猫は暗殺者の正体を知る
「では、惚れ薬を取って参ります」
「待つのじゃ。これがなければあそこの扉は開かぬじゃろ?」
ようやく使用許可が下りた惚れ薬を取りに行こうとしたトビアスだが、アーデンベル先生に呼び止められ、彼が左手にはめていた指輪を渡された。
「おお、そうでしたな。禁庫に入るには先生の指輪と儂のこれが必要なのを忘れておりましたじゃ。…年は取りたくないですの~」
指輪を受けとったトビアスは、懐から銀の鎖につながれた鍵を取り出してみせた。
後で聞いたのだが、魔術学校の禁庫を開けるには、アーデンベル先生の指輪とトビアスの持つ鍵が必要だった。なぜアーデンベル先生の指輪かというと、やはり彼が魔術学校で一番古参の先生だからである。
「まだ惚ける年齢ではあるまいに…」
「いやいや、エルフであるアーデンベル先生と違って、こちらはそろそろお迎えが来ても不思議ではありませんので」
そう言って白い顎髭を撫でると、カッカッカッと笑ってトビアスは作業場を出て行った。
トビアスが出て行った後、作業場に残された子猫とアーデンベル先生は手持ち無沙汰な感じでその場にたたずんでいた。
その静寂を破ったのは、今まで無言であった仮面の少女であった。
「アーデンベル……先生」
彼女が唐突にアーデンベル先生の名を呼んだのだ。
「…なんじゃ?」
訝しげな顔でアーデンベル先生は仮面の少女の方を向くと、彼女は
「…私を逃がしてもらえませんか?」
ととんでもないことを言い出した。
(ちょっ! 何言っているんだ彼女は?)
子猫は驚きの余り、口をポカンと開けて少女を見つめてしまった。
「……この状況で、何を言い出すのかと思えば。なぜ儂がお主を逃がさねばならぬのじゃ」
アーデンベル先生はあきれた様子で少女に言うが、
「その理由は…今は話せませ…話せない。だけど、ここで私の正体が校長先…校長にばれると、この国に取ってまずい状況が起きるの…起きるわ」
仮面の少女はそう答える。
(クラリッサを狙う暗殺者の正体がばれると、この国にまずい状況が訪れる? 嘘をつくにも程があるだろ。アーデンベル先生、まさかこんな嘘に引っかからないよな)
子猫は、仮面の少女とアーデンベル先生のやり取りを、息をのんで聞くことにした。
「この国に」と聞いて、アーデンベル先生の眉が一瞬ピクッと動いたが、
「…やれやれ、この国とは大きく出たもんじゃ。たかが暗殺者風情が大言壮語を吐くものじゃな」
当然ながら仮面の少女の言葉を信じる理由もなかった。
「お前さんの言うことが本当じゃとしても、正体を知るのは儂と校長の二人じゃ。この国に関することなら尚更校長…トビアスに知って貰わなければならぬじゃろう」
「その、校長先生…校長に知られるのが困るのです。お願いですアーデンベル先生、何も言わずに私を逃がしていただけませんか」
焦っているのか、徐々に仮面の少女の声が大きくなっていく。
「ふむ、エルフな儂にとってはこの国の政治には全く興味がないのじゃが。儂が錬金術を極めるためにはこの国の魔術学校は必要じゃ。それに影響があるようなら確かに困る。じゃが、それよりも儂にとってはお前さんの正体がトビアスに知られると不味いということの方に興味をそそられるのじゃ」
しかし仮面の少女の訴えは、変な方向でアーデンベル先生の興味を引いてしまったようだった。「ふふふっ」とアーデンベル先生は口元に薄笑いを浮かべていた。
「そ、そんな…」
アーデンベル先生の様子を見て仮面の少女が焦った声を上げる。
「お主も聞いておったじゃろ。トビアスはお前さんに惚れ薬を使うつもりじゃ。そうなればお主は全てを話してしまうことになるじゃろう。それが嫌なら、あきらめて自ら正体を明かすことじゃな。…そう、今なら儂しかおらぬ。まずは儂にだけ正体を明かせばよいじゃろう」
アーデンベル先生は意地悪く微笑む。
「そ、それは…」
アーデンベル先生の提案に仮面の少女は言葉を詰まらせた。
「ほれ、サッサと決めぬと、トビアスが戻ってくるぞ」
「クッ、どうせこのままでは正体がばれてしまう。校長先生よりアーデンベル先生なら、…。分かりました、今から私の正体を明かしますので」
仮面の少女はあきらめたのか、自ら正体を明かす事を決断したのだった。
(おお、正体を明かす気になったのか)
子猫は仮面の少女の正体を見るために慌てて手近の棚に駆け上った。
「正体を明かすと言っても、その状態では仮面は脱げぬじゃろ。どうするつもりじゃ? 言っておくが言葉で儂を丸め込むことはできぬぞ?」
仮面の少女は岩石巨人に拘束され身動きが取れない状況である。岩石巨人は、トビアスの命令しか聞かないタイプのため、アーデンベル先生には彼女の拘束を解くように命じることはできなかった。
「大丈夫です。…仮面よその秘められし力を沈めたまえ…フェイスオープン!」
仮面の少女がキーワード呪文を唱えると、仮面から魔力が抜けていくのが感じられると同時に、仮面そのものが消えていった。それと同時に紅色の髪の毛の色も黒く変わっていく。
そして、作業台の上に横たわっていたのは、黒髪の少女、メグ・シュタインベルグであった。
「君は、確かメグ・シュタインベルグ嬢だったな。…確かシュタインベルグ家は男爵家…その寄親はバーノル伯爵じゃったな」
アーデンベル先生は仮面の少女の正体がメグだったことに一瞬驚いた様子だったが、すぐに彼女の出自を諳んじていた。
一方子猫の方は、
(ええっ、仮面の少女がメグ?)
と混乱していた。
メグ・シュタインベルグはラフタール王国の南西に位置するバーノル伯爵家に使える男爵家の令嬢である。魔術学校には貴族子女としての行儀作法と魔法を習うために入学している。
子猫とクラリッサ、リュリュが入学した際に、女子寮への案内をしてくれた、世話好きの先輩という印象の女子生徒である。
(どうして彼女が暗殺者で、クラリッサの命を狙うんだよ~)
そんなメグが、仮面の少女で、暗殺者であったとは子猫には全く信じられなかった。
「アーデンベル先生は私の名前を覚えていてくださったのですね。それにシュタインベルグ家の寄親のことまで知っておられるとは」
一方メグは、アーデンベル先生が自分の名前と出自を知っていたことに驚いていた。
「儂は授業に出席した生徒の名前と顔ぐらい覚えられないほど老いてはおらぬのじゃ。それにシュタインベルグ家の現当主…つまりお前さんの父親を教えたことがあるからの」
アーデンベル先生はさも当然という感じであった。
「先生が私のことをご存じなのであれば…先ほど私が言ったこともご理解いただけると…」
メグがそう言うと、
「い、いや、儂はシュタインベルグ家がどういう立場かは知っておるが、なぜその娘が学校で暗殺者のまねごとをしているかは分からぬぞ?」
と、アーデンベル先生は首を横に振るのだった。
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