[7]
昼休みが終わると退屈な授業が始まる。いや、朝日先生の授業は退屈ではなかった。
朝日先生は授業には関係ない雑談ばかりをして、教科書は一ページも進まない。その雑談に雪や草田が参加すると、教室が笑いに包まれた。だが、笑っていない生徒もいた。俺と夕日だ。
朝日先生が夕日の小さいころの思い出を喋ろうとすると、夕日が大声でそれを止めさせる。一旦はそれで終わるのだが、しばらくすると違う過去の事を喋りだす。また夕日が大声を出す。その体からは目でわかるほどの怒りが放射されていた。最初はその様子に威圧されていた生徒たちだったが、何回かすると慣れたようで、夕日が怒る様子を楽しむようになった。俺は全く慣れる事ができない。このクラスの生徒たちは、ちょっと変だと思う。
それ以外の授業は特に変わったことも無く、今日のすべての授業が終わる。残すはSHRだけとなった。朝日先生が教室へ入ってくる。
「えーっと、特に連絡することはありません。今日は最初の日という事もあってか、誰も遅刻した人はいませんでした。明日も遅刻しないように。これで終わります」
教室が一気に放課後の喧騒と開放感にあふれる。
「さーて、俺はサッカー部へ行くか!」
「僕も剣道部へ……高上君、見学だけでも来る気ない?」
「俺はいいよ……」
そんな会話をしていると、朝日先生が声をかけてきた。
「そうそう。高上君は後で職員室へ来てください。それと、雪ちゃんと夕日ちゃんも」
「え? どうしてですか?」
俺の質問には答えず、朝日先生はへたくそなウィンクを残して去って行った。
鞄へ教科書を詰め込むと、俺たち三人は職員室へ向かう。扉を開けると、すぐに朝日先生の姿は見つかった。そっちへ向かう。
「来ましたけど、何の用ですか?」
「ここじゃちょっと話せないことなので、違う場所へ行きましょう」
そう言われて向かったのは、生徒指導室とプレートのかかった教室だった。朝日先生は扉を開いて、俺たちを中に入るよう促す。中にはすでに人がいた。
「すいません。わざわざ呼び出して」
「坂崎さん」
中にいたのは坂崎さんだった。紺色のスーツにネクタイをしめている。
「とりあえず座ってください」
教室の中央に椅子とテーブルが置いてある。俺たちが座ると、坂崎さんはそれに向き合うように座る。朝日先生も扉を閉めて鍵をかけると、坂崎さんの隣に座った。
「俺たちが呼ばれて、坂崎さんと朝日先生がいるって事は、魔法がらみのことですか?」
「はい。その通りです。前に不良少年が魔法を使っていたと言っていましたよね」
そのことなら、よく覚えている。中年男性に暴力をふるっていた少年たちの一人が、それを助けようとした雪に向かって魔法を使ったのだ。それは猛スピードで何かが飛んでくるというものだった。その威力は、コンクリートを穿つほどだ。
「調査したところ、魔法を使える人物は見つかりませんでしたが、高校生たちの間で、気になる噂があることが分かりました」
「噂って?」
「この町には魔法使いがいて、お願いすると魔法を教えてくれる。ある不良グループに、魔法使いの用心棒がいる。こんな噂です。そこで高上君たちには、この噂が本当なのか調べて欲しいのです」
「何で俺が?」
「……あの時、私たちに協力すると約束してくれましたよね?」
「はっ、はい、言いました。で、でも……」
「別に不良グループに潜入しろなんて言いませんよ。ただ学校の生徒や、友達からそういった情報が無いか聞いて欲しいのです」
「そのぐらいだったら……」
「私でもできるね」
夕日は無言だが、了承したようだ。
「では何か分かったら、私か朝日先生に教えてください。用はこれだけです」
話が終わると夕日はすぐに席を立つ。雪がそれを追いかける。
