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最近の小学生はどういう場所で遊んでるんだろうか? おれは施設で育ったから、家の前の庭にある遊具で遊んだり、公園や学校のグラウンドで走り回ったり、適当に外でぶらついていたもんだけど、このキノコはどうなんだろう。まあ、おれには金がなかったからゲーセンなんて行けなかっただけだけどね。
二人で朝から適当に歩きながら、おれは一応やつに聞いてみる。
「なあ、普段はどういうところで遊んでるんだ?」
やつは視線をアスファルトに落としながら、沈んだ声でこたえる。
「ほとんど外で遊んだことない。友達なんかいないし、お金を使うのはもったいないし、休みの日は家でずっとゲームしてる」
そうだった、ゲームってやつはもともと一人でやるように作られているのだ。おれも昔友達の家でゲームをやらせてもらったが、どうもあれにはハマれそうにない。なんというか、このリアルな世界に比べると、早い話が面白くない。ストリートにはゲームより簡単で、そんでもってとてもホットな話がいくらでも転がってる。それを知ってるおれにとっては、テレビや画面の前で動きを制限されるゲームってのは非常に退屈だ。でも、モンスターを育てながらチャンピオンを目指すあのゲーム(一応ふせとく)が学校中で流行ったときには、少しだけ自分の貧乏を呪ったけどね。とりあえず今日、ゲームってのは日本の経済にとってはかかせない。
今の時間は八時。キノコには朝飯を抜いてくるように言ったから、腹はぺこぺこなはずだ。だから、おれは朝から良い匂いで大気を包んでる、まんぷく通りってところに向かった。五百メートル以上もの通りには数えきれないほどの飲食店が詰め込まれている。見た目はごみごみとしているし、統一感もないから、一見さんはかなり戸惑うはずだ。ラーメン、中華、和食、さらにはイタリアンやフレンチまで、この通りでは一流の味を持つ店が日々切磋琢磨しているから、昼や夜のまんぷく通りといったら、サラリーマンからヤクザまで集まってきて、お祭りといっても過言じゃないほどの賑わいだ。
そしてそこならたくさん知り合いがいるから、おれのイケメンぶりと相まって、タダで名前通りまんぷくになれるはずだった。しかし、おれの自信は粉々に打ち砕かれることになる。
「あら、ワタルじゃないか。おや、なんだいその子は? 可愛いねえ。アタシの子供の小さい頃にそっくりだよ。腹減ってるだろう? これ食っていきな」
おれがまんぷく通りに脚を踏み入れ、最初に聞いた言葉がそれだった。以前はおれに向かって、自分の子供みたいでほっておけない、なんて言ってたくせに、もう新しいオモチャを見つけたようだ。くそ、なんか腹が立つ。
頭に手ぬぐいを巻き付けたおばさんは、威勢のいい声でそう言いながら、キノコにだけ肉まんを一つ手渡してやる。おれがその様子をじっとみていると、おれを食い殺すような眼でみながらこういった。
「あんたはいつまでもアタシたちに甘えてんじゃないよ。もういい大人なんだから、ちゃんと金払ってから食いな」
そうして、困った顔をしながらおれをみているキノコの頭を柔らかく撫でた。ちくしょう、絶対グレてやる。
おれはしぶしぶ二百円を払ってから、旨そうな匂いを湯気とともにはき出している肉まんにかぶりついた。朝に食う肉まんは最高だ。おれはさっきのことなんてすっかり忘れて、上機嫌でキノコと一緒に朝飯の旅に旅立った。
歩いている最中、キノコの顔には満面の笑みが浮かべられている。
「こんなにおいしいもの食べたの、初めてだよ。おいしい……」
その言葉におれもどこか安心したように微笑んだ。小学生らしい、かわいらしいコメントだ。これをさっきのおばさんが聞いたら、百個ぐらい肉まんをくれるんじゃないだろうか。
それからもやつの顔には笑顔が張り付きっぱなしだった。まんぷく街のみんなはアイドルのおれを無視して、これを食え、あれを食えとキノコに食べ物を献上する。やつはこの地に降り立ったイケメン王子様ってところか。この分だとやつは向こう一年間何も食わなくてもいいのかもしれない。
はら一杯になったおれたちは、またぶらぶらと歩き始めた。次の目的地はゲーセンだ。おれだって今だったらそこそこ遊べる金ぐらいは持ってる。それに、人と一緒に行くなら今はゲーセンも好きだしね。
