猫の夢破れる
『どのような知識かというとですね…』
子猫の質問に"好奇心の女神"は考え込んだ。
『…そうですね。例えば、地球の農業についての知識は危険ですね』
「にゃっ? 農業の知識だって!」
いきなり農業の知識と聞いて、子猫は驚きの余り尻尾がピンと立てて鳴いてしまった。
「…どうして、農業の知識が不味いんだ。作物が豊富になれば人口も増えてこの世界が豊かになる。そうすれば魔力も増えて神々にとっては良いことずくめだと思うが?」
しかし、"好奇心の女神"は首を横に振ると、その理由を話し始めた。
『農業の知識といっても色々ありますが、問題なのは人口が増えることなのです』
「人口が増えることが…不味いのか?」
『ええ、人口だけが増えるのは不味いのです。…農業を行うのは人間やそれに近い種族です。人に近いと言ってもエルフや獣人はほとんど農業をしません。もちろん魔獣が農業を行うこともありません』
「まあ…そうだよな。って、エルフは農業しないのか…」
後で知り合ったエルフに聞いたのだが、自然な状態を尊ぶエルフは、管理された植物の育成は不自然だと思っているため農業を行わないとのことだった。
閑話休題
『つまり、農業が盛んとなり、食料が増えるとしても、その恩恵を受けるのは人間がほとんどだということです。つまり、この世界において人間が増えていくことになるでしょう。そして、人口の増加がさらなる食糧増産の要求を招き、それによって通常の森や魔獣の森の伐採によるエルフや獣人達の迫害や魔獣の減少が起こるでしょう。そのような生態系の偏りは、魔力のバランスを崩す元となるのです』
(確かに、この流れは地球で既に起きているよな。焼き畑による森林の減少によるCO2の増加…こっちは魔力の減少になるのかな。神々は地球の状況を良く理解しているな)
地球の状況を知っている子猫は、"好奇心の女神"の説明に頷いてしまった。
「…なるほど。つまりこの世界はエコスフィアなんだな」
エコスフィアとは、 NASAが開発した閉じたガラス球に海水、空気、エビ、微生物、海草などを密封したもので、太陽光さえ与えてやればエビは何年も生きていくという閉じた生態系を形作っている。しかし、エビが死んでしまったり、何らかの要因で微生物が増減してしまうとあっという間に生態系が崩れ中の生命は死に絶えてしまう。
この世界…神々の箱船もエコスフィアと同様に生態系のバランスをとらないと、あっという間に魔力バランスが崩れ崩壊してしまうのだろう。
『ええ。良い例えだと思います』
「農業系の知識は不味い事は分かった。…人口の増加とか、生態系のバランスとか問題になるとすると、産業革命以後の機械技術も駄目かな?」
『そうですね。個人とかの限られた範囲であれば良いのですが、大々的な物はタブーとなっています』
俺がいつか実現しようと思っていたのは、蒸気機関であった。本当は蒸気機関より内燃機関を作りたいのだが、内燃機関は構造も複雑で、製作には精度の良い工作機械が必要だ。もし精霊人に頼んで作ってもらったとしても、燃料である石油がこの世界に存在するのか不明である。
それに比べて蒸気機関は構造が比較的簡単で有り、水と熱源さえあればこの世界の鍛冶屋のレベルで作り出すことが可能だ。蒸気機関の熱源としては、石炭が無ければ炭か薪で、もしくは魔法のアイテムを使ってと考えていたが、炭は森林資源を浪費し、魔法のアイテムは魔力を消費する。つまり蒸気機関を大規模に利用し始めると生態系又は魔力のバランスに影響を与えてしまう。
(個人使用ならそれほど問題は無いかも…。いや、蒸気機関の構造はコピーが容易だ。もし構造が知られたらきっと模倣する奴が出る。やっぱり諦めるしかないのか)
子猫は、スチームバンクの夢が破れて、ケージの中でガックリとうなだれるのであった。
◇
その後も続けて、"好奇心の女神"から問題となりそうな知識・技術に付いて聞き出したのだが、「やはり不味いだろう」と俺が思っているような技術…例えば火薬や兵器など…はやはりタブーとなっていた。また、それ以外にも魔力によって化学反応や物理法則が異なってしまうことで、実現できない知識・技術もあることを俺は知ることができた。
その一例が、魔法金属やウランなどの放射性物質の扱いだった。
『地球にある放射性物質ですが、こちらの世界では全く別な物質となっています』
「元素が変わってしまうのか? そういえばミスリルとかオリハルコンとか魔法的な物質があるんだから、当然か」
『ええ、こちらの世界では物質が魔力を帯びることでその性質が変わるのです。そのため地球の元素周期表は全く役に立たないでしょう』
例えばミスリルは銀に魔力を高温高圧の条件下で加えることで生まれる。地球の物理の考えでは、銀に魔力を加えるのだから質量は増えると思ってしまう。しかし実際には、ミスリルは銀に比べ軽くなっている。じゃあ、魔力を加えれば軽くなるのかと言えば、鉄に魔力を反応させて作られるアダマンタイトは、鉄の数倍の質量となってしまう。増えた質量は何処から来たのかと女神に問うと、『魔法で何も無い所に火や水が生じるのだから、魔力で質量ぐらい増えても不思議ではないでしょう』と答えてくれた。
「なんといい加減な」と俺は突っ込んだのだが、実のところ"好奇心の女神"にも魔力の作用は説明できないとのことだった。
『上級神様なら知っておられるかもしれません』
と"好奇心の女神"は苦笑いしていた。
◇
"好奇心の女神"に質問を重ねていた子猫だったが、次第に身体が透けてきたことに気付いた。
「にゃっ? 透けてきた!」
『ああ、プルートさん、そろそろお目覚めの様ですね』
どうやら、身体が透け始めたのは本体の身体が目覚める兆候のようだった。
「もっと色々と尋ねたいことがあったけどタイムアップか~。仕方がない、また今度聞かせてくれ」
半透明になりながら、子猫は"好奇心の女神"にそう言って手を振った。
『次にお呼びするまでにもう少し、私の信者を増やして下さいね~』
"好奇心の女神"はそう言い返して手を振っていた。
「(それは…保証…でき…ない…)」
そこまで叫んだところで、子猫の意識は暗転した。
◇
「うにゃー」(ふぁーぁ)
ベッド替わりの籠から降りた子猫は、あくびをしながら大きく伸びた。部屋の中は明かりが消されており、リュリュは既にベッドに潜り込んで眠っていた。
耳を澄ますと、部屋の外でバタバタと多数の足音が聞こえる。
(そろそろ消灯時間かな?)
侍女やメイド達が、主人の就寝の準備に走り回っているのだ。
(動くのは、消灯時間になってからだな)
そう考えていたら、「ぐ~」と子猫のお腹が鳴ってしまった。
(そういえば、夕飯を食べ損ねてたな~)
もちろん食堂もカフェも開いていないので、子猫はポケットからこういう時のための非常食を取り出した。
(精霊人に作って貰った缶詰だけど…マグロというかツナ? コレじゃ猫缶じゃないか)
何となく釈然としない気分で、缶詰の中身を皿にあけ子猫は遅い夕食を食べ始めた。
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