猫は説得する
『惚れ薬が学校にあるのですか』
『そうじゃ。それを使えば、この状況を打破できるかもしれんのじゃが…』
『それなら…』
『魔法学校は、当然惚れ薬を禁忌の魔法薬としておる。その存在を知る者も儂以外にはもう一人しかおらぬのじゃ。そして惚れ薬を使用するには、その一人の…あの先生の許可が必要なのじゃ』
そう言ってトビアスは溜め息を付いた。
『校長であるトビアスが許可を求めなきゃいけない先生とは?』
『…アーデンベル先生じゃ』
『…なるほど』
アーデンベル先生は、エルフの癖に魔法や錬金術に興味を持った変わり者で、魔法と錬金術を極めるために魔術学校やって来た。外観は20代の若者だが、実は300歳であり魔術学校で一番高齢な先生である。
アーデンベル先生は錬金術者なので、魔法薬にも詳しい。それにこの学校で一番の年長者…つまり魔術学校のお局的な存在であるである。彼が、惚れ薬の存在を知っており、その使用許可を出す立場にあっても不思議では無い。
『では、アーデンベル先生に許可をもらってくれば良いのですね』
『それが簡単に出来るなら…苦労はせんのじゃが』
椅子の上でトビアスは頭を抱えていた。
(トビアス、アーデンベル先生が苦手なのか?)
二人の年齢を考えると、トビアスが魔術学校に在籍していたとき、アーデンベル先生の教えを受けていたのだろう。つまりトビアスの学生時代をアーデンベル先生は知っているのだ。それにトビアスの師匠であるエーリカとアーデンベル先生はライバル同士である。そのようなことが、トビアスのアーデンベル先生に対する苦手意識になっているのかもしれないと子猫は考えた。
『…分かりました。僕がアーデンベル先生に許可を貰いに行きます』
『お前さんが?』
『はい、アーデンベル先生とも面識がありますし、…それに今回の件は基本的には僕とクラリッサの問題です。僕が許可を貰いに行くのは当然かと』
『…うむ。そこまで言うならお願いするかの』
トビアスはホッとした表情となった。
◇
子猫は惚れ薬の使用許可が欲しい旨の申請書をトビアスに書かせると、それを咥えてアーデンベル先生の元に向かった。
アーデンベル先生の研究室…年季の入った木の家屋の前に辿り着いた子猫は、ノッカーを魔法の手で叩く。しかし、前に来たときと同じように返事は返ってはこなかった。
扉を押すと、やはり鍵は掛かっておらず、ギィ…と音を立てて開いた。
月を見上げて時刻を確認すると、およそ午前4時と言った所であった。普通の人であれば未だ眠っている時間である。
「にゃ~」(入りますよ~)
子猫はそう鳴くと研究室に入っていった。
リュリュと一緒に来た時と同じ道を通り、アーデンベル先生が居た…研究室と思わしき部屋に向かった。
(明かりが灯っている? アーデンベル先生、起きているのかな)
前と同じく部屋の明かりが灯っており、そこに人影がチラチラと映っていた。
「みゃーん」(先生?)
「ん? 君はエーリカの使い魔の猫か。こんな時間に何用じゃ? 儂は今は手が離せないのじゃが…」
アーデンベル先生は、錬金術の秘薬を作成中なのか部屋の中央の巨大な鍋をかき回して灰汁取りを行っているようだった。
『おきてくださってたすかります。これをみてください』
子猫は咥えてきたトビアスからのメッセージを渡そうとしたのだが、
「先程言ったじゃろ。儂は今手が離せないのじゃ」
と受け取ってもらえなかった。
(ぬぅ。これは困った)
『これを見て下さい』
仕方なく、子猫はトビアスからのメッセージをプラカードに表示したのだが、アーデンベル先生ちらりと見ただけで、直ぐに灰汁取りの作業に戻ってしまった。
「にゃ~」(見て下さいよ~)
その素っ気ない態度に、腹が立った子猫は、思わずアーデンベル先生の足下をカリカリとひっかいてしまった。
「ええぃ。今は猫の手も借りたいという状態なのじゃ。今灰汁を綺麗にとらねば、この妙薬は完成せぬ。明日の…いや既に今日か…そう、今日の昼まで待つのじゃ」
アーデンベル先生は、それでも懸命に鍋をかき回して灰汁を取る手を止めなかった。
(猫の手も借りたいとか…俺に対する挑戦だな。こうなったら猫の手の力を見せてやるぞ~)
アーデンベル先生の態度に子猫ムカッときてしまい、彼の手伝いを行うことに決めたのだった。
「みゃーみゃー」(クリエイト・インスタントゴーレム)
ポケットからオークの小切れを取り出すと、木小人創造の魔法を唱えて木製の小さなゴーレムを二体作り出した。
「おい君、インスタントゴーレムなど作って、何をするつもりじゃ?」
突然現れたインスタントゴーレムに、アーデンベル先生が驚きの声を上げた。
『こうするのですよ』
子猫は一体のインスタントゴーレムに命じて、鍋の中身を一定の速度でかき回させる。すると中央に灰汁がたまり始めた。
『あとは、これをつかえば』
ポケットから子猫は白い紙の束を取り出した。
「な、何じゃそれは?」
アーデンベル先生が、子猫の取り出した紙の束に驚く。こちらの世界では未だに書き物は羊皮紙に書くのが主流であり、筆記に使えるような実用的な紙は発明されていない。アーデンベル先生であっても、これほど質の良い紙は見たことが無いだろう。
もちろん、この紙は書き物用ではなく、キッチンペーパーのような吸水性の良い紙で、料理に使おうと精霊人にお願いして作って貰ったものだ。
子猫は、もう一体のインスタントゴーレムに命じて、紙を鍋に投入させた。
これは日本じゃよく知られている料理での灰汁取りの技であるが、もちろんこちらの世界ではキッチンペーパーが無いのでそんな事をアーデンベル先生が知り得るはずも無い。
「鍋に紙を入れるとは、何ということをしてくれるのじゃ!」
アーデンベル先生が突然鍋に紙を入れられて狼狽した声を上げる。
しかし子猫は悲鳴を無視して、紙に灰汁が全て吸着するのを待ってから、インスタントゴーレムに紙を引き上げさせた。
『みてください。これであくとりはおわりです』
子猫がどや顔で示した鍋の中には、灰汁が取れた済んだ溶液ができていた。
「はあぁ? 一体お主は何を言っておるのじゃ。こんな事で灰汁が取れるわけが……おお、綺麗にとれてるのじゃ~~!」
慌てて鍋の中を確かめたアーデンベル先生は、灰汁取りの結果をみてあごが外れんばかりに驚いていた。
◇
子猫が披露した料理の灰汁取りテクニックによって本来ならお昼までかかるはずの秘薬の作成は終わってしまった。それで、ようやくアーデンベル先生は、子猫の話を聞いてくれることになった。
「それで、儂に何用じゃ。儂としては秘薬の効果を早く確かめたいのじゃが…」
『これを見て下さい』
子猫は、ようやくトビアスからのメッセージを手渡すことが出来た。
アーデンベル先生はその内容をざっと見て、
「却下じゃ」
と羊皮紙を鍋を掛けていた炉の火にくべて燃やしてしまった。羊皮紙は瞬く間に灰となり、辺りに皮が燃える何とも言えない嫌な臭いが立ちこめた。
『じじょうがあるのです。どうしてもほれぐすりがひつようなのです』
と子猫はウルウルとした瞳でアーデンベル先生を見上げてお願いしたのだが、子猫の必殺ポーズにもアーデンベル先生は態度を変える様子は無かった。
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