土曜日ってこともあって、朝からゲーセンには若い奴らがたくさんいた。無駄と分かっているのかはしらないが、こういった奴らがゲーセンにぽんぽんと金を落として行く。最近じゃあオンラインの格闘ゲームや、カードゲームなんてものもある。顔のみえないだれかと、腕を競い合うのだ。でもおれはもっと単純なのがいいと思ってる。機械を挟んで向かい合ってるやつと闘うのは、非常に面白い。昔はそこでリアルファイトに発展することもあったくらい、みんな熱中してた。リアルファイトは、おれは観戦してただけ。たかがゲームで喧嘩なんてするのはばかみたいだ。
キノコに何か聞いたって、ゲーセンのことなんて何も分からないようだから、おれは丁寧に教えてやる。あれはクレーンゲームだとか、あれは音ゲーだとか、シューティングゲームだとか。やつの目つきが少し変わったのは、シューティングゲームの説明をした時だった。おれは一緒にやろうといって、やつの汗ばんだ手を引いてつれてってやった。
そのシューティングゲームは、敏腕刑事となって犯罪組織を壊滅させる、という単純なゲームだった。おれはこんなのが好きだ。二百円をいれて、二人プレイで悪の組織に戦いを挑む。アメリカ映画のクライムアクションみたいで、カッコいいよな。
結局おれたちはそこで三千円もの大金をつぎ込み、約一時間後に完全クリアをした。終わったあとはなぜかおれたちは汗だくだった。おれとキノコは最後の敵を倒した瞬間、反射的にハイタッチしていた。澄んだ音。久しぶりに聞いた気がする綺麗な音色だった。はたから見たおれたちはどのように映っていたんだろうか。小学生のチビのガキと親にはみえないくたびれた大人のおれが満面の笑みでハイタッチする。どう考えてもおれの方の精神年齢が疑われただろう。おれの喜びようも半端じゃなかったからな。でもそんなことも気にならないくらい、おれたちは喜びを確かめ合った。
汗だくのまま、おれたちはゲーセンを出た。もうヘトヘトになるぐらい疲れていた。なんでかって、そりゃあさっきまでヘリコプターに乗りながら、麻薬組織の親玉とロケットランチャーで打ち合っていたんだから当然さ。おれたちはアメリカを救ったヒーローだ。なぜみんな握手を求めてこないのだろうか。
とりあえず休もうと思って、駅前の公園のベンチに座ってジュースを飲んだ。噴水の近くでは、ギャルやチャラチャラした男たちが、たぶん大したことない話をしながら腹をかかえて大笑いしている。おれたちはそれを冷めた眼でみていた。友達と話すのはたしかに面白いが、ああいったのにはおれも、そしてキノコもあまり憧れないようだ。
「ゲーセン行ったの初めてだったんだろ? どうだった?」
「うん。疲れたけど、でもとっても面白かったよ。あんなところだったら何度でも行きたいな」
キノコの頬はまだ紅潮している。興奮冷めやらぬってやつだ。
「何度だって行けばいいさ。おれと一緒でもいいし、友達と行ったって面白いもんだ」
「ワタルさんと一緒がいいな……」
こいつの頬はまだ赤く染まっているから、このセリフを聞いただけの奴なら、何かとんでもない勘違いをしちまうんじゃないだろうか。前に言ったかは忘れたが、もう一度はっきりと言っておく。おれにはそういう趣味はない。
「ワタルって呼び捨てでいいよ。それに敬語も使わなくていい」
おれがそういってやると、やつの顔に光が射し込んだ。密告のときとは違う、美しい光を帯びた笑みだった。
「ありが、とう……。そういえば、ワタル……って、普段は何やってるの?」
おれは腕を組んで考えた。そう改めて聞かれると、おれは何をしてるんだろうか。一応定職には就いていないし、勉強も訓練もしていない、やっぱニートか。でもそんなことは言いたくない。目の前の小学生に向かって、精一杯の虚栄を張ってみせる。
「普段は、忙しい毎日さ。依頼人に会ったり、面倒くさい依頼事を解決したり。お前みたいな依頼は珍しいんだ。おれからもきいていいか? どうやっておれのこと知ったんだ?」
「家ではよくネットサーフィンしてるんだ。そのときに、チャットできいた。あんまり信じてなかったけど……」
キノコはちらりとおれをみる。ネットってのはやっぱり嫌いだ。なにしろプライバシーもくそもない。今度から依頼人と番号を交換するのもしっかりと考える必要があると思った。おれの携帯にイタズラ電話が頻繁にかかってくる日も近いかもしれない。
昼飯を安い定食屋で食った。その時のキノコの反応も同じ。おいしい。おれは水を飲みながらやつに言ってやった。
「一人で食うのと、気心知れたやつと食うのとでは、味が全然違うんだ。そんなことぐらい、三歳児でも知ってるぞ」
やつは反射的に目を伏せた。
家に遅くなると電話をさせた後、おれたちは夜の、オトナの時間帯(こういう言い方ってなんかエロイな)へと溶け込んでいく。やつにはストリートの面白さを、嫌というほど教えてやろうと思った。
