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No Trouble No Life  作者: 久里ワタル
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 夕陽ケ丘公園という場所がある。ビルの群れが、まるでファンタジー映画に出てくるような巨人たちみたいに立ち並ぶ場所から、徒歩で十分ほど行くと、そこに着く。他の人は分からないが、おれにとってそこはこのコンクリートジャングルのなかでのオアシスだ。かなり前につくられたであろう、シートが木製のブランコに、ゾウをモチーフにした青いすべり台、そしてあんたも小さなころ使ったであろう砂場。別におれはここの公園の中で遊んで育ったわけじゃない。だけどささくれ立ったブランコのシートや、ところどころ塗料が剥げかかったすべり台、そんな何気ない、でもなぜか心に引っかかる物たちは、この大量消費社会において輝いてみえることは確かだ。そして公園の中央には木々も少しだけ植えられている。本当に発生しているかどうかは定かではないが、マイナスイオンを毛穴からたっぷり吸収できる。もちろん特に住宅が多くあるわけでもないここにそんな物たちがあるのは不自然だし、遊具なんて実際ほとんど誰も使ってなんかいない。最近の子供は遊具よりゲームが主流らしい。だからほとんどこの公園の中で子供をみたことがないのは大人として寂しくもある。大した広さでもないが、ちょっとした森林浴も楽しめるそこは、おれが指定する夕陽市の隠れ名スポットでもあるんだ。

 そしてこの公園の中に、小さな掲示板が設置してある。ゾウのすべり台のすぐそば。公園に入ってすぐ目に入る位置に置いてある。掲示板って言ったって、学校で見かけるような黒板の小さなやつが、地面に刺さってる白い棒に釘でつり下げられてるだけだ。屋根はおれが付けたけど。濃いグリーンの黒板には、基本的には何も書かれていないが、ごくたまにそこにおれへの依頼が書かれる。

 この掲示板にXYZ(これが重要だ)と書いて、待ち合わせの日時と場所を指定する。それだけでおれに会えるってシステムになってる。おれがシティーハンターの大ファンなのはこのおかげでバレバレだ。


 まだ夏の暑さが横たわっている、よく晴れた初秋の日、おれはいつものようにこの公園に依頼がないかを確かめに訪れた。いつもの飾り気のない白のTシャツに青のジーンズ。アパートからは五分ほどしか離れてはいないが、すでに太陽も高く昇った昼前では、ここに来るまででずいぶんと汗ばむ。依頼があるかないかを確かめるのは毎日だ。多少面倒くさいけど、緊急の依頼があった時に大変だからね。

 そういえば言い忘れたが、おれは別に善意でこんなことをしているわけじゃない。だから気に入らない依頼だったら(丁寧に)断るし、何となく気に入った依頼(人)だったらなんとしてでも助けてやらなきゃって気になる。やっかいごとに体を突っ込みたくなる性分であることは事実。

 今回の依頼人は、どちらかと言えば後者だ。なんて言うのか、ほっとけなくなるタイプ。でもどこかおれをイライラさせるような奴。難しいと言えば難しい奴だった。

 奴と会う前日の掲示板には、汚い字でこう書かれてあった。

『XYZ! 僕を助けて! 九月八日 午前十時に夕陽ケ丘公園すべり台前で』

 おれは少しだけ笑顔を浮かべて、それらをメモすると、掲示板に書かれている文字をしっかりと消した。これが依頼を請け負ったサイン。まあ、大概は会ってから決めるんだけどね。

 でも不思議なもんだ。おれはネットで広告も出してないし、依頼を請け負った人にもおれのことは他言無用と言ってある。だけどなぜかこんな形で、一回りも歳が違うようなガキに依頼をされることもある。言うなと言われると人間は言いたくなる生き物なんだろう。


 待ち合わせ当日、おれは五分前に公園に着いていた。五分前に集合するのはおれにとって当たり前のこと。一応サービス業だし、もちろん女の子とのデートの時だったら十分前には着いて、絶対相手を待たすことはしない。これがおれのポリシー。