「そういえば、夕日ちゃんに街をちゃんと案内してなかったよね。これから行こうよ」
「私は別に……」
「穴場のゲームセンター教えてあげるね。それと、おすすめのクレープやさんがあるんだー。ストロベリーカスタードがすっごい美味しいの!」
「人の話聞いてる?」
ハイテンションで話し続ける雪に、夕日は迷惑そうだ。
「高上君、夕日ちゃんの様子はどうでしたか?」
教室を出ようとすると朝日先生に声をかけられた。
「どうって、何がですか?」
「クラスに友達はできました?」
「それはないですね」
休み時間になると女子たちに囲まれていたが、夕日は一切喋っていない。
「じゃあまさか、いじめられてるとか」
「それもないです」
「そう。よかったー」
「なんでそんなに心配するんです?」
「……実は夕日ちゃん、むこうの世界でいじめられてたの……」
「ええっ! でも、あいつが黙っていじめられているとは思えないんですけど」
そう言うと、朝日先生は悲しげな顔で首を振る。
「……夕日ちゃんは、自分の弱いところを見せないから。私が気付いたのも、ついこの間だし。お正月に久しぶりにむこうの世界へ帰ったら、部屋で一人で泣いてる夕日ちゃんを見たの」
夕日が泣いている姿が、全然想像できない俺は驚く。
「私は驚いて、何があったのって聞いても、何も言ってくれなくて……夕日ちゃんの通う魔法学院の教官に聞いてみたら、他の生徒たちから無視されたり、持ち物を隠されたり傷付けられたりしてたらしいの……注意しようにも証拠が無かったし、夕日ちゃんにいくら聞いても、ずっと黙っているだけだったとも言ってた」
朝日先生は涙ぐむ。
「夕日ちゃんて、全然喋らないでしょ。あれはただ、人とどう接すればいいか分からないだけなんだけどね……成績が良い事もあって、それが他の生徒に生意気に思われたみたい。夕日ちゃんに話しかけてくれたり、助けようとしてくれた人もいたんだけど、自分のことは放っておいてくれって言っちゃったらしいの。それでどんどん孤立していって……」
そこまで言ったところで、朝日先生は嗚咽を漏らし始める。
「ご、ごめんね……夕日ちゃんを無理にこっちの世界に来させたのは、そういった理由もあったの。穂高学園に来て一緒の部屋に住めば、夕日ちゃんの様子に目が届くでしょう? そうすれば、もう一人で泣かせなくてすむから……」
俺は何も言えず黙っているしかない。
「だからね、夕日ちゃんが高上君と話しているのを見て、すごいびっくりしたんだ」
「何のことです?」
「覚えてないかな。初めて高上君と会った日、宇宙人って何って夕日ちゃんが聞いたら、高上君が知ってるだろって言ってケンカになって……」
「あ、思い出した。でも、あれは別に悪気があったわけじゃなくて……」
「うん。それは分かってる。でも本当にびっくりしたんだよ。まさか夕日ちゃんが初対面の人と、あんなに仲良く話せるなんて」
朝日先生は涙を拭きながら笑うが、あれは仲良くどころか、完全な口喧嘩だったんじゃないかと俺は苦笑する。
「だからね、二人はきっと相性がいいと思うんだ。高上君、夕日ちゃんと仲良くしてあげて、お願い!」
「……まあ、がんばってみます。俺もあいつが嫌いな訳じゃないんで」
「本当に! 絶対だよ、絶対!」
「でも、あっちがどう思うか……」
「渡くーん。何してるのー?」
振り向くと雪の横に、いつもの不機嫌そうな顔で夕日が立っていた。
すると、朝日先生が俺へ耳打ちをする。
「……夕日ちゃんって、いつもあんな顔してるでしょ。あれは実は緊張してる顔なの」
横目で見ると、朝日先生は悪戯っぽい目で微笑んでいる。
「渡くんってばー」
「わかったって。今行く」
朝日先生が手を放し、俺は雪たちのもとへ向かう。教室を出るとき振り返ると、朝日先生はちょっと赤い目をした笑顔で、小さく手を振っていた。
