猫は暗殺者と対峙する
猫缶もどきの夕食を食べ終えた子猫は、消灯前の騒動が終わるのを寝床に寝て待っていた。暫くすると消灯時間の声が掛かり、生徒達は部屋に入っていく。そして寮の中を静寂が包んだ。
(そろそろクラリッサの所に向かっても大丈夫だな)
魔法の手で扉をそっと開けて、子猫は廊下に出る。消灯された寮の廊下は星明かりしか無いが、子猫には問題ない。
人気の無い廊下を進み階段を降りて子猫は、寮長室の前に辿り着く。
(二人は…もう寝たようだな)
寮長だからこそなのか、ジュンコさんは消灯時間をきっちり守っていた。寮長室の明かりは消えており、中から二人の寝息しか聞こえてこなかった。
(暗殺者は日中俺に見つかっているし、今日は窓から侵入することは無いだろう。もし窓から侵入してきても、ミームがいる。子猫が中に入る時間は、稼げるだろう。
そうなると、子猫は廊下の扉の前で見張りをすることになるけど…)
寮長室の扉の側で丸くなって見張りに付こうとしたが、そこで少し子猫は考え込んだ。
(このままここで見張っていたら、結局敵が襲って来ないだけだな。襲撃者の来襲をじっと待つのは面倒だ。一つ仕掛けてみるか…)
子猫は暗殺者を誘き寄せるための仕掛けを張ることにした。
◇
そろそろ月の明かりもピークを過ぎ、時刻は丑三つ時…午前二時を回った頃。寮長室の扉の前では、寝ずの番をしているはずの子猫が丸くなって眠っていた。
カサ…カサ
廊下端から何かが這いずる音が聞こえる。しかし子猫目を覚まさない。そして暗い廊下を進んできたのは、一匹の小さなネズミだった。
「チュゥチュゥ」
ネズミは、眠っている子猫を見て小さく鳴く。その鳴き声と供にネズミに魔力が集まり、子猫の周りにキラキラと光る粉が舞い散った。
このネズミはただのネズミでは無く、魔法使いの使い魔だった。光る粉は、使い魔を通して唱えられた眠りの粉魔法であった。
もちろん眠っている子猫が、眠りの粉魔法に抵抗できるはずも無く、光る粉を吸い込んだ子猫は、魔法の眠りに囚われてしまった。
「チチッ」
ネズミは近寄るとペシペシと子猫を叩いた。眠りの粉魔法で眠らされている子猫はそんな事では目覚めず、グーグーと眠り続ける。
子猫が完全に眠っていることを確認したネズミは、廊下の窓に駆け上がりその鍵を外した。
「チュッ」
鍵が外れネズミが小さく鳴くと同時に窓が開けられ、小柄な女性が外から入ってきた。入ってきたのは、白い石の仮面を被った黒いレオタードのような服を着た少女…そう昼にやってきた暗殺者であった。
「良くやったわね」
仮面の少女は、ネズミにねぎらいの言葉を掛け、そっと自分の肩に乗せた。彼女は眠っている子猫を一瞥すると、その脇を抜けて寮長室の扉の前に立った。
「部屋の中には巨人がいるから私は入れないわ。貴方が部屋に入って、あの子を殺してくるのよ」
寮長室の扉には鍵が掛かっていた。しかし仮面の少女は懐から鍵を取り出す。どうやって入手したのか不明だが、それは寮長室の扉の鍵だったようで、彼女は扉を開けると、肩のネズミを部屋の中に送りだそうとしたその時、仮面の少女は何かに気付いたのか、ふっと廊下の奥に顔を向けた。
「気付いたのか」
廊下の暗がりから仮面の少女に声が掛けられた。声を掛けられて、ビクッと仮面の少女の身体が震える。
仮面の少女が見やった廊下の奥には、一人の獣人の少年が立っていた。
「まさか、今晩やって来るとは思わなかったな…」
「あなた、誰?」
仮面の少女は、突然現れた獣人の少年に驚いた様子で声を掛ける。
