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国家の審査観測記録  ―皇居へ拝謁するまで四日間―  作者: マック アダソン
第3章 次世代との対面 ―「思想の実在」
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①丸の内保育園――未来に触れる

第3章は、ここから始まる。

 第2章で観測されていたのは、整えられた内部だった。丸の内支社の中では、制度や生活、福利厚生や判断が切れ目なく続き、どこで区切られているのか分からないまま、一つの流れとして動いている。その中心に、二人の姿があった。

 その流れは、止まることなく続いている。だが、同じ場所に立ったままでも、視線の奥にはまだ触れていない先がわずかに残っている。何かを残そうとするような、次へ渡そうとするような気配だけが、はっきりと言葉にならないまま、その場にとどまっていた。

まだ足を運んでいない場所があるはずだった。それでも、すでにどこかでその気配には触れている。視線の先にあったのは、次世代を担う子どもたちだった。

 丸の内支社の保育園で過ごす時間と、建設中のキッザニアパビリオンに引かれた導線。そのどちらにも、まだ制度の中に立ってはいない存在がいる。けれど、その子どもたちは、やがてこの内側にも外側にも関わっていく。そうした気配が、同じ場所に重なっていた。

 二人にとって、子どもはただ守ればいいだけの存在ではなかった。目の前にいれば自然に視線が向き、声をかければ応じる。そのやり取りはやわらかいまま続いていくが、同時に、その先にある時間まで含めて見られている。これからこの世界を引き受けていく相手として、そこに向けられる視線は、感情だけで終わるものではなかった。

扉の前で、二人はわずかに足を止める。

 中からは、小さな声が重なって聞こえる。高い声、笑い声、椅子の擦れる音、走る足音。滞在部屋の前に立つときとは違う、ほどけたリズムで空気が動いている。

その短い間に、二人はそれぞれ別のものを拾っている。

 扉が開く。何人かがこちらを振り向くが、視線を向けないままの子もいる。椅子の上で足を揺らし続ける子、机に顔を寄せたまま手を動かしている子、立ったまま動かずにいる子。それぞれの動きがばらばらのまま、同じ空間に重なっていた。二人は、その中へ入っていく。

 アラクネアは目線を落とし、相手の高さまで自然にしゃがみこむ。顔を近づけるより先に、ひと呼吸だけ待つ。子どものほうから視線が上がってくるまで、言葉を置かない。触れたあとも、相手が先に手を離すまで、そのままにしている。その間に現れる表情の変化や、手を伸ばしてから引っ込める迷い、触れたあとに残るわずかな空気を追いながら、その場に起きたことが、その子の中にどんな形で残るのかを見ている。彼女が見ているのは、その場がうまく進んだかどうかではない。その体験が、十年後にも傷にならず、むしろ静かな支えとして残るかどうかだった。

 一方でアレックスは、一歩だけ位置を変える。別の子が横から近づいてきてもぶつからない距離を残し、後ろの動線が詰まらない場所に立つ。表情は変えないまま、視線だけで周囲の流れを追い続けている。入口から奥までの距離、椅子の置かれ方、通路の幅、人が重なる位置を先に拾い、その場で何が起こりうるかを切り分けている。導線、密度、危険、停止の基準、安全の成立、進行が本当に可能かどうか。彼が見ているのは理想ではない。現実に実行できるか、壊れないか、その一点だった。

 一方は未来への影響を判断し、一方は現在の危機を判断する。その両方を通過したときだけ、行為は実行へ移される。

 手を伸ばし、触れ、短く言葉を交わし、笑い返す。どれも小さなやり取りだったが、そのまま通り過ぎていくものではなかった。触れる強さや間の取り方ひとつで、何が残り、何を残さないのかが変わる。目の前の子どもの中にどんな形で残るのかと同時に、この場で何が起こりうるのかも、同じ動きの中で見られていた。

 子どもたちと向き合う時間は、やわらかい空気を保ったまま進んでいくが、その内側では同時に、安全が崩れないように細かく確かめられている。触れ方や間の取り方ひとつに、優しさと厳密さが重なっていた。

だが——

それでもなお、その時間は二人にとって特別だった。世界中を移動し続ける日々の中で、国家や企業、各支社での判断や交渉、視察が切れ目なく続き、処理は止まることなく積み重なっていく。その流れの中にありながら、子どもたちと向き合う時間だけは、どこか質の違う静けさを帯びていた。

 数字として積み上がるものでもなく、報告として整理されるものでもない。成果として測られることもない。ただ、まだ何者にもなっていない存在が目の前に立ち、まっすぐにこちらを見て、言葉を返してくる。そのやり取りの中でだけ、時間の進み方がわずかに変わる。その時間は、二人にとって確認でもあった。自分たちが何のためにここまで広げ、何を守ろうとしてきたのかを思い出すための、数少ない場所だった。そこには、思い出している時間が重なっているようにも見えた。アダソン兄弟を見てきた時間があり、社員とその家族をひとつの大きな単位として受け取ってきた時間があり、その先にいる次の世代の子どもたちへと、そのまま続いている。どこかで切り分けられているわけではなく、今この場所で向き合っている相手の中に、同じ流れが重なっていた。

 そのため、ここで行われているのは、ただの面会でも視察でもなかった。子どもたちに何を近づけ、何をまだ渡さずにおくのか。その選び方の中に、二人がこれまで積み重ねてきたものが、そのまま表れていた。そして、その未来を前にしたとき、夫妻が何を見て、何を判断しているのか、その記録である。

 このあと二人は、丸の内保育園で子どもたちと向き合い、その足で建設中のキッザニアパビリオンへ移動する。まだ人のいない空間を歩き、置かれた導線を確かめたあと、持ち帰った感触をそのまま静かに振り返ることになる。

 子どもたちの前に立ったとき、言葉で整えられた考えは表に出てこない。目線の合わせ方や、声をかける間、触れたあとの手の離し方といった、ごく小さな動きの中にだけ、それまで見えていたものがそのまま現れていた。

第3章は——

次世代との対面。

「思想の実在」

ここから先に記録されるのは、未来を担う子どもたちを前にしたとき、二人の判断がどのように働き、どのような世界を渡そうとしていたはずだったのか、その実在である。

翌日。

 丸の内の朝は、冬の光に満たされていた。澄みきった空の下、低い位置から差し込む日差しがガラスの高層ビルに当たり、白く冷たい反射を街のあちこちに広げている。通りにはまだ長い影が残り、足早に行き交う人々のコートの裾がわずかに揺れていた。吐く息は白く、車の音も人の声もどこか抑えられている。その静けさの中で、一日の始まりだけが確かに進んでいた。

 丸の内支社では、午前九時になると簡潔なチャイムが鳴る。学校で聞いたことのあるような短い音だったが、このフロアでは業務の合図というより、朝の始まりとして受け取られているように聞こえた。音が消えると同時に、人の動きがわずかに切り替わる。その流れに重なるように、園でも一日が動き出す。

正式な名称は長い。けれど、そこへ出入りする親たちも、迎えられる子どもたちも、口にするのはたいてい「園」だった。それだけで足りていた。

 エレベーターを降り、五階の入口を入ると、最初に目に入るのは受付だった。白い曲線のカウンターは低く抑えられ、近づいても威圧感がない。正面には企業のロゴが大きく入っているが、不思議と硬さはなく、ここでは紋章のように静かに置かれている。カウンターの上には小さな花の鉢があり、白い花びらの中心に淡い黄色がのぞいていた。その隣には端末があり、さらに横には緑色の玩具の車と、茶色い熊のぬいぐるみが自然に並んでいる。

 背後の棚には絵本が表紙を見せて並び、色の明るさが目に入る。上には雲と太陽の装飾、三角旗。壁も天井も白と緑で統一されているが、同じ色でも上層階の受付とは印象が違った。上では輪郭を整えていた曲線が、ここではやわらかさとして置かれているように見える。

