銀狼
「アルっ、お前どうして帰って来なかったんだっ!
陛下が何度も帰国せよと伝書を送ったはずだろ?!
エリーはお前を信じてずっと待ってたんだぞ?!」
「ちょっと待てっ!俺はずっと帰りたいと伝書を送っていたのに、帰国を許可しなかったのは陛下のほうだろう?!」
「馬鹿なことを言うなっ!父上はお前が死土から無事に帰ったと聞いた時から、できる限り早くお前を返してくれと東の国に伝書を送り続けていたんだっ!
その度に返ってくるのはお前が帰りたく…ない…と…、
アル…今何と言った?お前は帰ると伝書を?」
「俺のほうがききたい。ジーク、陛下は俺を返すように言っていたのか?」
「ああ、何度もそう伝書を送り続けていたはずだ」
「………」
俺たちの間に沈黙が流れる。どういうことだ?まさか伝書がすり替えられていた?
一国の王の伝書だぞ?そんなことがあるのか?
その時後ろから小さな声が聞こえた。
「これってもしかしてやばい?」
その声に勢いよく振り返ると、子どもが慌てて逃げていこうとしているところだった。
逃がさないようにその腕をつかみ背中に回した。
「痛いっ!ちょっとアル!痛いってば!放してよっ!」
「正直に話せ。お前、何をした?」
「い~た~い~!放してってば~!!誰か~!助けて~!!」
「話して欲しければ言えっ!お前は何をした!」
「言う!言うからっ!放してよ!」
子どもの腕を放すと、子どもは腕をさすり痛い痛いと喚きながら俺から距離をとっていった。
その子どもに侍従が駆け寄っていく。
「ホンット酷い!アルさいて~」
「同じことを何度も言わせるな。お前は何をした?」
「私は悪くないもんっ!ちょっと王様にお願いしただけだもんっ。
帰る帰るってうるさいアルがいけないんだからっ!!」
その言葉を皮切りに、子どもが話したことは信じられないことだった。
なかなか自分になびかずに、冷たくあたる俺に意地悪をしたかった。そのために東の王に俺を国に帰さないようにしてほしいと頼んだこと。そのために王が何をしたかは知らないが、エリーからこの王宮に届いていた俺への手紙と、俺がエリーへ送っていた手紙は子どもが全部隠していたこと。
信じられないことに言葉が出ない俺の横をジークが走り抜け、子どもの頬を叩いた。
パァンという音が廊下に響く。
たたかれた子供がその頬をおさえて泣き出した。
「何よ!いきなり何すんのよっ!い~た~い~!!!
誰かこいつ捕まえて~っ!王様に罰を与えてもらうんだからっ!」
「うるさいっ!貴様自分がどれほどのことをしたかわかっているのかっ!」
「あんたに関係ないでしょっ!」
「貴様の浅はかな行動のせいで、アルはエリーを失うことになったんだぞっ!!」
ジークの言葉にドクンっと心臓が跳ねた。
…今ジークは何と言った?俺がエリーを失う…?
「ジーク…?今のはどういうことだ…?エリーになにかあったのか?」
俺の言葉にジークの背中が強張った。
だが、東の王と約束があるとだけ言うと、侍従たちを連れその場から去って行った。
俺はしばらくそのまま動けなかった。頭の中では消しても消しても最悪の考えが浮かぶ。
そんな中、胸に小さな衝撃があり我に返った。胸に視線を向けると足元に封筒の束が見える。
「そんなに気になるなら返すわよっ、ちょっとした悪戯にムキになるなんてバッカみたいっ」
そんな声と去っていく足音がするが、俺の意識は全て足元の封筒に向いていた。
それを手に取り紙を広げると、それはエリーの字で書かれていた。全ての手紙に目を通していく。
書いてあったのは俺の身を案じる言葉と、…子供ができたということ。
手紙には子どもが育っていく事の喜びと、それを早く俺と分かち合いたいという願いが込められていた。
手に残った最後の手紙を広げる。
『アル様、お元気ですか?
先日私たちの子が産まれました。とっても元気な男の子です。私に似てしまったらと心配でしたが、医師がいうには問題ないそうです。健康体であってとても安心しています。
アル様が無事に戻られる日をこの子と共に心待ちにしております。』
帰らなければ…、エリーが俺を待っている…
胸に巣くった嫌な予感に気持ちが焦る。帰るためにも今はジークと合流することが大事だと、廊下を進む。すると、廊下の真ん中で子どもと騎士が言い争っていた。
「うるっさいな〜!そんなのサヤカに関係ないもんっ!」
「お前には少しも謝罪の気持ちはないのか?お前のしたことのせいでアルフレッドの妻は死んだんだぞ」
「はぁ?別にサヤカが殺したんじゃないわっ、勝手に弱って勝手に死んだんじゃないっ!」
こいつらの言っていることが理解できなかった。
誰が死んだと言っている…?誰が…
呆然と立ち尽くしている俺に気づいた騎士が、子どもの腕を掴み寄ってきた。
「アルフレッド、さっき殿下から話を聞いた。本当に申し訳ないことをした…」
「今の話は何だ…?」
「何…とは?アルフレッド、お前まさかまだ聞かされていないのか?
