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おれがキノコと次に会ったのは、なんと二週間後。その原因は明確だ。おれが出した条件のせいに違いなかった。こいつ自身を変えてやろうと思った以上は、ケンカしたこともないなんて言ってる弱虫少年を内から変えていく必要がある。
そういうおれが喧嘩強いのかって? もちろん、ほとんど負けたことはない。おれの強さといったら筆舌に尽くしがたいが、全盛期のアリやマイク・タイソンぐらいと思っててくれ。そうしてくれると助かる。
まあ本当は、いろいろ苦労しながら喧嘩したり、逃げたりしてる。そこそこ強いことは確かだけど、無敵だなんて口が、いや顔が裂けても言えない。
それでも、あのキノコからすればおれは強そうにみえるんだろう。おれが出した条件はこうだ。
『これから毎日夕方五時におれは夕陽ケ丘公園でお前を待ってる。お前が来たら、おれはお前を本気で殴る。手加減はいっさいしない。おれに殴られてもいいなら、その時間に来い。これが一つ目の条件だ』
おれがこういったときのキノコの表情ったらなかった。本当に檻に閉じ込められたハムスターみたいに、目を伏せて肩を震わせていた。少しは突っかかってくるかとも思ったが、それもない。ただの臆病者として、ヤツはファミレスの席に一人座っていた。おれはヤツを振り返ることもせずに席を立ち、ファミレスを出た。
それからはいつものようにフラフラとしながら毎日を無駄に過ごしていった。相変わらず金もなかったからほとんど毎日深夜にコンビニへ。消費期限の切れた弁当を十円で売ってもらってる。本当は駄目なんだけど、こっそりと。十円払うのは、ただで貰おうなんて大人であるおれのプライドが許さないから。金を受け取るときに店長が苦笑いなのは言うまでもない。そうそう、最近のコンビニ弁当も捨てたもんじゃない。そこいらのマズい弁当屋のよりも美味いのだってある。知り合いの店長がいるこのコンビニの唐揚げ弁当は素晴らしい。
キノコと初めて会った日、おれはある公園へ向かった。通称、『ホームレス公園』に。ホームレス公園って言ったって、ホームレスがたくさん住んでるって意味じゃない。二十人ぐらいはいるが、何よりたくさん集まってくる場所なんだ。彼らの集会場として使われてる。
一つ十円で買った弁当を山ほど持って、おれはたくさんの友達が待つ場所へ向かう。おれへの歓迎っぷりはさながら、フランス市民からみたナポレオンのよう。その日は天気も良かったから、わらわらとゾンビみたいに十人くらいホームレスが集まってきた。すぐさま宴会だ。
ホームレスたちの匂いはけっして良い匂いだなんて言えない。むしろ普通のひとたちは嫌悪するだろう。汗と埃のミックスされた匂い。剣道や柔道の道着や篭手、それらを二、三倍はきつくしたものを想像してくれ。常人なら鼻が地面に転がってしまうだろう。
だがおれにはもうそんな匂いも慣れっこだ。すぐにどんちゃん騒ぎが始まる。今日はいつもより少なく、全員で三十人ほどだ。いつも思うんだが、彼らが持っている酒ってのはどこで手に入れてるんだろうか。ビールなんてシャレたものはない。最初から日本酒でフルスロットル。頬を赤く染めた酔っぱらいたちが、消費期限切れの弁当を肴に飲み続ける。それは祭りと言ったって大げさじゃあない。
面白いもので、一言でホームレスと言ったって、いろんなヤツがいる。家なし歴数十年の人だっていれば、どこぞの会社の社長だった人、ただこのストレス社会に疲れてこの道を選んだ世捨て人、みんな理由は様々だ。昔話をすればキリがないし、何度同じ話を聞いたって新鮮に思える。彼らの話は最高だ。昔付き合ってた外人女の話とか、一度で数億の利益を生んだ取引の話。そんな、今となってはくだらない話でも、おれにとってはこころ惹かれるエピソードだ。
ホームレスのなかに、仙人と呼ばれる老人がいる。髪や髭は真っ白だし、汚い緑のジャージは一張羅で、それ以外の服装はみたことがない。この世界での暮らしは誰よりも長い。不思議なことになぜか金にあんまり困っていないし、それに博識だ。ホームレスたちのリーダー的存在。おれだって仙人って呼んで、いざというときは頼りにしている。彼の元には裏の情報だって集まってくるんだ。そんな仙人の隣に座って、ぱちぱちと音をたてながら燃えていく木々をおれたちは見つめている。
「ワタルさん、今あんたは何か依頼を持っとるんかい?」
なぜかおれは仙人に『さん』付けで呼ばれている。特別なにかした覚えはないが、彼と出会った数年前からそれは変わらない。
「ああ、いじめられっ子からね。いじめられなくして欲しいんだってさ」
おれは笑ってみせた。仙人は白く太い眉の奥でかすかに目を細める。
「そりゃあ難儀なことを引き受けたもんだね。私も長いこと生きてるけど、弱いものに対する暴力は、今も昔も変わらんもんだ。いや、今はネットなんかもあるし、世間ちゅうものはさらに冷たくみえるものだろう。肉体に刻み込まれた傷はいつか必ず癒えるが、心はそうはいかん。その子供がいくつかは知らんが、今のうちに変わらねばいかんな……」