その前に、親と手をつないだ子どもたちが集まってくる。

「おはようございます」

「よろしくお願いします」

 挨拶は特別なものではなく、流れの中で自然に交わされる。保育士が一人ひとりを迎え、親から子へ、子から園へと、その日の時間が静かに受け渡されていく。

だが、そのすべてが穏やかに進むわけではない。

梅組の幼い子どもの中には、親と離れる瞬間に足を止める子がいる。手を離さず、その場で顔をゆがめる。

「ママ……」

「パパ……」

言葉になりきらない声がこぼれ、やがてはっきりとした拒否に変わる。

「やだ……行かないで……」

一人が泣き出すと、その声はすぐに広がる。つられるように、別の場所からも同じ声が上がる。

「やだぁぁ」

「えーん……えいえーん……」

保育士は慌てない。いつものように抱き上げ、目線を合わせ、声を落として言葉をかける。腕の中でこわばっていた身体が、少しずつ力を抜いていく。

「大丈夫だよ」

「すぐ慣れるよ」

そのやり取りの中に、今日はもう一つの言葉が混ざっていた。

「今日はね、アメリカから来てくれた、特別なパパとママが来るよ」

その一言に、泣き声の中にわずかな揺れが生まれる。

「……パパ?」

「ママ……?」

 しゃくり上げながら顔を上げる子がいる。抱き上げられたまま、保育士の肩越しに入口のほうを見る。さっきまで親だけを追っていた視線が、ほんの少しだけ別の方向へ向く。涙はまだ止まらない。それでも、耳だけは言葉を追っている。

「くるの……?」

「ほんと……?」

 だが、その反応は揃わない。興味を引かれて泣き声を弱める子もいれば、まだ意味が届かず、そのまま泣き続ける子もいる。保育士の服を握りしめ、顔をうずめる子。抱き上げられても身体の力を抜けない子。とくに梅組の中には、その存在をまだよく知らない子どももいた。初めて出会うかもしれない大人だった。

 最初のころ、園では「先生」や「社長さん」、「いちばんえらい人」といった呼び方が使われていた。けれど、その言葉を向けられても、子どもたちの顔に浮かぶものはまちまちだった。きょとんとする子もいれば、聞こえていても意味が届かないまま視線を戻す子もいる。何度か面会が重なるうちに、そのずれは受け答えの端々に残るようになる。存在は見えているのに、言葉だけがそこへ届かない。

 そこで、呼び方が見直された。難しい言葉ではなく、最初から知っている言葉で。そうして置かれたのが「パパ」と「ママ」だった。

 教え込まれたというより、そばに置き直されたような呼び方だったが、やがてそれは園の中で自然に落ち着いていく。ほかの拠点でどう呼ばれているかを、この場で確かめる者はいない。ただ、ここではその呼び方がいちばん早く子どもの耳に届き、保育士たちもまた、それを使うようになっていた。それでも、子どもにとっての「パパとママ」は、自分の親と同じではない。言われた瞬間に顔を上げる子もいれば、まだ輪郭のない音として聞いている子もいる。

 それでも、変化は確かに起きていた。泣きながらも顔を上げ、声を止めきれないまま周囲の言葉に耳を向ける。親だけに向いていた意識が、わずかに外へ開いていく。完全に理解しているわけではない。それでも、その言葉は届いていた。

 親たちが出勤の時間に合わせて子どもを預け、保育士たちはその手を受け取り、子どもたちはそのまま一日の流れへ入っていく。大人の一日と子どもの一日が、同じ朝の中で重なりながら動き出していた。

 出入口のそばでは、海外用の大きなタグが付いたままの鞄を持つ親もいる。別の支社名が印字された書類を手にしている者もいる。保育士は受け取った連絡票に目を通し、次に行く先の園名を確認する。ここから別の支社へ移る子もいれば、逆に別の場所から一時的にここへ来ている子もいる。そのやり取りは特別に強調されることなく、朝の受け渡しの中へ静かに混じっていた。

 園の奥へ進むと、メイン広場が開ける。朝の光が床に落ち、やわらかく反射している。視線を少し横へ滑らせると、組の名を記した札が並んでいるのが見える。丸の内保育園では四つ。梅組、松組、竹組、そして月組。呼ばれるたびに、それぞれの場所で振り向く子どもたちの年齢も、動き方も、わずかに違っていた。

梅組の子どもは低い机を囲み、保育士の手元を追いながら積み木を重ねている。松組では、まだぎこちない手つきで色を並べる指先が止まりかけては動き、隣の子の動きを気にする視線が混じる。竹組に入ると声が少しだけ大きくなり、やり取りの中にためらいの少ない動きが見え始める。月組のあたりでは、椅子に座る姿勢そのものに、わずかな意識が残っていた。

 床は木目で、ところどころに緑のラグが敷かれている。天井から落ちる光は均一だが、鋭さはなく、空間全体をやわらかく包んでいた。奥には四つの教室が並び、梅、松、竹、月の名の横には、それぞれ花や松葉、竹、三日月の意匠が添えられている。

壁には四季を思わせる絵と、夜空や動物のやわらかな風景が広がっていた。都市の中にありながら、ここだけが切り取られたような静けさを持っている。

 広場には低い丸机が置かれ、木製の玩具や積み木、絵本棚、小さな読書スペース、連なったクッション遊具がその周りに収まっている。どれも低く、丸く、角が削られていた。転んだ子が床に手をついても大きな音にならず、走ってきた子が遊具に肩を当てても勢いがやわらぐ。その形のまま、子どもたちの動きに寄り添っていた。

 だが、それだけではなかった。この園に足を踏み入れてしばらくすると、目に入ってくるものは空間の整い方だけではなくなる。壁面の一角に、子どもたちの絵が並んでいる。色鉛筆とクレヨンで描かれた紙が重なり合い、ところどころで端が少しめくれている。近づいて見ると、そこには何度も描かれている顔があった。金髪に眼鏡をかけた男性の横に、やわらかな巻き髪の女性が立ち、どの絵でも並んでいる。胸元には小さなバラが描かれ、二人はほとんどの場合、同じ向きで笑っている。その隣には緑の目をしたロボットがいて、さらにその横に、緑の髪の少女が描かれる。手をつないでいる絵もあれば、同じ花畑の中に立っている絵もある。人とロボットとAIは、同じ紙の上に並び、同じ色で塗られている。

 その絵を描いた子どもたちのすぐそばで、サイバードロイドが動いている。朝の体操に合わせて腕を上げ、音楽に合わせて足を動かす。その動きに合わせて、子どもたちも同じように身体を揺らす。色や数を教えるときには、手の動きが少し大きくなり、月組の子どもが下の組に教えるときには、その横でそっと動きを支える。最初に見たときには、その大きさに一瞬だけ距離を取る子もいる。けれど、何度か動きを重ねるうちに、その距離はほどけていく。子どもたちは腕を引き、名前を呼び、気づけばすぐ横に立っている。

 もう一つの存在は、少し違う形でそこにいる。AIサイバーサイジングは視線を合わせ、声を返す。問いかければ答えが返り、昨日の話を続けることもできる。だが、手を伸ばしても触れることはできない。握手をしようとした手は、空を切る。それでも子どもたちは手を止めない。

「Good morning.」

「おはよう」

声が重なり、笑い声が続く。AIは絵本を開き、ページをめくるように物語を進める。

途中で問いを投げかけると、子どもたちが答え、それを拾ってまた次へつなげていく。

「How do you feel today?」

(きょうね、たのしい?)

「That’s good. 」

(楽しいね)

言葉は日本語と英語のあいだを行き来しながら、そのまま続いていく。

 広場の端では、別の子どもがビデオ画面の前に立っている。画面の向こうから、別の園の子どもが手を振る。

「See you again!」

(またね!)

