猫は少女と戦う
「そんな、獣人が魔法を使うなんて」
落下制御の魔法による壁登りを真似された彼女は驚きの声を上げる。
この世界では、獣人は魔法を使えないというのが常識で有ある。仮面の少女は、壁を登って獣人の少年から逃げ切ったと思っていたのだろう。
「追いついた!」
女子寮の城壁の上で、獣人の少年と仮面の少女は対峙することになった。
仮面の少女は、腰からナイフを抜き構えた。ナイフの表面は何か塗ってあるようで月明かりに茶色く光っていた。それに対し、獣人の少年は腰から小太刀を抜き、身構えた。
(毒のナイフ…さすが暗殺者というべきか。武器のリーチは小太刀が有利だけど、どんな毒が塗ってあるか分からないからな。即効性の致死毒なんて塗られてるかもしれないよな)
獣人の少年は、毒のナイフを警戒し慎重に仮面の少女との間合いを詰めていく。対して仮面の少女は城壁の上をジリジリと下がっていった。
「インビジブル・ボルト」
再び、仮面の少女は半無詠唱で不可視の矢を放った。
「おっと」
今回は獣人の少年は魔法が来ることを予想していた為、ギリギリで不可視の矢を避けることが出来た。しかし、近距離から放たれた不可視の矢を避けるために俺の体勢は大きく崩れた。そこを突いて仮面の少女がナイフを構えて飛び込んできた。
城壁の上は五十センチ程の幅しか無い。体勢の崩れた状態では仮面の少女のナイフを避けるのはほぼ不可能であった。後は城壁の下に飛び降りるぐらいしか手は無いのだが、落下制御の効果時間はとっくに過ぎている。飛び降りれば地面に激突してしまうだろう。
「落ちなさい!」
仮面の少女は、毒のナイフを避けて獣人の少年が城壁から落ちると思っていた。
獣人の少年はその期待を裏切らず、ナイフが当たる直前で、「エィ」とばかりに城壁から身を躍らせた。
(でも俺にはこれがあるのさ)
もちろん獣人の少年は、このままでは下に落ちてしまうつもりは無かった。獣人の少年には魔法の手という奥の手がある。背中から伸びた魔法の手が城壁にしがみつくと、獣人の少年は振り子のように弧を描き再び城壁の上に舞い戻っていた。
ストンと降り立った獣人の少年は、背中を向けている仮面の少女に斬りかかった。
「貴方何をしたのよ!」
落ちたと思った獣人の少年が再び城壁の上に舞い戻ったのを見て仮面の少女は驚く。そして小太刀の攻撃を何とかナイフで受け止めた。
(魔法は唱えないか。思っていた通りだな)
ここまでの状況で、俺は仮面の少女が半無詠唱で魔法を使えるカラクリを有る程度見破っていた。
半無詠唱で使うことが出来るのは今の所不可視の矢だけで、落下制御の方は、呪文を詠唱していた。つまり半無詠唱な魔法は限られているのだ。
また、無詠唱の特徴は、詠唱時間をほぼ0に出来る事なのだが、先程不可視の矢を放ったときは、普通に詠唱するのと同じぐらいの溜め時間があった。つまり声に出さないだけで、発動には有る程度の時間が必要と俺は踏んでいた。
(こうやって攻撃を続けていれば、仮面の少女は魔法が使えない…はず。このまま剣技で押して、捕まえよう)
仮面の少女のナイフ捌きは、冒険者で言えば下級の上という所であった。つまり俺が殺すか大怪我を負わせるつもりならとっくに勝負は付いていた。
しかし、俺としては仮面の少女を生かして捕らえて背後関係を聞き出したい。俺は仮面の少女がギリギリナイフで捌けるレベルで小太刀の攻撃を行っていた。俺が手加減をしていることが分かっているのか、仮面の少女から焦っている気配が漂ってきた。
(どうやって無力化するかだけど…麻痺の魔法は効かなかったんだよな~)