仙人はワンカップになみなみと注ぎ込んだ日本酒を一気に飲みきった。おれには仙人がもの悲しそうな表情をしているようにみえた。彼がなぜこんな風な生き方をしているのかは分からないが、きっとおれの想像をこえるような出来事があったはずだ。
その日の宴も、朝まで続いた。
あんたは殴られるためだけに人に会いに行けるか? おれならはっきりとノーと答えられる。だれが痛い思いをするためだけに人に会いに行けると言うんだ。そんなことが言えるヤツがいたらお目にかかってみたいもんだ。だからおれはキノコが会いに来ることをあまり期待はしていなかった。だが、来て欲しいと切望はしていた。だから、二週間後とはいえ、ヤツが姿を現したときには、おれが飛び跳ねたい気分にもなったくらいだ。
やつはいつも通り震えながらおれの方をじっとみてきた。しかしその目はあの日とは違う、堅い決意を感じさせる。あざはあの日よりもさらに増えていた。腕や脚にもいくつかミミズ腫れがみえる。目立たないような太ももの内側に、ライターであぶられたような小さな火傷の跡もみられた。おそらくおれが最後の頼みの綱なんだろう。おれもその目をじっと見つめ続けた。目の前の少年は、親や教師には頼れないのだろう。それは世間体か、それとも男のプライドからなのか、それは分からない。ただ、覚悟だけは伝わった。
「よく来たな。覚悟はできてるな?」
おれの悪役みたいなセリフに、やつはこくりと頷いた。その覚悟を受け取ったおれは、腕を振り上げた。反射的にキノコは目をつぶる。
おれはやつの頭のてっぺんにゲンコツを叩き込んだ。あんたがやられたことがあるか知らないが、ゲンコツってのは見た目よりもずっと痛い攻撃だ。普通に殴られるよりもずっと体の中に残るパンチだ。ヤツは膝を折ってその場にうずくまり、頭に手をやってじっとしている。おれはそれをじっと見下ろしていた。
「安心しろ。少なくとも小学生にこれより痛えパンチが叩き込めるやつはいないはずだ。よく勇気をだして来れたな。さあ、痛みがひいたら立てよ」
キノコはおれが差し出した手に掴まると、片方の手で頭を押さえたまま立ち上がり、涙目になりながらおれを見上げてくる。
「だが、おれがおまえを殴っただけじゃフェアじゃない。そこで次の課題だ。おれにガードさせずに、一発叩き込んでみろ。パンチでも、キックでも、何か道具を使ったっていい。期限はない。汚い真似だって大歓迎だ。いつでも襲いにかかってこい。おれは基本的にこの公園にいる」
これもおれが考え続けた荒療治の一つだ。やつの闘争本能をかき立てるために、おれはこれをあいつのためにしてやることにした。もちろんおれに何か決まりの悪さがあったことも理由の一つだけど。
それからはおれも必死だ。簡単にやられるわけにはいかない。やつは真っ昼間っからおれを襲いにきた。なりふり構わず、ってやつだ。もちろん最初はまったくお話にならない攻撃ばかりだった。やつもひねくれてはいるが結局は良い子ちゃんで、おれを後ろから襲うなんてことはしない。だが、今まで喧嘩なんてしたこともないヤツのパンチやキックなんて(自称)百戦錬磨のおれにあたるわけがない。キノコの眠ってしまいそうなほど遅い拳や脚なんかでの攻撃なんてされても、おれは難なく避けるか、ガードしていく。汗まみれになって繰り出してくる拳は、やつの気迫がたっぷりと塗り込んであって、キノコがいじめられっ子であることなど、おれに微塵も感じさせなかった。
ある日、ヘトヘトになってその場に仰向けになりながら倒れたやつに、おれは声をかけた。
「そういえば、お前どうしておれのとこに殴られにこれたんだ? あんなこと言ってたけどさ、おれ来ないと思ってたんだぜ?」
キノコはゼェゼェと肩で息をしながら、おれの方に目を向けた。
「ねえ、ワタルさん。ワタルさんは学生の頃、学校が楽しいと思ってた?」
「さあ、あんまり考えたことなかったけど、そうやって聞かれてみると、おれは毎日笑ってた気がするな」
おれも流れ落ちる汗を腕で拭うと、空を見上げながら答えた。
「そう……。普通はそうだよね……。ねえワタルさん、おれ、学校が面白いなんて一度も思ったことなかったし、今でもそうだよ。周りの奴らは教師も含めてバカばっかりにみえるし、勉強なんて家に居たって充分できる。休み時間に遊ぶ友達なんて一人もいないし、昼ご飯を食べる時だって一人だ。それに今は周りに、いじめられてもいるし……」
キノコは上半身を持ち上げると、おれに向かって何か寂しそうな目をしながらそういった。
「そうか……。おれはそんなこと思ったこともなかったよ……。そうだなあ……、お前は頭が良すぎるんだよ。そんな風に考えたって、人生面白くもなんともないだろ。たまには頭を真っ白にして、頭に浮かんだままに行動してみろよ」
おれがそう言っても、やつにはピンとこない様子だった。おれはそれをみて、またも名案を閃いた。
「よし、明日は土曜日だし、この課題は休みにして、おれと遊びに行こうぜ。テキトーにふらふらと歩くだけ。どうだ? というか、お前に選択権はない」
そういって、おれはやつににっこりと笑いかけた。おれができる全力のスマイル。それにつられてやつも笑った。こんな風に女の子にも笑ってもらえたら最高なんだけどな。