声は軽く、手を振る動きもすぐにほどけて、次の遊びへ移っていく。出入口の近くでは、海外用のタグがついた鞄を持つ親が、保育士に何かを伝えている。紙を受け取り、行き先を確かめる。別の場所から来た子が、そのまま輪の中に入る。抜けた場所には、すぐに別の動きが重なる。

 廊下のほうを見上げる子がいる。ガラスの向こうに並ぶデスク、そのあいだを動く人影。食堂の方向からは、食器の触れ合う音がかすかに届く。子どもはしばらくそこを見てから、また足元に視線を戻す。

 壁の絵に目を戻すと、そこに描かれている顔が、さっき広場で見た動きと重なって見える。

「きょう、くる?」

「あとでくるよ」

そんな声が、近くで交わされる。

「パパとママ、きたらね」「うん」

 名前を呼ぶ声が広場のあちこちで重なり、別の場所から応じる声が返る。遊びの流れは止まらず、そのまま続いていく。けれど、ときどき、いくつかの視線だけが入口のほうへ向く。すぐに戻る視線もあれば、そのまま少しだけ残る視線もある。

 丸の内の保育園では、梅組のあたりではまだ言葉をそのまま受け取れない子もいる。呼ばれても首をかしげたり、名前だけを繰り返したりする。けれど、ひとつ上の組に上がるころには、その呼び方に少しずつ反応が混ざりはじめる。竹組に入ると、誰のことを指しているのかを確かめるように、まわりの顔を見てから言葉を返すようになる。月組の教室の前では、呼ばれた名前にそのまま振り向き、「うん」と短く返す子どもがいる。

 普段、そこにいるわけではない。それでも、話の中に名前が出ると、何人かが入口のほうを見る。来る日と来ない日があることは、説明されなくてもわかっているようだった。何度か繰り返された出来事の中で、その距離は曖昧なまま保たれている。

 机の上には、折りたたまれた紙がいくつも置かれている。クレヨンで描かれた絵の横に、ひらがなと英語が混ざった文字が並ぶ。保育士が封筒を広げ、子どもがそこへ紙を入れる。

「To…」

とつぶやきながら、名前を書こうとして途中で止まり、隣の子どもがのぞき込む。完成した封筒はまとめられ、端に積まれていく。別の日には、画面の前に集まり、順番に話す子どもがいる。

「Hello」

「I’m fine」

言葉は短いが、言い終えると、少しだけ胸を張る。

 数日後、その画面に別の映像が映る。見慣れない風景の中で、声が返ってくる。

「You give us strength.」

「You make us smile.」

英語のあとに日本語が続くと、近くにいた子どもが声を上げて笑う。画面の中の人物が手を振ると、こちらでも同じように手が上がる。

 広場に戻ると、いつもの動きが続いている。遊びの流れの中に、さっきの出来事がそのまま混ざっている。ただ、朝の時間帯になると、入口のあたりの動きが少し変わる。人の流れが重なり、保育士が次々に名前を呼び、腕を伸ばして子どもを受け取る。靴を履き替える場所で足が止まり、後ろから来た子どもが肩にぶつかる。別の保育士がすぐに間に入り、流れを横へ逃がす。時計を見て、小さくうなずき、別の列を作るように手を動かす。

 教室の中では、机がほとんど埋まっている。椅子を引く音が重なり、空いた場所に次の子どもが座る。広場では時間ごとに集まる場所が変わり、同じ空間を区切りながら使っている。

 受付の横では、紙を広げて何かを書き込んでいる職員がいる。別の職員が近づき、指で一か所を示す。うなずいたあと、視線を入口のほうへ戻す。すぐに次の親子が入ってくる。それでも、入口の前には短い列が残る。腕時計を見てから子どもの手を握り直す親と、靴を履き替えながら何度も後ろを振り返る子ども。そのあいだを、保育士が何度も往復する。

 園の外では、別の場所へ向かう親子の姿もある。手を引かれながら歩き、途中で何度か立ち止まり、また歩き出す。別の日には、受付で名前を確認したあと、少しだけ間を置いてから引き返す親もいる。

 掲示板の前には、いくつかの紙が並んでいる。空き状況を書いた表の前で立ち止まる人影があり、指でなぞるようにして読み進める。隣に立つ人が小さく首を振り、別の紙に目を移す。

 広場に戻ると、子どもたちは変わらず動いている。ブロックを積み上げる手、絵本のページをめくる指、走り出して止まる足。その中に、ときどき入口のほうを見る視線が混ざる。

 奥の通路では、数人の大人が並んで歩いている。話し声は小さく、途中で足を止めることもある。手に持った端末の画面を見せ合い、何かを確認してから、また歩き出す。別の場所では、椅子に座って画面越しに話す人の姿がある。うなずきながら言葉を返し、ときどき視線を外へ向ける。

そのまま広場へ戻ると、子どもたちの動きは止まっていない。誰かが笑い、誰かが名前を呼び、別の場所でまた別の声が重なる。

その流れの中で、ときどき、いくつかの視線だけが入口へ向く。すぐに戻る視線もあれば、そのまま少しだけ残る視線もある。

 チャイムの余韻が消えていくころ、子どもたちは教室前の広場へと集まってくる。自分で上履きを履き終えて走り出す子もいれば、保育士に手を引かれたまま片足を持ち上げている子もいる。履き替えの途中で足を止めて後ろを振り返る子の肩に、次に来た子どもが軽くぶつかり、間に入った保育士が手を添えて前へと促していく。前へ出た足が別の子の靴先に触れ、体がよろけてすぐに立て直される。腕や背中が触れ合いながら、子どもたちは少しずつ中央へ押し出されていく。その中に、まだ涙の跡が残る梅組の子どもがいて、抱えられたまま小さく肩を揺らし、「ママ……」とかすれた声を服に押しつけるように残している。

 それでも保育士たちは声をかけながら位置を整え、手の向きや立つ場所をそろえ、ゆっくりと列の形をつくっていく。足の位置を直される子、背中を軽く押される子、肩に触れられて前へ出る子。その流れの中で、前に立つひとつの動きへと視線が集まり、藤堂真理子園長が広場の前に立つと、子どもたちのほうへ目線を落として見渡す。隣では梅組の子を抱えた保育士が軽く身体を揺らし、月組の子どもたちはすでに足の位置をそろえて背を伸ばしていた。

「おはようございます」

「おはようございます!」

 前から順に声が返り、月組のはっきりした声に続いて松組と竹組が重なっていく。梅組の中にはまだ声にならない子もいるが、口だけを動かしながら前の列を見ており、となりの子の声に合わせるように唇の形をまねている。

 藤堂園長が小さくうなずく。

「今日は、前からお話ししていた日です」

 その言葉に月組の何人かが顔を見合わせ、

「アメリカのパパとママが、来ています」

と続いた瞬間、前の列から身体がわずかに前へ出て、

「ほんとに?」

「今日なの?」

「やった!」

「昨日、あんまり眠れなかった!」

と声が弾ける。

松組や竹組も顔を寄せ合いながら言葉を交わし、

「英語いう?」

「くるの……?」

と小さな声が混ざる一方で、梅組の子は保育士の服を握ったままざわめきのほうへ目を向け、涙を残したまま顔だけを上げて前の動きを追っている。

 藤堂園長がもう一度手を上げ、

「はい、少し静かにしましょう」

と声を落とすと、その声に合わせて前の列の子どもが足を止め、隣の子も同じように動きを止めていく。

重なっていた声が少しずつ細くなり、

「あとで英語でお話しします。みんなの絵も見てもらいます。お昼はいっしょに食べます」

と続く言葉に、うなずく子が現れ、その動きを隣の子がまねる。

「お昼のあと、この広場で少し遊びます。そのあと『愛の薔薇讃歌』をいっしょに歌って、お見送りします」

と続くと、月組の何人かが口の中で歌の出だしをなぞり、

「それからパパとママは、今つくっているお仕事の場所も見に行きます。大阪にも新しい園をつくる予定です」

という言葉に反応して、顔を上げる子が増える。

「今日のこの場所も、そのために見に来ています」

と言ってから一度だけ広場を見渡し、

「とても遠いところからここまで来てくれました」と続け、少しだけ間を置いて

「だから、よく聞いてください」

と静かに落とすと、さっきまで動いていた肩や手がその場で止まり、視線が前に揃っていく。

「そして、いつものように過ごしましょう」と声が続き、

「午後はそれぞれのクラスで過ごします」

と言われると、梅組のほうで保育士が子どもをゆっくり揺らし、

「松組さんは言葉を思い出してみましょう」

と続くと小さく「Hello」

とつぶやく声が混ざり、

「竹組さんは絵を描いたりお話ししたりします」

と言われて手元を見つめていた子が指を動かし、

「月組さんは今日のことを残します」と言われて月組の子が隣と目を合わせる。

「夕方になったら、いつもの時間になります」と続くと何人かが入口のほうを見て、

「お迎えが来ます」

と言葉が落ちると、その視線がゆっくり戻っていく。

 藤堂園長が手を下ろすと、広場のざわめきは少しずつ落ち着き、泣いていた子どもも涙をこらえながら顔を上げ、鼻をすすりつつ前の列を見る。呼吸が少しずつ整い、肩の揺れが小さくなっていく。

「では、英語で呼んでみましょう」

 その声に前の列の子どもたちが足をそろえ、月組の子どもたちが同時に息を吸って

「Good morning!」

(おはようございます!)

