと。うむむ、確かに先生はシュタインベルグ男爵の現当主と面識…いや知り合いじゃが。…このような貴族間の争いごとにアーデンベル先生は関わりたくないという方じゃからの~」
トビアスは、困った顔で顎髭をぐるぐると指に巻き付けていた。
「難しいでしょうか?」
トビアスの半分あきらめたような思案顔を見て、子猫はがっくりしてしまった。
(こうなったら、俺がアーデンベル先生に化けて会いに行くか)
こうなったら子猫が魔法でアーデンベル先生に化けて交渉しに行こうかと考えていた所、
「しかし、このままではメグ嬢は解放できぬ。そうなるとドロシー嬢がメグ嬢がいないことに気づいて騒ぎ出すじゃろうな。ドロシー嬢が本気で調べ始めると、結局破談の真相にたどり着いてしまうやもしれぬの。やはり何とかしてアーデンベル先生にシュタインベルグ男爵を説得してもらうしかないの。……こうなれば、最後の手段を使うしかないのじゃ」
そう呟きながら、トビアスは思い詰めた顔で子猫に向き直った。
「校長先生、シュタインベルグ男爵を説得できる方を思いつかれたのですか?」
トビアスの呟きを聞いていた子猫は、彼が何か思いついたのだと分かった。
「いや、シュタインベルグ男爵の説得はアーデンベル先生にしかできぬじゃろう。儂が思いついたのは、アーデンベル先生を説得してくれる人を思いついたのじゃ」
「アーデンベル先生を説得できる人?」
「うむ、アーデンベル先生の奥方じゃ」
◇
アーデンベル先生は人間ではなくエルフである。
この世界のエルフは、肉体も魔法能力も人間以上のスペックを誇り、また寿命も平均で二千年、エルフの長老に至っては五千年以上生きていると言われており、長寿な種族である。そして、長寿な種族のお約束通りその繁殖能力は低い。
そんなエルフ達だが、ラフタール王国内では、王都の東に位置する大樹海に住んでいる。そこでエルフ達は、大樹海から出ず、王国による支配も受けずに生活を営んでいる。
王国としてもエルフ達と友好的に付き合っていきたいのだが、大多数のエルフ達は人間との交流を嫌い大樹海の奥に引きこもっている状態なのだ。
そのようなエルフ達の中で、大樹海から飛び出し人間社会に出てくる者がいる。彼等はエフル達の基準で言えば変わり者であり、アーデンベル先生もその一人である。
エルフは魔法能力に長けた種族だが、基本的に精霊魔法しか使用しない。もちろん普通の魔法も使えるのだが、よほどのことが無い限り精霊魔法で済ませようとする。なぜエルフが精霊魔法にこだわるのかについては、精霊魔法以外の魔法は美しくないというのが理由であると言われている。
そんな自然を尊ぶエルフが錬金術という自然と対立するような技術を良く思うわけも無い。つまり、錬金術を学びに魔術学校にやって来たアーデンベル先生は、エルフの中でも極めつけのかなりの変わり者である。
「アーデンベル先生の奥方…つまり、奥さんですか? …先生は結婚されていたのですか」
アーデンベル先生が独身だと思い込んでいた子猫は、驚いてしっぽの毛が逆立ち太くなってしまった。
「うむ、そうじゃ。先生は結婚されておる」
トビアスは髭を撫でながら頷いていた。
(アーデンベル先生、錬金術の研究一筋だと…まさか結婚しているとは。そういえばアーデンベル先生って以外とこぎれいな身なりをしていたな~)
研究馬鹿な学者の典型的な姿と言えば、無精髭やぼさぼさの髪、汚れた白衣などである。しかしアーデンベル先生は無精髭もなく、その服装も小綺麗であった。
子猫はエルフだからだと思っていたが、そこに奥さんをにおわす要素があったとは思いつかなかった。
「それで、先生の奥さんとはどのような方なのでしょうか? 先生の奥さんと言うことは、エルフだと思うのですが…」
「いや、先生の奥方はエルフではないぞ」
「エルフではない? では奥さんは人間の女性なのでしょうか」
「ふふ、人間でもないのじゃ。お前さんも会ってみるかの」
いたずらな顔つきでトビアスは子猫にそう言ってくるのだった。
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