キャバクラ、違法マッサージ店、風俗やヘルスなんかの呼び込みがぽつぽつと姿をあらわしはじめる。服の胸元がぽっかりとあいた女たちが、男をさまざまな手口で自分の店へと呼び込む。シャチョーサン、イッパツドウ? こんな言い方なんてしないが、外国人だって多い。ネオンの光をたっぷりと浴びながら、そんな通りをおれたちは話しながら歩いていた。おれは映画やアニメや漫画、音楽なんかは大好きだから、その辺の趣味もキノコとはあった。恥ずかしいとは思わない。だってキノコはもうおれとハイタッチまでした仲だからな。女たちは珍しそうにそんなおれたちをみている。当然だ。子供を連れて歩くような場所じゃない。
「あれ、その子ってもしかしてワタルちゃんの隠し子?」
風俗の呼び込みをしていたレイナがニヤニヤしながら話しかけてきた。金髪を背中まで伸ばし、胸元はしっかりとはだけ、さらにセクシーな太ももをはずかしげもなくみせている。美人だし、キノコは目のやり場に困っているようだった。無理もない。
「おまえ、おれをいくつだと思ってるんだ。コイツに夜の街もみせてやろうと思ってね。さすがに風俗は早いから、小鈴さんとこの店にでも連れてこうと思ってる。もちろんツケで」
レイナはおれの言葉にさほど注意を払わず、じっとキノコの顔をみつめていた。キノコはさっと目線をおれの方に逃がす。
「ふーん。これからいい男になりそうだね。十年後ぐらいにお相手して欲しいぐらい。ねえボク、こんなニートの大人になっちゃだめよ」
そういってにっこりとキノコに笑いかける。胸の谷間がしっかりと強調され、キノコはみるみる赤くなっていった。
「うるさい。おれが女たちからニーズがあるの、知らないのか。そのうち、抱いて欲しいって泣きついてきてもしらないぞ」
おれの言葉にもレイナはほとんど表情を変えなかった。
「ワタルちゃん、もう一年も女いないくせに……。抱かせてくれって泣きつくのはそっちの方じゃない?」
くそ、やつにはすべて筒抜けだ。女に口で勝てる男なんているんだろうか。おれは分が悪いと思い、キノコに向かって手を振る女を無視して、ずんずんと通りの奥に進んでいった。キノコが小さく手を振ったあとにおれに小走りでついてくる。
「ワタル、ごめんね……」
そう呟いた。小学生に情けをかけられるなんて、おれの人生はどうなってるんだろう。涙が出そうになった。
おれたちは『中立街』と呼ばれるブロックに着いた。道の両脇には、ニューハーフパブやゲイバーなんかが軒を連ねている。おれたちはそのうちの一軒のゲイバーに入っていった。キノコの顔が引きつっていたのは言うまでもないよな。
「あら、ワタルじゃない。いらっしゃい。その子は?」
カウンターの奥からこちらを振り返ったのは、このみち四十年のベテラン、小鈴さんだ。白髪だか銀髪だかわからない色の、ベリーショートの髪型で、よくある紫を基調とした奇抜な格好をしている。声は酒のせいでハスキーボイスになってしまっているが、彼女の笑顔は出会った頃から何も変わっていない。
「ああ、今日一緒に遊んでるんだ。外でほとんど遊んだことがないっていってるから、いろんなところをみせてやりたいと思ってるんだ。とりあえず、おれはビール。コイツには、オレンジジュース頼むよ」
そういっておれたちは奥にあるふかふかのソファに座った。照明はやや薄暗くて、あやしい雰囲気。
その後やつにとってはトラウマにもなりかねないことが起こったことは、多分言うまでもないだろう。可愛い、かわいいと言われながら、その道の彼(彼女)らにもみくちゃにされたことを想像するのは、あんたたちにとっては難しくないだろう? 二時間後に店を出る頃には、やつは半泣きだったのかもしれない。でも、楽しそうに笑っていたよ。彼女たちの経験ってのは壮絶だから。小学生には刺激が強すぎるかもしれないけどね。
もう十時になっていたから、おれは眠そうにしているやつを、家の近くまで送ってやった。
「今日はありがとう。じゃあ、また明日……」
そういってやつはおれに向かって小さな手を振りながら、笑顔で家の中に消えてった。親にはこっぴどく叱られるかもしれないが、アイツの顔から笑顔が消えることは、すくなくとも今日のうちは、眠りについてもないんじゃないだろうか。小学生にとってみれば、ハードだが、遠足なんかよりずっと面白い一日だったはずだ。あいつみたいな生活をしているやつにはなおさらね。
おれはどこからか聞こえる虫の歌声を耳にいれながら、夜の街をまたぶらぶらと歩き始めた。毛穴の奥まで涼しい夜風がはいってくるのを、全身で感じていた。
キノコが次の課題をクリアーしたのは、その次の日のことだ。