と声を上げる。その声が前から広がり、少し遅れて松組、ばらつきながら竹組へと続き、梅組の中でも小さな口がまねるように動く。

「Good morning, Papa!」

(おはようございます、パパ!)

と前の列から重なり、

「Good morning, Mama!」

(おはようございます、ママ!)

と続く声が横へ広がる声の大きさも速さも揃わないまま、それぞれの高さで重なりながら、顔はすべて前へ向いている。

 その中で泣き出す子もいれば言葉を止める子もいるが、前を見たまま動かない子もいて、名前を呼ぶ声が混ざり、別の場所でまた声が返る。保育士がそっと肩に手を置くと、小さくうなずく子がいる。入口のほうを見たまま動かない子が何人かいて、その視線につられるように、隣の子も同じ方向を見続ける。保育士も次の声をかける前に一瞬だけその向きを崩さず、広場の中に同じ方向を向いたままの時間がわずかに残る。

 そのまま、誰かが動き出す前の短い間だけ、前を見たまま立っている子どもたちの視線が揃ったまま残っていた。

 園児たちの英語の挨拶が広場に響き終わるころには、前を向いたままの小さな顔がいくつも並び、さっきまでざわついていた空気も、広場の真ん中で少しずつ落ち着きを取り戻していた。その上の階では、夫妻の朝食も身支度もすでに終わっている。二人はいつものファッションスーツのまま職員室へ続く廊下を静かに進み、短い待機のあと、広場へと姿を現した。手を振りながら、笑顔のままで。

「Good morning, everyone!」

(おはようございます、みなさん!)

「Good morning! Thank you for having us!」

(おはようございます!呼んでくれてありがとう!)

「We came from America to see you! We’re so happy to see you again!」

(アメリカから来ました!またみんなに会えてうれしいです!)

最後に二人そろって、もう一度やわらかく手を振る。その動きが前の列に届いた瞬間、あちこちで小さな肩がぴくりと動き、さっきまで泣いていた子の中にもようやく顔を上げる子が出る。一方で、人見知りの強い子は保育士の服を握ったまま身体を固くし、見慣れない大人に驚いたのか、また涙をこぼしてしまう。前へ身を乗り出す子もいれば、その場から動かない子もいる。夫妻は広場の前に立ったまま、その違いを順に見ていた。

 これまで藤堂園長や夏美サーベラス、福利厚生担当の部署から何度も上がってきた話の中にあったことが、今は目の前でそのまま動いている。以前に訪れたときより、子どもの数はたしかに増えていた。前の列に並ぶ顔の数、広場の詰まり方、保育士が身体を返す速さ、そのどれを見ても前より余白が薄い。そこへ重なるのが、子どもたちの反応だった。笑っている子、緊張している子、まだ泣いている子。二人はその全部を一度に受け取りながら、この場でどう立つべきかをそれぞれのやり方で決めていく。

 アラクネアの視線は、まず子どもの顔に落ちる。目が合うまでの間、口元がゆるむまでの速さ、指先が服を握ったまま離れない子と、少し迷ってから手を伸ばそうとする子。その違いを追いながら、彼女はここで起きることがその子の中にどんな形で残るのかを見ていた。十年後に思い出したとき、それが痛みにならず、静かに支えるものとして残るかどうか。そのために、彼女の動きは自然に決まっていく。急がない。強く近づかない。言葉を重ねすぎない。相手の高さまで身を落とし、子どものほうから一歩出られるだけの距離を残す。押しつけるようなやさしさではなく、あとに残る感触のほうを選ぶような立ち方だった。

 一方のアレックスは、場の輪郭を先に拾っている。入口から最前列までの距離、保育士が入れる隙間、子どもが横へずれたときにぶつかる位置、泣いている子の近くで流れが止まりやすい場所。理想どおりにいくかではなく、この場が最後まで壊れず進むかどうか、その一点に視線が置かれている。接触は段階的に行うこと、最前列から無理のない順で進めること、泣いている子には近づきすぎないこと、保育士を中心に動線を保つこと。異常があればすぐに止める。安全が崩れる形では、どんなにやわらかな交流も立ち上がらない。その線引きは、彼の中ではもう固まっていた。

 その二つの判断は声にならない。互いに確かめ合う必要もなかった。それでも、どこまで近づくか、どの順で進めるか、どこで止めるかについて、同じ場所へ着いていることは、二人ともすでにわかっていた。長い年月のあいだに繰り返してきた状況把握と意思決定、かつて所属していた現場で身についた危機対応の感覚、その積み重ねが、言葉を交わさなくても相手の選択を先に知らせてくる。だから、次に自分がどう動くかも、もう決まっていた。

 その次の瞬間、アレックスが最前列の月組へ向けて一歩だけ進んだ。速くもなく、遅くもない。子どもたちの視線を脅かさず、それでいて待たせもしない、その幅の中にきちんと収まった動きだった。アラクネアはそれより半歩だけ遅れて身を屈める。スーツの赤が広場のやわらかな緑の中で浮かぶ。けれど、その色は押し出すようには見えない。最初から子どもの目線まで下がるつもりで来ていることが、その所作のほうから先に伝わる。

 丸の内保育園の広場には、白と緑の空気が広がっていた。壁の奥には月の意匠があり、教室の上部看板には松組と月組の文字が並び、春の花と夜の動物たちが描かれた壁画の前へ、二人は子どもたちの輪にまぎれるように入っていく。月組の子どもたちは、すでに前へ出る準備ができていた。緊張していないわけではない。けれど、その緊張は怖さよりも、ずっと待っていたものが本当に来たときの、少し誇らしい硬さに近かった。

 夫妻は床に近い位置まで身を落とす。椅子も机も使わない。最初から、子どもたちと同じ高さで話すためだった。アレックスがやわらかく笑い、最初の言葉を置く。

「Hello everyone. Thank you for welcoming us today.」

(こんにちは。今日は迎えてくれてありがとう。)

月組の子どもたちの中から、小さな声が混じり合う。

「Hello!」

(こんにちは!)

揃いきった返事ではない。それでも、声が返ると、夫妻はすぐにその子たちの顔を見た。うまく言えたかを待つような間はなく、届いたことだけが相手の表情で返っていた。アラクネアがさらに膝を折り、目の前の子どもに視線を合わせる。近いが、近すぎない。子どもが一歩下がっても怖くならない距離を、最初から外していない。

「You can speak English very well. What is your name?」

(英語、とても上手ね。お名前は?)

最前列にいた男の子が、少しだけ肩をすくめてから、まっすぐ答える。

「My name is Haru.」

(ぼくの名前はハルです。)

アラクネアの表情がやわらかくほどける。

「Nice to meet you, Haru. I’m very happy to meet you.」

(会えてうれしいわ、ハル。)

春は少しだけ照れたように口元をゆるめ、それでもきちんと返した。

「Me too!」

(ぼくも!)

その短いやり取りが終わると、周囲の肩の力がふっと抜ける。何人かが口の中で同じ言葉をまね、担任はそれを止めずに小さくうなずいていた。

 アレックスが別の子へ顔を向ける。

「What do you like?」

(何が好き?)