「…正義の味方…かな?」
それに対して獣人の少年は若干首を傾げて、疑問系で答えた。
「ふざけたことを!」
仮面の少女の表情は見えないが、その声に怒りがこもっていた。
「…今のは冗談だよ」
そう言った獣人の少年と仮面の少女の視線が交差する。
先に動いたのは獣人の少年であった。獣人の少年は仮面の少女に向かって駆け出した。仮面の少女との距離は十メートルほど。獣人の少年は、あっという間に仮面の少女に手が届く距離まで間合いを詰めた。
それに対して仮面の少女はまるで抵抗を諦めたかのように棒立ちだった。
「逃げないのか?」
獣人の少年が仮面の少女を捕まえようと手を伸ばしたその時、
「インビジブル・ボルト」
仮面の少女から力ある言葉が発せられる。それと同時に少女と獣人の少年の間に不可視の矢が現れると、矢はまっすぐ少年に向かって放たれた。
「何ですと!」
仮面の少女による魔法の発動から、魔法の不可視の矢が獣人の少年に向かって進み出すのにコンマ数秒という短いタイムラグがあった。獣人の少年はその一瞬の間に身体を逆エビにのけぞらせ、矢を間一髪で回避することに成功した。しかし無理な体勢で回避したため、獣人の少年はそのまま仰向けに倒れてしまった。
「そんな、不可視の矢を避けるなんて」
一方仮面の少女は、必殺の魔法を避けられた事で驚く。しかしそれも一瞬で、獣人の少年が体勢を崩している隙に、仮面の少女は窓に向かって走り出した。
「糞、待て!」
窓から逃げ出した仮面の少女を追いかけて獣人の少年も窓から外に飛び出した。
◇
「逃がすか!」
窓から庭に飛び降りた獣人の少年は、仮面の少女を追いかけて走り出した。
そう、扉の前で眠っていたのはダミー人形で、獣人の少年は変成の魔法で俺が変身した姿であった。なぜ俺が獣人に変身しているかだが、それは仮面の少女を近接戦闘で捕まえるためである。
子猫の姿では仮面の少女を捕まえるのに魔法を使うしか無い。しかし昼に戦ったとき、仮面の少女には麻痺の魔法は効果が無かった。もし仮面の少女に魔法が効かないとなると、近接戦闘で捕まえる必要がある。そこで子猫は獣人に変身して待っていたのだ。
(まさかあの状態で気配を察知されるとは思わなかった。それに魔法を無詠唱で…いや、最後は叫んでいたから半無詠唱って感じだけど、アレもやばかった)
追いかけながら俺は仮面の少女の実力に驚きを隠せなかった。俺は完全に気配を消して廊下の陰に隠れていたのに、攻撃を仕掛ける際の僅かな気配を察知されたのだ。それに仮面の少女は半無詠唱で不可視の矢を放った。詠唱があれば魔法を使うことが分かるが、最後の力ある言葉だけで発動されると避けることも至難の業だろう。
今回俺が不可視の矢を避けることができたのは、魔法の発動に伴う魔力の高まりを感じていた事と、獣人の瞬発力のおかげである。
そんな事を考えている間に仮面の少女は、獣人の少年に勝るとも劣らない脚力を発揮し女子寮の裏手にある庭を駆け抜け城壁に向かっていった。
(このまま進んで、また寮の城壁を駆け上がるつもりか? 今度は逃がさないぞ)
仮面の少女は城壁に駆け寄ると、昼と同じく落下制御を唱えた。
「マナよ我が身大地の束縛から解放したまえ」
暗殺者は、昼と同様に城壁を駆け上がっていった。
(それは想定済みだ!)
獣人の少年も仮面の少女と同様に落下制御を唱えると、壁を駆け上がっていった。
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