「それじゃあ、夕日ちゃんはどこに行きたい?」
「だから、私は……」
「そうだな、買い物は前に行ったから、ゲーセンでいいんじゃないか?」
俺がそう言うと、夕日は驚いた顔でこっちを見る。
「いいね、そうしよう!」
「だけどな、お前が好きなマニアックな格ゲーばっかりのところじゃなくて、普通のゲーセンに行くぞ」
「えー。夕日ちゃんと対戦したかったのにー」
「アホか。夕日はこっちの世界に来たばかりなんだよ。いきなり対戦なんかできるか」
「ちょっと待って。私は行かないって言ってるの」
夕日がそう抗議するが、俺は無視する。
「駅前のゲーセンがいいんじゃないか。あそこなら、いろいろあるし」
「わかった。そこにしよう」
雪は了解すると、夕日の腕を取り歩き出す。
「ちょ、ちょっと……!」
「まあまあ、いいから、いいから。きっと楽しいよー」
夕日はなんとか振りほどこうとするが、雪はがっちりつかんで離さない。俺はぎゃあぎゃあ言い合う二人の後を追った。
駅前にあるゲームセンターは結構大きい。三階建てで一階にはクレーンゲームやプリクラなどがあり、二階にメダルゲーム、三階に格闘ゲームなどが設置されている。
店内はけっこう込んでいて、人の声と電子音が渦巻いている。
「……ここは何?」
はじめてゲームセンターに来たであろう夕日は、店内の様子に呆然としていた。
「ここはゲームセンターと言ってだな、まあゲームで遊ぶところだ」
「ゲームって、何のゲーム? 訳のわからないものが並んでるだけなんだけど……」
「そっちの世界にテレビゲームは、無いな」
「……テレビって、箱の中に動く人が映る、鏡みたいなものでしょ。こっちに来てはじめて見たわ。一体どんな仕組みなのか理解できない……」
「俺も仕組みなんて知らないよ……で、そっちで言うゲームってどんなのがあるんだ?」
「ゲームといえば、カードとかルーレットとかよ。でもあれは賭け事だから、私は嫌い」
「それはカジノか? ここは確かに金は使うが、賭け事じゃないし大金を使うわけじゃない。まあ、とりあえずやってみようか」
まだ店内を見回している夕日を引っ張って、UFOキャッチャーへと向かう。
「これは?」
「このクレーンを移動させて、ぬいぐるみを取るんだ。見てろ」
「でもさ、この前いくらつぎ込んでも、一つも取れないんじゃなかったっけ?」
雪の言葉を無視して、俺はクレーンを移動させることに集中する。狙うぬいぐるみの真上にクレーンが来たところで止める。クレーンはゆっくりと下がり、閉じたツメはぬいぐるみをつかむ。しかし持ち上げようとしたところで重さに負け、ぬいぐるみは落下する。
「ほーら、やっぱり」
無視して再び百円を投入する。さっきのは、胴体の真ん中をつかもうとしたのがいけなかったのだ。今回は大きくて重い頭と、胴体の付け根を狙う。するとクレーンは見事ぬいぐるみを持ち上げることができた。俺はゲットしたぬいぐるみを取り出し、雪へ突き出す。
「どうだ、見ろ」
「おおー。やったね渡くん」
雪はパチパチと拍手をする。それに満足すると、俺は夕日を見る。
「とまあ、これはこういうゲームなんだけど……」
「……これの、どこがおもしろいの? わざわざこんな手間をかけなくても、店でそれと同じ商品を買えばいいんじゃないかしら」
「……いや。こうやって苦労して取れたときは嬉しいし、このぬいぐるみはこれでしか手に入らない物だから……」
「あなた、そのぬいぐるみが欲しかったの?」
「それは……」
別に欲しかったわけではない。これがどういったゲームなのか、夕日に教えるために取っただけだ。しかもよく見ると、その猫は擬人化されたやけに不細工な顔をしている。まるで、やんのかコラァ! と言っているような表情をしていた。