少し考える間があり、それから勢いよく答えが返る。

「I like dinosaurs!」

(きょうりゅうが好き!)

「Dinosaurs! Wow! What is your favorite dinosaur?」

(恐竜!すごいね。いちばん好きなのは何?)

「T-rex!」

(ティラノサウルス!)

アレックスはほんの少しだけ大げさに目を開く。

「Oh! Very strong!」

(おお、すごく強いね!)

その言い方に、子どもたちがくすっと笑う。笑いが広場の緊張をさらにほどき、月組の輪の中にいた何人かが、今度は自分も話したいという顔をし始める。保育士が小さく合図を出す。月組の担任だった。

「You can give them your present now.」

(いま、プレゼントを渡していいですよ。)

それを待っていたように、一人の子が両手で絵を差し出す。紙は少し大きく、クレヨンと色鉛筆で描かれた二人並んだ夫妻の絵のまわりに、赤とオレンジの薔薇が咲き、小さな旗が端に添えられている。

「This is for you.」

(これ、あなたたちに。)

アラクネアは片手ではなく、きちんと両手で受け取る。

「Thank you so much. Did you draw this?」

(ありがとう。あなたが描いたの?)

「Yes. This is you. And this is you.」

(うん。これがあなたで、これがあなた。)

子どもの指が紙の上の二人を順に示す。アラクネアはその指先を追ってから絵に視線を落とし、少し驚いたように、それでも本当にそう思った顔で言う。

「Oh… you drew us together. That’s beautiful.」

(ああ……私たち、二人で描いてくれたのね。とてもきれい。)

アレックスは絵の中の薔薇へ視線を止める。

「I see roses. Do you like roses?」

(薔薇があるね。薔薇が好きなの?)

「Yes. Red and orange.」

(うん。赤とオレンジ。)

その答えに、アレックスの声が静かになる。

「We like them too. Thank you for remembering.」

(私たちも好きだよ。覚えていてくれて、ありがとう。)

簡単な英語だったが、その最後の一言が落ちると、絵を渡した子は紙から手を離したまま、しばらく夫妻の顔を見上げていた。

 別の子が、小さなハート型のカードを差し出す。ピンクの紙に、THANK YOU の文字が見える。

「This is a heart.」

(これはハート。)

アラクネアはそれを受け取ると、胸の前でそっと止める。

「A heart… That makes me very happy.」

(ハート……とてもうれしいわ。)

その仕草に、周囲の子どもたちの顔がいっせいに明るくなる。意味を全部のみ込めない子もいたが、うれしいと言われたことは表情だけで十分に伝わっていた。

 やがて、少し背の高い子が、ためらいながら口を開く。

「Do you come again?」

(また来る?)

その瞬間だけ、広場の空気がほんの少し止まる。前の列の子が笑うのをやめ、担任も次の声をすぐには足さない。アレックスは間を置きすぎず、しかしごまかしもせずに返した。

「We cannot come very often… but we always remember you.」

(たくさんは来られないけれど、いつも覚えているよ。)

続けてアラクネアが言う。

「And we are very proud of you.」

(あなたたちを、とても誇りに思っています。)

「Proud……」

「He said proud……」

(プラウド……)

(プラウドって言った……)

子どもたちの小さな声が重なる。担任が静かにうなずく。何人かの子がその言葉を口の中で繰り返し、すぐには次の言葉を探さなかった。

 最後にアレックスがゆっくり言った。

「Keep speaking English. Keep being kind.」

(英語を話し続けて。やさしいままでいて。)

そしてアラクネアが続ける。

「The world is waiting for you.」

(世界は、あなたたちを待っているの。)

その言葉に、月組の子どもたちは一様には反応しない。まっすぐ見返す子もいれば、意味をまだ完全にはつかめていない子もいる。それでも誰もすぐにはふざけず、月組の列だけがしばらく静かだった。担任も次の声を急がない。返事を急がないその間の長さが、その言葉の置かれた場所をそのまま示していた。

 月組との対面を終えると、夫妻はそのまま竹組と松組のほうへ移る。ここでは英語と日本語が自然に混ざり、空気は少し軽くなる。

「Hello!」

(こんにちは!)

「This is for you!」

(これ、あなたに!)

差し出されるのは折り紙、小さな花、カード。月組のものより幼く見えるが、差し出す手のまっすぐさは同じだった。アラクネアは受け取るたびに、きちんと相手の目を見て返す。

「Oh, how lovely! May I keep it forever?」

(まあ、すてき。ずっと大事にしてもいい?)

子どもが大きくうなずく。すると彼女は胸にそれを当てて言った。

「I promise.」

(約束するわ。)

その姿に、竹組と松組の子どもたちが声を上げて喜ぶ。アレックスもまた、一つ一つの折り紙にきちんと反応し、短く、わかりやすく、それでいて曖昧にしない言葉で返していく。答えを探すように黙り込む子より、返した言葉が相手の顔をどう変えるかを見ている子のほうが多く、英語はそこで、正解より先にやり取りの形として動いていた。

 最初から、空気はほかの組とは少し違っていた。月組のように言葉が先に出るわけではなく、竹組や松組のように差し出す手がまっすぐ伸びてくるわけでもない。保育士に抱かれたままの子がいて、指を口に入れたままこちらを見ている子がいる。半分だけ笑って、半分だけ身体を固くしている子もいる。夫妻はその前でしゃがむ。それも、さっきまでよりさらに低く、ほとんど床に近いところまで身を落としていた。アレックスが最初に、手をゆっくり振る。

「Hello.」

(こんにちは。)

大きく振らない。速くも振らない。見ている子が目で追えるだけの幅を残した動きだった。アラクネアは声をさらに落とし、小さく拍手をひとつ打つ。

「Hello, sweetheart.」

(こんにちは、かわいい子。)

目の前にいた幼い子が、その音に反応して少しだけ顔を上げる。保育士の肩に頬を押しつけていた子も、片目だけこちらへ向ける。まだ言葉は返らない。それでも、反応がまったくないわけではなかった。アレックスはその小さな動きを逃さず、声の高さを変えないまま続ける。

「You’re doing great.」

(とてもよくできているよ。)

アラクネアもやわらかく重ねた。

「So brave.」

(がんばってるね。えらいわ。)

言葉の意味がそのまま届いているわけではない。けれど、叱られていないことは、声をかけられた子の肩がこれ以上強く上がらないことで見て取れた。急かされていないことも、抱かれたままの子が顔をそむけずにいられる長さで伝わっていく。一人の子が小さく拍手を返す。別の子が、口元だけで少し笑う。そのたびに夫妻はすぐに反応し、アレックスが目を見開き、アラクネアが「Oh, wonderful.」(まあ、すてきね。)と返す。すると、さっきまで固かった空気が、ほんの少しずつゆるんでいく。

 横で見ている保育士たちの動きも変わらない。抱き方を急に変えず、子どもの重みを支えたまま、夫妻とのあいだにできるわずかな空間だけを残している。その中で、子どもが自分から顔を上げるのを待っている。泣き声が強くならないまま、抱かれた子の肩だけが少しずつ下がっていく。夫妻のほうもまた、その幅にぴたりと合っていた。

 午前の後半になると、広場へ戻った月組を中心に、短い「一日先生」の時間が始まる。机の上に紙が並び、クレヨンや色鉛筆が広げられる。子どもたちが席につき、まだ座りきらないうちに隣の子の色をのぞき込む。アラクネアはその前に立つのではなく、机の横へ回り込み、子どもたちと同じ高さまでまた身を落とした。アレックスは赤とオレンジの画材を指先で示しながら、ゆっくりと言う。

「Let’s draw roses.」

(薔薇を描いてみよう。)

子どもたちの目が、机の上の色へ集まる。アラクネアが赤のクレヨンをそっと持ち上げる。

「Red means love.」

(赤は、愛の色。)

続いてアレックスが、オレンジを示す。

「Orange means warmth and joy.」

(オレンジは、あたたかさと喜びの色。)