お前の妻であるエリー殿が…先日亡くなったそうだ」
その言葉を聞いても信じる事なんてできなかった。とにかくジークを捕まえて話を聞こうと、子どもと騎士をその場において駆け出す。ジークがいるであろう謁見の間の前には衛兵たちがいて、俺を止めようとしたが振り払い扉を開いた。
中には東の王とジーク、そして貴族達とジークの側近達がいた。側近達を押しのけジークの前まで行くと、ジークは酷く辛そうに顔を歪めた。
「もしかして聞いたのか?」
「ジーク…エリーが死んだなんて嘘だろう?」
「残念だが…エリーは死んだ。もう10日前のことだ。今頃は葬儀も済み…遺体を墓に納めているころだろう」
ジークがまだ俺に何かを言っている。だがもうどうでもいい…
もうあの青空のような瞳を見ることはない。
あの太陽のような髪をこの指に絡めることもない。
あの柔らかな唇に触れることも…声を聴くこともない。
あの愛しくてたまらない笑顔を見ることは2度と叶わない…
「…うあぁーーーーーーーーっ!!!」
その声が自分が上げたものなのかもわからなかった。
ふと気づけば周りには誰もいない。死土の時と同じあの暗闇―
「アルフレッド、お前は愛せるか?お前からエリーを奪った人の欲望を…」
「お前は…」
いきなり目の前に現れたのは東の騎士だった。なぜ騎士だけがこの闇の中に現れたのか…、だがそれもどうでもいい…
「お前は許せるか?お前とエリーを離れ離れにした者たちを…」
「…」
「アルフレッド」
「うるさいっ!許せるはずなどないだろう?!わかりきったことを聞くなっ!!」
そう答えた時、騎士の体が歪み、一瞬の光の後に現れたのは一匹の狼だった。
普通の狼の倍以上の体に、銀色かと思わせる灰褐色の毛並。その額には小さな円と、円の上には上弦の月を思わせる印があった。その印には見覚えがあった。確か月神レヴィスの神殿にあるものと同じだ…
「お前はレヴィスか?」
『否。我は使い。主から見届けを命じられたもの』
「レヴィスの使いか…見届けるとはなんだ?」
『そなたの出す答えを』
「答え?」
『そなたは人の欲望を許せるか?醜く、利己的で、傲慢。そんな人を』
「吐き気がするな、いっそ人などみんな滅んでしまえばいい」
『…そなたの親しい者たちもか?』
「エリーを死なせた者たちなど全員同罪だ。…俺を含めて皆消えればいい」
『そうか…。
今、判定は下された。
…アルフレッド、そなたの命をもって、その身の内に授かりし力を解き放とう…』
銀狼がゆっくりと俺に近づき、俺めがけて飛んだ。その牙が肩を貫く。暗闇の中、裂けた首元から噴き出た血が見えた。不思議と痛みも恐怖も感じない。ただ急に寒さを感じて、俺に圧し掛かり見つめてくる銀狼を抱きしめた。銀狼の温もりはとても心地よかった。
「な…あ、死土とは…ゴフッ、なん、だった、んだ?」
『死土に積み重なっていたのはあらゆる生命の負の感情。恐怖、恨み、妬み、悲しみ…、世界が浄化できないほどに膨れ上がったものが、あの場に降り積もる。
膨大なそれはいつしか世界を滅ぼせるほどの魔力を生み出す』
「なるほど、な…、なぁ…なんで…お、れだったんだ…?」
『それは我には言えない』
「俺は…おま、えを…ぐっ、はっぁ、はぁ…、知っている気がする…」
『…そうか…』
「はぁっ、はぁっ…え…りー…、あ…いして、る…よ…」
意識が遠のく…、これでやっと、やっとエリーのもとへ帰れる…
遠くで銀狼の鳴き声が聞こえた。それは…とても悲しげな声だった。
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その世界から人間が消えたのは、そのすぐ後のことだった。
罪深き者も、罪無き者も、痛みも恐怖も感じる前に、世界中の人間が一瞬にしてその姿を消した。
残されたのは人の建てた建物と、動物たちだけだった。
一際緑深き森に建てられた墓がある。世話をする者も訪れる者もいないはずのそこに現れた一匹の狼は、口にくわえていた漆黒の髪の束を墓前に供え、鳴いた。
追悼の鳴き声は、いつまでもその場に響き渡った…
読んでいただきありがとうございます。