「……お前にやるよ」
「いらないわ。そんな不細工なの」
夕日に一言でばっさり斬られた、手に持つぬいぐるみの顔を見やる。今度は、文句あんのかコラァ! と言っている様に見えた。
俺は黙ってブレザーのポケットにぬいぐるみを詰め込む。全部入りきらず、頭だけが外に出ている。はたから見ると、かなり間抜けだ。
「UFOキャッチャーはお気に召さなかったみたいだから、次は違うゲームにしよう!」
「どうせ、格ゲーだろ」
「もちろん! 夕日ちゃんもきっと気に入るはずだよ!」
「……私、帰るわ」
そう言って背中を向けた夕日を、俺は慌てて肩に手を伸ばし引き止める。
「まあ待てって。もしかしたら、夕日の気に入るゲームがあるかもしれないだろ?」
「なんで私に構うわけ?」
夕日は目と眉毛を吊り上げて俺を睨んでいる。初めて会ったときから、夕日はずっとそんな攻撃的な態度を取っていた。だが朝日先生から話を聞いて、それが彼女の強がり、傷付かないための防衛方法なのだと分かる。
誰にでもそんな態度でしか接することができない事を可哀相だと思うし、またそんな子供じみたところがある夕日を、少し可愛いと思ってしまう。
「……夕日のことが嫌いじゃないからだよ」
「……手、離してくれる」
「おお、悪い」
夕日は無言で俺を睨む。
「なんだよ?」
「……別に」
「こらー! 私を無視しないでー!」
「うわっ!」
「きゃっ……!」
突然、雪が俺たちに飛びつく。何とか倒れないように踏ん張る。雪は俺と夕日の頭を両脇で抱えるように腕を回していて、三人の顔がほとんどくっついている。
「お前は、何するんだよ……!」
「だってー、二人が私を無視するんだもん」
「いいから、離せ」
俺は雪の腕から逃れようとするが、がっちり首に食い込んではずせない。雪を振り落とそうと、俺たちはその場でぐるぐる回転する。だが雪はきゃあきゃあ歓声を上げるだけで、一向に腕を離す様子は無い。
夕日も両腕で首にかかった腕を外そうとするが、体を振り回されている状態ではうまくいかないようだ。結局店員に他の客に迷惑だからと注意されるまで回り続けた。
「ひどい目にあったわ……」
髪がほつれ、くたびれた様子の夕日が疲れた声を出す。
「雪に悪気があったわけじゃないから、かんべんしてやってくれ」
「あれで悪気があったら、最低ね……」
前を歩く雪の背中を見て、夕日は皮肉そうに口を歪める。その口元がぴくぴく痙攣しているところを見ると、かなり怒っているようだ。
「……あなた、よくあんな人と付き合っていられるわね」
「あの程度で音を上げるようなら、雪の幼馴染みは務まらないからな」
雪によって俺が被った被害は数知れず、命の危険を感じたことは一度や二度では無い。
急に夕日が立ち止まり、近くにあったゲームの画面を覗き込む。俺がどうしたのかと聞こうとすると、
「うわー、どうしよう?」
突然に雪が悲鳴を上げる。
「どうした?」
「ほら、あれ」
雪が指さす方を見る。
場所はゲームセンターの三階。ビデオゲームの筐体が多く並んでいる。雪が指さしているのは、対戦型格闘ゲームのある一角だった。そこには何人もの人間が順番を待っている。その姿は制服姿の学生もいれば、小学生と見える子供やスーツ姿の男性もいた。
「すごい人の数だな」
「うー。やっぱり新バージョンが出たばかりだから、みんな並んでるなー」
他のゲームを見ても、順番待ちをしている人が何人もいる。
「夕日ちゃんと対戦したかったのになー」
「だから、夕日にいきなり対戦は無理だって。だいたい、テレビゲームもしたこと無いんだぞ」
そう、絶対に夕日には無理だ。なぜなら彼女は驚きに目を丸くして、さっきからじーっと液晶画面を睨んでいるからだ。