言葉が終わるより先に、子どもたちの手が赤とオレンジへ伸びていく。月組の子どもたちは、それぞれの紙に薔薇を描き始める。丸く重ねた花びら、まっすぐな茎、思い出したように足される葉の色。二人の胸元にあったバラを見ていた子もいれば、庭に咲いていた花の色を思い出している子もいるのだろう。赤を強く塗る子もいれば、オレンジを何本も重ねる子もいる。線は違っても、手の動きは止まらない。

 その空気に引かれるように、松組や竹組の子どもたちも自分たちの紙へ向かっていく。丸い花になる前のような線を引く子、花びらより先に茎を伸ばす子、気づけば花ではなく大きな丸を描いて笑っている子もいる。アラクネアはそれを見て、「Beautiful.」(きれいね。)とひとりずつに返し、アレックスは紙の端に置かれた色を見て、「Good choice.」(いい色だね。)と短く言う。すると、止まりかけていた手がまた紙の上を動き出し、となりの子ものぞき込むように自分の色を重ねる。

 歌はまだ入らない。愛の薔薇讃歌は午後のために残されている。今は、紙の上に色が重なり、言葉と絵のあいだを子どもたちの手が行き来しているだけだった。誰かが赤を貸し、誰かがオレンジを取りに手を伸ばし、保育士が落ちたクレヨンを拾って机の端に戻す。赤を貸してと声が重なり、笑った子の肩がとなりの子に触れても、誰ももう強くは固まらなかった。


 やがて、会社の昼休憩に重なるように、遠くで学校と同じあのチャイムがキンコンカンコンと鳴った。正午を知らせる短い音が広場の奥まで届き、消えきるころには、遊びの手を止める子がいて、机の上の紙から顔を上げる子がいて、保育士たちもそれぞれの持ち場から自然に広場の中央へ視線を戻していた。昼の時間だった。

 藤堂園長が前へ出る。

「みなさん、お昼の時間です。パパとママといっしょに、月組さんから順番に食堂に上がっていきましょう」

「はーい」

 最初に声を上げたのは月組だった。少し誇らしげで、少し弾んでいる。午前のはじめには泣いていた子もいた。人見知りで顔を伏せていた子も、緊張で言葉をうまく出せなかった子もいた。それがこの時間までのあいだに、泣き疲れて静かになり、遠くからじっと様子を見て、気づけばそっと顔を上げるところまで来ていた。そして今は、多くの子どもたちが同じ方向へ歩き出そうとしている。

夫妻も二人そろって、やわらかく声をかける。

「Let’s have lunch together.」

(いっしょにお昼にしましょう。)

月組の子どもたちが、少しだけ声をそろえる。

「Yes!」

(はい!)

 その後ろに竹組、松組、梅組が続く。保育士に促されながら、子どもたちはいつもの食堂へ向かって列をつくっていく。けれど、今日はやはり、いつもとまったく同じではない。その列の中に夫妻がいて、そのぶん視線の寄り方も、足の止まり方も、いつもよりわずかに増えていた。

 食堂の入口に差しかかると、流れに小さな滞りが生まれる。列の先頭では、配膳の受け取りがひと呼吸ぶん遅れ、そのぶん後ろの列がゆるやかに寄ってくる。クラスごとの動きが重なり、受け取りカウンターの前に肩幅ひとつぶんの密集ができる。立ち止まる子がいて、前との間を詰めすぎる子もいる。だが、保育士がすぐに間へ入り、手のひらでそっと距離を戻す。ほんの一瞬だけ、動きが詰まる。

 その詰まり方は、ここに来る前から何度も話に上がっていた。藤堂園長や夏美サーベラス、福利厚生担当の部署から共有されてきた報告の中にも、同じ形が繰り返し現れていた。大阪支社の開設予定計画が動き始めてからは、とくに園児数の増加と重なるかたちで、その話題が戻ってくることが増えている。訪れるたびに見直し、共有されるたびに確認し、その都度また調整を重ねてきた。その流れは丸の内だけに閉じているわけでもなかった。重要拠点や規模の大きい支社でも、条件は違いながら、似た詰まり方が保育施設の中に現れることがある。空間の大きさ、導線の取り方、人数、文化。その違いごとに現地の担当者が顔を合わせ、その場所に合う対策を出し、少しずつ直してきた。ひと息で片づく種類の問題ではなく、いつも小さな修正を重ねながら続いてきたものだった。

 そして丸の内では、もう一つ別の輪郭もはっきりしてきていた。席が足りなくなり始めている。食堂へ流れ込む子どもの数が増えるにつれ、これまでの配置では、全員が同時に無理なく座ることが難しくなっていた。机の置き方、椅子と椅子の間隔、そこへ重なる動線。席を増やしたり、配置を変えたり、詰めたり、逆に少し空けたりと、これまでも手は入っている。現場で試し、また直し、保育士たちとすり合わせながら、そのたびに形は更新されてきた。けれど、目の前の列を見れば、まだ完全には追いついていないことがわかる。

 アラクネアは、列の中で足を止める子どもたちを見ていた。受け取りを待つ短い時間、前の子の背中が近づきすぎる瞬間、座れずに立ったまま周囲を見回す子の目の動き。押し合うほどではなくても、その小さな窮屈さが、あとにどんなかたちで残るのかを見ているようだった。待たされる時間が長すぎないか、比べるような空気が生まれていないか、安心がまだ保たれているか。彼女の視線は、ひとつひとつの反応のほうへ静かに落ちていく。

 その横でアレックスは、列の形を見ていた。どこで流れが割れ、どこで滞留が生まれ、座席配置が導線とどうぶつかるのか。いまはまだ保たれている。だが、このまま人数が増えれば、同じ構造のままではいつか崩れる。その見方は、前に詰まった列だけではなく、その先まで伸びていた。

 アラクネアの視線は足を止めた子へ落ち、アレックスの視線は詰まりかけた列の先へ伸びていたが、二人の立つ位置は次の瞬間にはもう決まっていた。受け取りの流れを一本のまま押し込まず、少しだけ逃がすこと。クラスごとの間隔を、今よりもうひと息だけ空けること。席の並びも、流れを切らないかたちで組み直すこと。その判断は口には出ない。視線も交わさない。それでも、二人の足が止まる場所だけは、無駄なく同じ結論をなぞっていた。

 今回の訪問が終われば、また夏美サーベラスを通して、藤堂園長や福利厚生担当部署へ共有が戻る。大阪支社の開設予定計画でも、同じ詰まり方を繰り返さないよう、現場の設計そのものを見直す。運用で受け止め続けるのではなく、構造の側から直す。その向きは、二人の立ち方にもう出ていた。

 それと同時に、丸の内のこの場でいま必要な動きも、すでに定まっていた。大きく変えるのではない。そのままにもしておかない。受け取りの流れを少しだけ分け、クラスごとの間隔をもうひと息ぶん空け、滞留が生まれる位置には保育士をひとり多く置く。席の配置も、詰めすぎず空けすぎず、流れを切らないかたちでまた組み直す。子どもを止めない。だが、詰まらせない。無理に整列させない。だが、流れは崩さない。それで足りるとは思っていない。それでも、いまこの列を少しでも詰まらせないために動かせる手は、もう二人の中で決まっていた。

 その判断も、言葉にはならない。けれど、いまこの場でどう動くかはすでに決まっている。アラクネアは子どもたちとの距離を測り、どこまで声を届け、どこで待つかを見ていた。近づきすぎれば負荷になる。遠ざかれば関係が残らない。そのあいだの、ほんのわずかな幅を外さないようにしている。

 アレックスは列の横に立ったまま、声を張らず、子どもが止まる長さだけを目で追っていた。どの位置なら流れを崩さずにいられるか、どの程度の会話なら滞留を生まないか、どこまでなら安全が崩れないか。その見方に合わせるように、二人の立つ場所も自然に分かれる。片方が流れを崩さない位置へ回り、もう片方が子どもと目線を合わせやすい場所を取る。言葉を交わさなくても、役割はすでに分かれていた。課題は消えていない。それでも、いまこの場は保たれている。