相手を無力化して捕らえるなら麻痺の魔法が一番なのだ。しかし、これまで二度俺は、麻痺の魔法を仮面の少女に唱えたが、全て失敗していた。
麻痺の魔法は、唱えれば必ず効果が現れるとは限らない魔法である。俺が眠りの粉魔法に耐えたように、魔法が来ると分かっていればレジストすることは可能だ。
しかし、俺が仮面の少女に麻痺の魔法を唱えた時、俺は子猫の姿だった。つまり呪文は聞き取れないため、仮面の少女は麻痺の魔法が唱えられていると分からないはずなのだ。
その状態で二回も麻痺の魔法にレジストする事はあり得ない。つまり仮面の少女は何らかの抵抗手段を…おそらくは対魔法防御のマジックアイテムを所持していると俺は考えていた。
(指輪とか護符とか有りそうだけど…やっぱりあの白い仮面が怪しいよな~)
仮面の少女が付けている仮面は、単に顔を隠すためにしては大仰すぎるものだ。白い石で作られた仮面は、某漫画で被ると吸血鬼になってしまうような意匠では無く、のっぺりとした物である。目と鼻の部分に小さな穴が開いており、口元は笑みを浮かべた意匠で穴は開いていない。
重さも相当ありそうだし、視界も限られ息もし辛いはずなのだが、仮面の少女の立ち振る舞いはそんな風には見えなかった。
俺は小太刀を振るいながら仮面の少女を観察していたが、一方仮面の少女の方は、小太刀をナイフで受け止めるだけで精一杯という感じであった。
(このまま小太刀で押しても勝てるかな? いや、相手は暗殺者だ。いよいよとなったら、何か仕掛けてくるだろう。そうなる前に決着をつけよう)
そう考えた俺は、尻尾を振ると小声で魔法を唱え始めた。
「この状況で魔法の詠唱?」
耳聡く俺の詠唱を聞きつけた仮面の少女が、疑問と驚きの声を上げた。
仮面の少女が驚くのも無理は無い。魔法の発動には手で魔法陣を描く必要があるのだが、剣で戦いながらそんな事が出来る人はいない。しかし獣人形態の俺は、尻尾で魔法陣を描くことで、剣で戦いながら魔法を使うことができるのだ。
「…この者の心を揺さ振りたまえ~」
俺が唱えたのは、"好奇心の増大"の奇跡である。通常の魔法と異なり、神の力を借りる神聖魔法は、レジストするのが難しい。また魔法をレジストするには、魔法の内容を知っている必要があるのだが、"好奇心の女神"の特殊魔法である"好奇心の増大"の奇跡の効果について、仮面の少女が知っている訳も無い。
("好奇心の女神"がマイナーな神で助かったぜ)
俺の詠唱が終わり、魔法が発動する。俺は一旦小太刀を引くと、後ろに下がる。
「一体何をしたの? もしかして魔法を失敗したのかしら。そりゃそうよね。あんな状況で魔法が使えるわけは無いもの」
仮面の少女は、魔法が失敗したことで俺が攻撃を止めたと思ったのだろう。声に嘲りが含まれていた。
「ちょっ、後ろ後ろ!」
しかし、俺が仮面の少女の背後を指差してそう叫ぶと、"好奇心の増大"の奇跡に掛かってしまった彼女は、「えっ、何?」とクルリと後ろを向いてしまった。
ゴン!
後ろを向いてしまった仮面の少女の後頭部に小太刀の峰が綺麗にヒットする。仮面の少女は崩れ落ちるようにその場に倒れしまった。
「おっと、危ない危ない」
気絶して城壁から落ちそうになる仮面の少女を俺はキャッチすると、魔法の手を使って地上に降り立った。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
お気に召しましたら、ご感想・お気に入りご登録・ご評価をいただけると幸いです。誤字脱字などのご指摘も随時受付中です。