夕日が見ているのは、もう何十年も昔のレトロゲームで、荒いドットで描かれたかろうじて人だと分かるキャラクターが動いている。このぐらいで身動きもできないほど驚いているのだから、人と見分けのつかないほどそっくりなキャラクターが戦う格闘ゲームなどをプレイしたら、彼女の脳がオーバーヒートするかもしれない。
「これなんかいいんじゃないか?」
見つけたのはリズムにあわせて太鼓を叩くゲームだ。これなら夕日もできるだろう。
「私、こういうの苦手なんだけどなー」
「ならゲーム初心者の夕日と、いい勝負ができるんじゃないか……おい、夕日。いつまで見てるんだ」
俺に声をかけられて、夕日ははっとした顔になる。周りが目に入らないほど、画面に集中していたらしい。
「何……?」
「雪とこのゲームで勝負してみろよ……このマークがここにきたら、手に持った棒で叩く。こんなふうに……」
無理矢理、夕日に太鼓のばちを握らせた。その両手を持って、どうやるか指導する。
「このゲームは太鼓を叩くだけだから、そんなに難しくないだろ?」
「いや、あの、なんで私が……?」
「よーし、夕日ちゃん。負けないからね!」
雪の気合の入った声と共にゲームが始まった。
「ほら。もう始まってるぞ」
「えっ、えっ?」
夕日がおろおろしている間に、雪はばちを振るって点数を稼ぐ。
「このままじゃ負けるぞ」
夕日はとまどいながら、太鼓を叩きだす。その表情はいつものキツイ顔ではなく、眉毛はハの字に下がって情けない顔になっている。それがおもしろくて、つい笑いそうになるのを我慢するのが大変だった。
「やった。勝ったー!」
雪が歓声を上げる。しかし夕日との点差はわずかだ。夕日が善戦したのか、雪が下手だったのか、そのあたりは微妙だった。
「おーい夕日。ゲームは終わってるぞ」
夕日は両手にばちを持ったまま、ゲームオーバーの文字が表示されている画面をぼうっと見ていた。俺に声をかけられて正気に戻ると、下がっていた眉毛と目がピンと吊り上り、俺をキッと睨む。
「よーし、次は何で勝負する、夕日ちゃん?」
「……次って」
「あのレースゲームなんかどうだ?」
「そうだなあ……いいかも!」
「ちょっと、話聞いてる!」
夕日が何か言ってくるが、俺たちは無視する。
「よし、決まった」
「決まったって、何が? ちょっと、離して!」
俺と雪は両脇をかかえて、夕日を引きずるようにしてレースゲームの筐体へと向かった。
「ぬおおおおおおおおっ!」
カーブを曲がるため雪は必死でハンドルを回すが、完全なオーバースピードでコースから飛び出し、フェンスにぶつかる。
「……!」
夕日は必死な顔で右へ左へハンドルを回し、真っすぐな道を大きく蛇行する。ハンドルを固定すればいいのにパニックになっているのか、ハンドルを切りすぎてコースを逆走しそうになっていた。
俺はそんな二人の様子をあきれながら見ている。もしも二人が車の免許が取りたいなどと言ってきたら、やめさせるべきだと思う。
「ぬぎぎぎぎぎっ!」
「……! ……!」
二人はぶっちぎりの最下位争いをしている。このままでは決着がつくのは、もうしばらく時間がかかりそうだ。俺は飲み物でも買おうと思い、自動販売機を探すことにする。
缶コーヒーを取り出した後、夕日たちのぶんも買っていこうと思う。雪はコーラでいいとして、夕日は何がいいんだろうかと考える。
移動販売機の前でそう考えていると、後ろからふいに声をかけられた。
「君、ちょっといいかな?」
「え?」
振り向くとそこにいたのは、あからさまに怪しい人物だった。
その男は、黒色で白のストライプ柄のスーツを着ている。シャツも黒色で黒の帽子をかぶり、かけているサングラスも黒といった、全身黒ずくめの格好で立っている。