 食堂の中へ入ると、空間がふっと開ける。天井にはやわらかな緑色のランプシェードが下がり、床には落ち着いた緑のカーペットが広がっている。広く取られた空間の中に、クラスごとの区画が丁寧に分けられていた。松、竹、梅、そして月。それぞれの日本画があしらわれたブースごとに、園児たちの机が置かれている。右奥の大きな窓からは丸の内の街並みが見え、冬の光がやわらかく差し込んでいた。左側には園児の高さに合わせて作られた受け取りカウンターがあり、その奥では厨房で栄養士が静かに動いている。さらに一番奥にはグランドピアノが置かれていた。

 この空間は、丸の内支社が完成した二〇一一年、同時に設計されたものだった。夫妻と夏美サーベラス、当時の園長。その手が入った場所で、導線も視線も高さも音も、アレルギーへの配慮まで細かく組まれている。その判断が、いまもこの場所の基盤として残っている。

 昼食の場は、朝の広場より静かだった。だが、静かすぎるわけでもない。いつもより少し高い声が混じり、小さな興奮がまだ冷めきっていない。

藤堂園長がピアノの前へ行き、腰を下ろす。

「それでは、みなさんでいつも通り、英語でいただきますの歌を歌いましょう!」

そう言って、やわらかく鍵盤に触れる。最初の音が、食堂の中の空気をゆっくり整えていく。この園では、いただきますの歌を英語で歌うことが昼の習慣になっていた。特別な日だからではない。いつもの昼の始まりとして、何度も繰り返されてきた時間だった。

 夫妻も、藤堂園長が座るピアノの隣に立つ。子どもたちの声が、少しずつ重なり始めていく。

「We eat together, We share this day,

Thank you for this meal, Hip hip hooray.」

(いっしょに食べて、この一日を分かち合おう。

この食事にありがとう。ばんざい!)

藤堂園長の弾くピアノに合わせて、子どもたちの声が食堂の中で重なっていく。音は急がず、ゆっくり広がり、誰かの声に少し遅れて別の声が乗る。伸びるところで自然にそろい、また少しずれて、もう一度重なる。最後の一行だけ、声がそろう。

「Thank you for the meal.」

(ごはんをありがとう)

一拍おいて、今度はいつもの声で、

「いただきます!」

椅子がわずかに動き、食器の触れる音が続く。食事が始まる。

夫妻は月組のひとつの班の席に入る。特別な場所ではなく、子どもたちの並びの中にそのまま加わる。子どもたちはスプーンとフォークを手に取り、皿に向かう。指先はまだ少しぎこちないが、動きは止まらない。その中で、夫妻は箸を持つ。持ち替えもなく、そのまま食べ始める。向かいの子がその動きを目で追い、少しだけ目を大きくする。

「You can use chopsticks?」

(おはし、使えるの?)

顔を上げたまま、やわらかく笑う。

「Yes, a little.」

(少しだけね。)

隣の子が口を動かしたまま、こくりとうなずく。

「You’re doing well.」

(じょうずに食べてるね。)

そのあと、子どもはもう一度スプーンを持ち直す。皿の上のごはんをすくい、口へ運ぶ。机のまわりで、同じ動きが続いていく。

アレックスが少しだけ身を乗り出す。

「What are you eating today?」

(今日は何を食べているの?)

聞かれた子が皿を見て、それから顔を上げる。

「Rice and fish. And vegetables.」

(ごはんとお魚と野菜だよ。)

うなずく。

「Do you like it?」

(好き?)

「Yes!」

(うん!)

間をあけずに返る。そのままもう一度だけ重ねる。

「Which one do you like the most?」

(どれが一番好き?)

「Fish!」

(お魚!)

「Good choice.」

(いいね。)

スプーンが皿に当たる音が続く。隣の席では、保育士が小さな声で順番を促している。会話のあいだにも、手は止まらない。

しばらくして、別の子が顔を上げる。

「You said proud, right?」

(さっき“プラウド”って言ってくれたよね?)

少しだけ間が空く。顔を見てから答える。

「Yes. I’m proud of you.」

(そうだよ。君たちを誇りに思っているよ。)

その声に重なるように、隣から声が出る。

「I said T-rex!」

(ぼく、ティラノサウルスって言えたよ!)

少しだけ目を見開く。

「Yes, you did. Very strong dinosaur.」

(そうだね。とても強い恐竜だね。)

机のまわりで小さな笑いが広がる。笑いながらも、手は皿へ戻る。

「This is for you… again.」

(これ、またあげるね。)

差し出された紙を、夫妻は両手で受け取る。大きく口を開けたティラノサウルスが描かれている。

「Thank you. I will keep it.」

(ありがとう。大切にするね。)

紙から手を離したあとも、その子は少しだけ見ている。受け取られたのを確かめてから、皿へ視線を戻し、スプーンを持つ。

少し離れた席では、竹組や松組の子どもたちが胸の前で紙を持つ仕草をまねしている。見せるように持ち上げる子がいて、それを見た隣の子が同じようにやり返す。梅組の席では、食器の音が静かに続き、保育士の声に合わせてスプーンが動く。

皿に当たる音と、小さな声が途切れず重なる。椅子がわずかに引かれ、また戻る。窓からの冬の光が、机の端とスプーンの先に落ちている。

食べながら振り返る子がいて、机の端に置かれた紙に何度も目をやる子もいる。

そのまま、また一口食べる。

 午後一時前、食堂の奥で藤堂園長が静かに声をかける。 「みなさん、そろそろごちそうさまの時間ですよ。ごちそうさまの英語の歌をみんなで歌い終わったら、食器を月組さんから順番に片付けましょう。片付けが終わった子から、下の広場に戻ります。パパとママや先生たちといっしょに少し遊んで、そのあと、お見送りの会になります」 声が届くと、スプーンの動きがゆるみ、顔を上げる子が続く。隣と目を合わせる子がいて、椅子が小さく鳴る。 「はーい!」 重なった声のあと、何人かが背筋を伸ばす。 藤堂園長がピアノの前に座る。先ほどと同じ位置に腰を下ろし、手を鍵盤の上に置く。その隣に、夫妻も静かに並ぶ。 指がやわらかく動き、最初の音が食堂に広がる。食器の音がひとつずつ減り、代わりにが重なる。

「We eat together, We share this day, Thank you for this meal, Hip hip hooray.」 (いっしょに食べて、この一日を分かち合おう。 この食事にありがとう。ばんざい。)

少し早く入る声があり、それに別の声が重なる。伸びるところでそろい、また少しずれて、そのまま最後まで流れる。 歌が終わると、月組の席から椅子が引かれる音が続く。ひとりが立ち、皿を持つ。次の子も立ち、その後ろで少し間をあけて続く。 皿を両手で持ったまま、厨房のカウンターへ向かう。前の子の背中との距離を見ながら進み、止まりかけると一歩だけ足をずらす。肩に触れられた子が、半歩分だけ前へ出る。 カウンターに皿を置き、手を離す。その場で一瞬だけ立ち止まり、それから振り返って広場へ向かう。後ろの子は皿を持ったまま、前の動きを見ている。 月組の後ろに、竹組の列が静かに重なる。さらに松組が続き、梅組は席の中で少し遅れて立ち上がる。椅子の音と足音が重なり、食器の触れる音が途切れず続く。 夫妻はその外側に立つ。通り過ぎる子どもに合わせて、目の高さを少し落とす。前との距離を見て、足が止まる長さを見て、カウンターの前にできるわずかな重なりを見ている。 列の中ほどで、ひとりの足が止まりかける。後ろの子が半歩近づく。その間に保育士が入り、手のひらをそっと置く。間が戻り、止まりかけた子がまた一歩進む。 別の場所では、皿を置いた子がすぐに動かず、その横を次の子がすり抜ける。少し遅れて、その子も歩き出す。 アラクネアは列の端で膝をわずかに落とし、子どもの目の高さに合わせる。視線が一瞬だけ重なり、子どもはすぐ前を向く。 アレックスは外側に一歩だけ位置をずらし、通る流れを空けたまま立つ。止まりかける足と、動き出す足の間を目で追っている。 食器を片付け終えた子どもたちは、順に広場へ戻る。まっすぐ進む子の後ろで、振り返る子がいて、小さく手を振る子もいる。 食堂の音が少しずつ減っていく。残った席では最後の一口が口に運ばれ、保育士の声に合わせて椅子が引かれる。そのまま列に加わる。 夫妻は動かない。通り過ぎる子どもに合わせて、二人の目だけがゆっくり動く。 前の子が一歩進むと、その分だけ後ろの子も間をあけて動く。止まりかけても、すぐにまた足が出る。 最後のひとりがカウンターに皿を置き、手を離す。 空いた机の上に、冬の光がそのまま残る。

