猫に「あ~ん」しても、恥ずかしくは無い
その後、何事も無く女子寮に俺達は辿り着いた。寮が見えてきたところで、ドロシーはクラリッサ達と別れると、人目を忍んで近くの茂みで子猫の姿に戻っると寮に戻った。
猫のままでは扉が開けられないので、子猫はしばし扉を開けてくれる人が来るのを待つことにした。
(メグ?)
十分ほどしてやって来たのは寮生のメグだった。彼女が扉を開けるのを待って、子猫はその横をすり抜ける。
「きゃっ! 何、猫さん?」
メグの悲鳴が聞こえたが、子猫はそれを無視して階段を駆け上がり二階の部屋に向かった。
「にゃ~」(開けて~)
「プルート、お帰りなさい」
部屋のドアの前で一鳴きすると、クラリッサが待ち構えていたようにドアを開けて中に入れてくれた。
「子猫ちゃん、何処行ってきたの? 勝手に出歩いちゃ駄目でしょ」
リュリュは子猫を抱きかかえると、「勝手に彷徨いては駄目だよ~」と叱ってきたが、子猫が「ニャ~」と可愛らしく鳴いてスリスリとしてやれば、あっという間にの魅力にデレデレ状態となってしまった。
(フフ、チョロいぜ)
リュリュの追求をかわした子猫は、図書館の帰り道で待ち伏せ(?)ていた人物はいったい誰だったのだろうかと考えていた。
(あの素人丸出しの待ち伏せを考えると、矢を打ち込んだ犯人とは違うだろう。ましてや入寮日に俺達を襲った暗殺者でもないよな。ジャネット達の可能性は…決闘の状況を考えるとありえない。そうすると、また違った勢力が俺達を狙っていることになるのか)
今日待ち伏せていた者は、ドロシーの姿を見て驚いていた。つまり、ドロシー又はコーズウェル公爵家と事を構えたくない勢力なのだろう。
(ドロシーと事を構えたくないとしたら、この国の貴族が怪しいな。そうなると、狙われたのはリュリュなのかもしれないな)
子猫の推理は、リュリュに抱きかかえられて食堂に連れて行かれるまで続いた。
「猫ちゃん、ミルク持ってきたよ~」
リュリュが子猫の前に夕食の人肌に温めたミルクを持ってきた。リュリュとクラリッサはパンとスープと白身魚のムニエル、そしてゆでた野菜というメニューだった。
「なーなー」(魚おいしそー)
「プルートも魚を食べたいの? じゃあ、あーん」
ムニエルを見て鳴く子猫を見て、クラリッサがムニエルを切り分けてくれた。人間の男女であれば気恥ずかしい「あーん」だが、子猫とやるのは周りからみて可愛いだけである。
子猫が大きく開けた口に、クラリッサは小さく切り分けたムニエルを押し込んでくれる。
ムギュ、ムギュ、ムギュ、ゴックン
こちらの世界では冷蔵庫が無いため、海から遠い街で食べられている魚は川魚ばかりである。今まで鯉や鮒に似た魚を食べたことがあったが、泥臭くてあまり美味しくは無かった。しかし、女子寮は口の肥えた貴族の子女が集う場所である。食堂とはいえ調理人の腕も良く、出てくる料理の味も良い。
(このムニエル上等なバターを使っているな。しかも皮の部分がパリパリで良い感じだ)
ムニエルが子猫の口に合ったと分かったのか、クラリッサは続けて「あーん」してくれた。子猫は子猫らしからぬ健啖家ぶりを発揮してムニエルを食べていた。
「あ~ん、子猫ちゃん可愛い~よ~」
「クラリッサちゃん、猫ちゃんに私達も『あーん』して良いかな?」
「お魚だけじゃ無くて、お肉も『あーん』してあげようよ」
クラリッサと子猫の「あーん」を見て、周りの女学生が私も「あーん」したいと騒ぎ出した。
「みゃっ」(OK!)