 この日もすでにとんでもなく暑い。いくら手で顔を扇いだってその暑さが和らぐことはないし、むしろ扇ぐことで体の芯が熱くなっていくようだった。黒のアスファルトから照り返してくる太陽の熱で、今年は何人の熱中症患者がでたんだろうか。そんなことをすべり台前で立ちながら考えているうちに、いつの間にかおれの目の前にちっちゃなガキが立っていた。身長は百五十センチそこそこ。やせっぽちで、おれが思い切り息を吹けばブラジルまで飛んでいきそうな子供だった。右の頬だけが赤く染まっており、左目の上や両腕のところどころには青くあざができていた。目をほんの少しだけ潤ませ、神様でもみるような目でおれをみつめている。

 おれはその異様な姿に驚き、一瞬虐待かとも思ったが、その考えはおそらく違うのではと考えた。最近の親は、子供の顔はあまり殴ったりしないそうだ。虐待の跡を残さないために。それにこんな姿の子供をわざわざ外に行かせたりしないだろう。

 おれが何と声をかけていいか迷っていると、その子供からおれに話しかけてきた。まだ声変わりも始まっていないような高めの声。その手にはくしゃくしゃになった紙幣が一枚握られている。

「あの……ワタルさんですよね? 僕を……僕をいじめられなくしてください……!」

 初対面の相手に自己紹介もしないなんて、これがゆとり教育の結果か。

「依頼するのもいいけど、まずは自己紹介でもしないか? おれは久里ワタル。おまえは?」

 そういわれると、慌てたようにそいつは頭をぶるんと振るった。少し伸びた、キノコみたいな髪型のさらさらの黒髪が空を蝶のように舞った。都会に咲く一輪の、キノコ。

「す、すいません。僕は藤原勇気っていいます。北陽小の六年三組。それで、あの……」

 そうして言いづらそうにおれの目を上目遣いでみてくる。こうしてみるとなかなか可愛らしい容姿のようにもみえる。普通に生活してればこれから女の子に困ることはなさそうな面だ。でも、だからといって男に上目遣いでみられて嬉しくもなんともないが。

「ちょっと待った。ここは暑いから、その辺のファミレスにでも入って話さないか」

 ユウキはこくりと頷いて、おれたちは近くのファミレスに入った。薄いオレンジ色の照明が柔らかく店内を照らしていて、クーラーがよく効いているから非常に心地よい。ただ、それまで汗をかいていたおれは一気に体が冷えたために一瞬身震いする。

 おれとユウキは向かい合って座った。席はまだわりと空いている。

「それで、おれにいじめをやめさせて欲しいって?」

 おれは注文したアイスコーヒーをすすり、真面目な顔をした。相手が深刻そうな時にはそれ相応の顔をするのが礼儀だと思ってる。

 いじめってのは難しい問題だ。きっとこの世に文明というものが現れてから、ひょっとするともっと昔から多分こういったことは日常的に行われていたはずだ。

「そう……です……」

 ユウキはそれきり話そうとしない。こいつ依頼の意味わかってるのか。具体的にきかなければ、おれだってどうしていいかわからない。

「いじめって一言でいうけどさ、具体的にはどんなことやられたんだ? それに、誰からやられてるか分かってるのか?」

 正直、おれにはイジメというものはよく分からない。そういったのに関わったことがほとんどなかったから。おれの場合、気に入らない奴とは関わらないようにするだけで、特にいじめたいなんて思ったこともない。そりゃムカつく奴なんていくらでもいるけどね。

 ユウキはしばらく黙っていた。テーブルの上に両腕をのせて、拳をぎゅっと握りしめている。おれはそれでもじっと待ち続けた。特に言葉をかけるなんてこともしない。

 そのうち、ユウキは唾を喉の奥に送り込んだ。

「初めは……、話しかけても無視されたり、すれ違うときに死ねって言われる程度だったけど、そのうち蹴られたり、殴られるようになった……。定規とかで腕を叩かれたり……、この前は……」