「なんですか?」
「おいおい。そんなに警戒しなくてもいいだろう? 別に変質者なんかじゃないぜ。俺はこういうもんだ」
男はスーツのポケットから名刺を取り出して、俺に差し出す。それを受けとると、男はタバコを取り出した。
「私立探偵、平杉……?」
白い名刺にはそう印刷してあり、左下に携帯電話の番号もあった。住所は書いていない。
「そっ。俺は探偵やってるのよ。格好良いっしょ?」
男は軽薄そうに笑いながらタバコを口にくわえ、ジッポライターで火をつける。
「その探偵さんが、俺に何のようですか?」
「いやあ、実は人を探しててね。この人なんだけど、知らないかなあ?」
そう言って平杉という探偵は俺に近づき、写真を見せる。タバコの臭いに閉口しながらそれを見ると、そこに写っていたのは高校生ぐらいの少年だった。
「……知りませんね」
「本当かい? もっとよく見て」
そう言われても、知らないものは知らない。それに写真の少年はこれといった特徴があるわけではなく、なんとなく気弱そうな印象を受けるだけだ。たとえ街中で見かけたとしても、記憶に残ることはないだろう。
「そうか……この街で、同い年ぐらいの少年たちと一緒にいるのを見かけた、っていう情報があったんだけどな……」
「この人の名前は?」
「ん? ああ。ルルネって名前だ」
「……変わった名前ですね。本名なんですか?」
「間違いなく、本当の名前だよ」
「苗字はなんていうんですか?」
「悪いけど、それは企業秘密だ」
男のへらへらした笑顔と喋り方に、俺は少し苛立つ。
「どうして、この人を探してるんです?」
「この子は、依頼人の息子なのさ。なんでも、悪い友達にそそのかされて、家出しちゃったらしいんだよ」
「それで見つけて、連れ戻すわけですか」
「……そういうわけじゃ無いんだけどね」
低くつぶやく男の声と表情に、何か薄ら寒いものを感じて鳥肌が立った。だがそれは一瞬のことで、男はすぐに軽薄そうな笑顔になる。
「この写真はあげるから、友達とかに見たことが無いか聞いてみてくれる? いい情報をくれたら、少しだけど謝礼をあげるから。連絡は名刺の電話番号へ。それじゃ!」
男は俺に写真を押し付けると、颯爽と去っていく。引き止める暇は無かった。しばらく写真と名刺を見た後、とりあえずポケットへ入れた。
夕日の分のジュースは少し迷って、雪と同じコーラにする。缶ジュースを抱えて夕日たちのところへ戻ると、ちょうど勝負がついたところだった。
「……か、勝った……」
どうやら雪が勝ったらしい。しかしどちらが勝者かわからないくらい、二人は体力を消耗している。なんでこのゲームで、そんなに疲れているのだろうか。
「お疲れー」
「あ、ありがとー。んぐ、んぐ……ぷはー! 生き返るー!」
雪はすぐに半分ほど飲み干す。しかし夕日は手渡された缶ジュースを、いろんな方向から不思議そうに見ている。
「あ、そうか。缶ジュースを見るのも初めてなのか。ちょっと貸してくれ」
俺は夕日の持つ缶ジュースを取る。
「ここにあるプルトップに、指を引っ掛けて持ち上げる。そうすれば穴が開いて飲めるようになるから」
ふたたび缶ジュースを渡すと、しばらく見つめた後、夕日は恐る恐る口をつける。一口飲むと缶を口から離し、なんとも言えない表情をした。
「……なんだか、口の中が、こう、泡立ってるような……」
「炭酸だからな。もしかして、不味かったか?」
俺が聞くと夕日はしばらく缶を見て、何も言わず再び飲み始めた。とりあえず、飲めないわけではないらしい。
「次は、何で勝負しようか?」
雪がそう提案したとき、携帯電話の着信音が鳴った。それは夕日のポケットから聞こえる。夕日は携帯電話を取り出すと、なぜか手に持ったままじっと見つめる。