「…プルートは良いと言っている」
子猫が即答すると、クラリッサはちょっと悔しそうな顔で周りの女学生に子猫の言葉を伝えてくれた。
「はい、子猫ちゃんあ~ん」
「みゃー」(あ~ん)
女子生徒の一人が、子猫の口サイズに切り分けたローストビーフをフォークに突き刺して、子猫の口に入れてくれた。
「みゃーーーーん」(うーまーいーぞー)
このローストビーフに使われたのはA4,いやA5ランククラスの牛肉だろう。口の中の肉は、噛めば噛むほど肉汁があふれてくる。あまりの美味に子猫は夢中で咀嚼して飲み込んでしまった。
「いや~ん、どうしてこんなに可愛いのよ~」
夢中で食べている子猫の姿を見て、女子生徒がイヤイヤしながら叫ぶ。そして「次は私よ」「その次は私~」と言った具合に、女子生徒達は次々と子猫に自分の夕飯のおかずを提供してくれた。
「うみゃー」(美味い~)
子猫は差し出された料理をむさぼるように食べていた。
「猫ちゃんばかり良いな~」
女子生徒達から夕飯のお裾分けを受けている子猫を見て、リュリュが羨ましそうにしていた。
◇
「うにゃ~。なーあー」(お腹いっぱい~。もう入らない~)
食堂から帰ってきた子猫のお腹は張り裂けそうな程に膨らんでいた。
「プルート、食べ過ぎ」
子猫を注意するクラリッサの声が少し冷たい。
「うにゃ~ん、みゃ~ん」(仕方ないんだよ。カロリーが足りなかったんだ)
今日の子猫は、決闘騒ぎのおかげで昼飯をとれぬまま、ジャネットの邸を探索し、魔法を使って侍女達を眠らせ、そしてドロシーに二回も変身している。つまり、カロリーを一杯消費してしまったのだ。そのため子猫の体はカロリーを求めていたのだ。
「…後、デレデレしていた」
どうやらクラリッサの声が冷たいのは、子猫が女子学生達に囲まれていたことが原因のようだった。
「な゛ぁ~な゛ぁ~」(デレデレなんてしてないよ~)
子猫はお裾分けを食べるのに一生懸命であり、デレデレしていたつもりは無かったのだが、クラリッサにはそう見えていた様だった。
「しらない~」
クラリッサはそう言ってプィッと横を向いてしまった。子猫から視線を外して横を向いているクラリッサのほっぺがプックリと膨らんでいる。どうやら拗ねてしまったようだ。
(ありゃりゃ、クラリッサがこんな状態になるなんて初めてだよ。一体何が原因なんだ~)
子猫はクラリッサが拗ねてしまった原因が分からず、おろおろしていた。リュリュは会話に付いていけなかったのか、キョトンとしていた。
「みゃ~んにゃ~」(クラリッサ~、機嫌直して~)
子猫はクラリッサの顔の前に回り込んだが、彼女はプィッと視線をずらしてしまった。何度も回り込んだが、クラリッサは子猫と視線を合わせてくれなかった。何度かそんな攻防を繰り返した後、クラリッサは毛布を被ってベッドの上で丸くなってしまった。
「にゃ~」(困った)
「…クラリッサちゃん?」
リュリュは心配そうに丸くなったクラリッサを呼んだが、もちろん返事は帰ってこなかった。
「猫ちゃん…もしかして…クラリッサちゃん拗ねちゃったの?」
『おそらく』
「どうして?」
『…たぶん、ぼくがあ~んしてもらったから』
「…クラリッサちゃん…」
リュリュが生暖かい目で子猫とクラリッサを見つめる。
『…』
「クラリッサちゃんの機嫌は猫ちゃんが治してあげてね」
リュリュは、ニッコリと笑ってそう言うと、自分のベッドに潜り込んで寝てしまった。
「にゃーん」(クラリッサ~)
子猫は、丸くなったクラリッサの横で鳴き続けるのだった。
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