 言いづらそうにモジモジしているユウキに、少しおれは声を荒らげてしまった。

「この前は?」

 声の調子を上げたおれの声に、ビクッと小動物のようにユウキの体は波打ち、その波がおさまると再びぼそぼそと話し始めた。

「この前は……、女子の前で、パンツを、脱がされて……」

「最近の小学生はえげつないことするんだな。他にもあるかもしれないけど、そのへんでいいよ、悪かったな。それで、多分それはお前のクラス全員が関わってるんだろうけど、主犯の奴は?」

 その途端パッとユウキの顔に光が射した。笑顔にはなっていないが、言いたくて仕方がなかったのだろう。おそらく中世の魔女狩りの時に密告していた奴らも、こんな表情をしていたんじゃないだろうか。

「同じクラスの宮沢ってヤツ……」

 おれはコイツをみて、いじめられてこんな風になったのか、それともこんな性格が原因でいじめられるようになったのかを真剣に考えた。前者の方ならまだ救いがあるが、コイツはおそらく後者だろう。だからといって救えないわけじゃあないが。常に自分が弱者で、他者は自分を助けるものだと思い込んでいる眼、そいつはやっぱり気に食わなかった。

 だけどおれの答えは決まっていた。この毒キノコを男にしてやろうと本気で思った。このままじゃコイツは引きこもりか、それとも何をしでかすか分からないようなヤツになってしまうだろう。

「お前、そんなことまでやられて、黙っているのか?」

 やつはうつむき、首を横に振った。

「口答えなんてしたら、もっといじめられるちゃうよ……! あいつらみたいなのには、何もしないのが一番なんだ……」

 おれはやつの体をじっくりと観察した。手も脚もゴボウみたいに細い。いじめっこにしてみれば絶好のサンドバッグなんだろう。

「ふーん……。まあ、いいよ、やってやる。それで……」

 おれが言いかけたところでユウキは手に握っていた紙幣を一枚、おれの前に差し出した。相当長い間握りしめていたのか、汗でじっとりと湿っていて、おれは少し受け取るのをためらった。

 しわくちゃになった札を広げてまじまじとみると、それは五千円札だった。印刷してある人物の名前は忘れたが、小学生にとって五千円札ってのは大金なんだろう。おれは一度ユウキをみて、その札をヤツに突っ返した。キノコは脅えたような表情をまた浮かべる。

「こういうのは終わった後に受け取ることにしてるんだ。そうじゃなくて、おまえはおれに具体的には何をして欲しいんだ? その宮沢ってヤツに、ユウキのことをいじめないでください、って言って土下座でもして欲しいのか? それともその宮沢ってヤツをおれがボコボコにした後に、二度とユウキに近づくんじゃねえ、とでも言って欲しいのか……?」

 ユウキはじっと黙ったままだったが、そのうちぽつりと声を漏らした。おれはボケたつもりだったが、小学生には通用しなかったらしい。

「分かんない……」

 おれは一度大きくため息をついた。どうしたものか。テレビや新聞なんかで得られる情報(多分こういった情報も一種のマインドコントロールなんだろう)によると、こういったデリケートな問題では、基本的に第三者が関わるのは難しいらしい。だからおれが出て行って解決しようとしても無駄だろう。ちなみに教師ってのはいつの時代でもこういったことには役立たずで、彼らのほとんどは生徒を表面的にしかみることができない。そもそもみようとしてないのかもしれないが。おれが学生の時の教師たちも、ほとんどが自分のことしか考えていないようなクズだった。一人だけ、今でもたまに飲み交わす仲の先生はいるけど、その人は例外だ。親のことはおれは知らないが、多分同じことだろう。

 根本的にいじめをなくすとなると、周りを、というよりもこのキノコ自身を変えてやるしかない。おれはそう考えた。

「やってやるけど、先におれが出す条件をクリアーしたらな」

 ユウキはくりっとした丸い目をさらに丸めた。

 毒キノコから椎茸に。いずれは松茸クラスになれば素晴らしい。

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