「出ないのか?」
「……これって、どうすればいいの?」
「でもそれって、夕日の携帯じゃないのか?」
「今日の朝、急に姉さんに渡されたから……」
夕日はそう言って、情けなさそうな顔をした。携帯電話からは着信音が鳴り続けている。
「ちょっと借りるぞ……もしもし?」
「あっ! もしもし、夕日ちゃんですか? なかなか出ないから、どうしたのかと思いましたよー」
「……すいません朝日先生。夕日じゃなくて俺です」
「あれー? その声は渡君ですね。夕日ちゃんの番号にかけたはずなんだけどなー?」
夕日と一緒に三人でゲームセンターに来ていることと、夕日が携帯電話の使い方が分からなかったので、代わりに俺が出たことを説明する。
「そうなんだ。じゃあ、ちょっと夕日ちゃんにかわってくれる?」
「朝日先生から。かわってくれって」
夕日に携帯電話を返す。しかし、どうしたらいいのか分からず、夕日は戸惑っているようだ。俺は携帯電話を持つ手を取り、使い方を教える。
「ボタンは押さないようにして、こう耳に当てる。声が聞こえるから、普通に喋ればいい」
声が聞こえたときに驚いた顔をしたが、それ以外には何も無く電話は終わる。
「何だって?」
「今日、帰りが遅くなるから、晩御飯は先に食べてくれって」
「ふうん。料理するのか?」
何気なくそう言うと、夕日はすごい顔で俺を睨む。思わず一歩下がるほどの迫力だ。
「できないわよ! 何か悪い!」
「そんなに怒るなよ。ちょっと聞いただけだろ。それより、今日の晩飯はどうするんだ?」
「……姉さんも料理は下手だから、もともと外食か、何か買って食べるかする予定だったの」「なら、家に来ればいいよ!」
雪は突然そう言うと、携帯電話を操作する。
「あ、もしもしお母さん? 買い物してるなら、ちょうどよかった。今日ね、家に友達を呼んで一緒に晩御飯食べようって思って……うん、渡くんともう一人来るから。」
俺と夕日の意見も聞かず、勝手に雪の家で晩御飯を食べることになってしまった。
「ということで、今日は家で一緒に食べようね」
「お前なあ」
「私は遠慮するわ……」
「そうだ! どうせ家に来るなら、私の部屋でゲームしよう!」
「だから、人の話を……」
夕日の言葉を無視して、雪は強引に腕を掴んで引きずっていく。夕日は大声で抗議するが、それに雪は全くかみ合わない言葉を返す。そしてまた夕日が大声を出す。
「……まあ、いいか」
あれはあれで、いいコンビかも知れない。そう思いながら、二人の後を追った。
「ただいまー」
雪がそう言いながら玄関のドアを開けると、買い物から帰っていたおばさんが姿を見せる。
「おじゃまします」
「そういえば、家に渡君が来るのって、ずいぶん久しぶりじゃないかしら?」
「そうですか?」
一人暮らしの俺を気遣ってくれるのは嬉しいが、頻繁に世話になるわけにはいかない。
「もう、小さいころからの付き合いなんだから、遠慮なんかしなくてもいいのに……あら、その子が?」
おばさんは夕日を見る。夕日は不機嫌そうな、しかし今は緊張しているのだと知っている顔で、小さく会釈をする。
「……はじめまして」
「夕日ちゃん、っていうんだ。私のクラスの担任の、朝日先生の妹さんなんだよ」
「へえ、そうなの。夕日ちゃん、ゆっくりしていってね」
笑顔のおばさんに、夕日は表情を変えず無言で会釈を返す。
「ほら、早く部屋で対戦しよう!」
雪は靴を脱ぎ散らかすと、夕日の腕を引っ張る。
「ちょっと、靴がまだ……」
「こら、雪ちゃん。靴はちゃんとそろえなさい」
雪は夕日の手を取り、はーいという返事を残して、二階の自分の部屋へ向かう階段を駆け上がっていく。引っ張られる夕日は、転びそうになっていた。