 午後一時の、会社の始業を知らせるあの学校と同じチャイムが、もう一度鳴る。広場の奥まで届いた音が薄れていくあいだに、食堂から戻ってきた子どもたちの足が止まり、ばらけていた向きが少しずつそろっていく。さっきまで友だちの手元や机の端を見ていた目も、だんだんと前へ集まり、広場の中央に立つ藤堂園長のほうへ向いていく。午前のはじめに残っていたこわばりは、昼までの声や笑いの中でほどけてしまったようで、もう泣いている子はいない。肩をすくめていた子も、今はただ次の言葉を待っていた。 「それでは、パパとママと少し遊びましょう。ちゃんとお話を聞いてあげてくださいね」 「はーい!」 返ってくる声は、昼前より少し軽い。その声が重なったあと、月組の子どもたちが自然に前へ出る。誰かが押したわけではないのに、前に進む子、横へ寄る子、場所を空ける子の動きが重なって、あっという間に小さな輪ができる。さっきまで残っていた遠慮のようなものは、もうほとんど見えなかった。

「Let’s play!」

(あそぼう!)

その声をきっかけに、積み木を抱えてくる子がいて、色鉛筆の箱を広げる子がいて、折り紙を胸の前で差し出す子もいる。小さな手がいっせいに動きはじめ、その動きに合わせるように、夫妻の立ち位置も迷いなく決まる。どこまで近づくか、誰から受けるか、どこで待つかを、二人は言葉にしないまま揃えていた。 

 その瞬間、ふっと重なるものがある。幼かったころのアダソン兄弟が、同じように手を伸ばしてきた、あの時間だった。夫妻は広場の中でしゃがみ、子どもたちの目の高さまで身を落とす。

「What do you want to make?」

(なにを作るの?)

「Rose!」

(バラ!)

その返事に、やわらかくうなずく。

「Show me.」

(見せて。)

積み木が机の上に置かれ、赤や橙のブロックが丸く並べられていく。花びらのつもりなのだろう。ひとつ積むたびに少し傾き、置き直し、ようやく形ができかけたところで、端のひとつがころりと崩れる。広場のあちこちから小さな笑い声が上がる。

「Again.」

(もう一回。) 短い言葉だったが、それだけで止まりかけた手がまた動き出す。

折り紙を差し出す子もいる。

「Can you make this?」

(これ作れる?)

問いかけに、夫妻は一度だけ手を止め、紙を受け取る。角をそろえ、折り目を指先でゆっくりとなぞり、少しずつ形を作っていく。広場のざわめきの中で、その動きだけが不思議なくらい静かに見えた。折られていくのは鶴だった。かつてアダソン兄弟が幼いころ、初めて手にした折り鶴と同じ形だった。あのときと同じように、急がず、雑にもせず、指先だけで静かに折っていく。形が整う。

「Here.」

(どうぞ。)

「Thank you!」

(ありがとう!)

受け取った小さな手が、壊れものを包むみたいにそれを抱える。その顔つきが、ほんの一瞬だけ、ずっと前の別の表情と重なる。さっきまでただの紙だったものが、 その子の手の中で別のものになっていくのが見える。

別の子が色鉛筆を持って近づいてくる。

「Can you draw with me?」

(いっしょにかける?)

「Of course.」

(もちろん。) 紙の上に丸が描かれ、そこに線が重なり、何かの形が生まれていく。

「Is this a rose?」

(これはバラ?)

「Yes!」

(うん!) 隣にいた子が、今度は別の絵を指さす。

「This is the airplane you always come in!」

(これ、パパとママがいつも乗ってきている飛行機!)

その絵に視線を落とし、少しだけ目を細める。

「Yes. Good drawing.」

(そうだね。いい絵だね。)

その答えに、また笑い声が重なる。

その輪の外側から、そっと腕に触れる手がある。

「Up?」

(だっこ?)

ほんの一瞬だけ間が置かれ、それから軽くうなずく。

「Okay.」

(いいよ。)

抱き上げる。高くはしない。揺らしもしない。安心できる高さで止める。その様子を見ていたもう一人が、少し遅れてつぶやく。

「Me too…」

(わたしも……。) そこに自然に順番ができる。急がせず、押しやらず、待てる子は待ち、怖くなりそうな子は先に抱き上げる。その整い方も、やはり言葉にしなくていい種類のものだった。

 その動きの中で、また懐かしさがよぎる。同じ高さ、同じ距離、小さな手の重みは、あのころと変わらない。アダソン兄弟は二歳差の兄弟だった。まだ会社が生まれる前、夫妻がFBIに所属していた時代に生まれた。生まれたばかりの幼い日々があり、そのあと兄弟がそれぞれ〇歳から六歳あたりまでの時間に、仕事と子育てがいっぺんに押し寄せてきた。夫妻は手を離さなかった。交代で有給を取り、どちらかが必ずそばにいた。休みの日にはよく外へ連れて行った。アダソン家が代々所有していたフィラデルフィア近郊の広大な森。まだアメリカ本社もなかったころ、その場所は何の手も入っていない森のままで、終わりが見えないほど木々が続いていた。その中を、子どものアダソン兄弟と歩いた。

 公園へも行った。遊園地へも行った。時にはペンシルヴァニア州を離れ、家族旅行でカリフォルニアやフロリダのディズニーへ連れて行った。アダソン宮殿では薔薇園に出て、夫妻それぞれが好きな薔薇を一緒に育てた。土に触れ、季節の変わり方を見せた。自然の大切さは、言葉で教えるより先に、同じ時間を過ごす中で伝えようとしていた。職場にも連れて行った。FBIの施設を見学させ、ときにはFBIごっこをした。家では絵本を読んだ。英語で、ゆっくりと、わかるまで繰り返しながら。塗り絵も、お絵描きも、積み木も、一緒にした。テーブルマナーも少しずつ教えていった。夫妻は怒鳴らなかった。いつも静かに、やさしく接していた。できるだけのことはしていた。けれど、それでも足りない瞬間があった。

 子育てと仕事を両立する重さが、夫妻にもはっきりとのしかかってきていた。通勤はワシントンD.C.のFBI本部からフィラデルフィアのアダソン宮殿まで、遠い道のりだった。当時はまだ、リムジンでも警備車両付きの黒塗りの防弾車でもない。主にアレックス自身が黒いセダンを運転し、I-95の高速道路を使って通っていた。約二百二十キロ。日本でいえば、川口ジャンクションから郡山ジャンクションまでへ向かうような距離を毎日往復していたことになる。夜でも二時間半から三時間、日中ならさらに長い。朝は早く、帰りは遅い。その長い往復のあいだ、アダソン宮殿に残る兄弟は保育担当の使用人たちに見守られていたが、帰るころにはすでに眠ってしまっている日もあった。それでも、出勤のたびに兄弟は毎回泣いた。小さな手が服をつかみ、離れていく距離だけが伸びていく。振り返らないと決める重さが胸に残る。その記憶は、今、目の前で手を伸ばしてくる子どもたちの姿に重なっていた。

 このままでは、国家も子どもも守れない。どちらかを諦めるのではなく、両方を成立させる構造そのものが必要だった。そこで夫妻は決めた。国家を守る仕事を、国家の外で自分たちがつくる。国家型民間企業。のちのサイバーサイジング社である。

 創業から五年間、そこにあったのは森の中にぽつんと建つ小さなオフィスだけだった。人はまだ少なく、福利厚生施設と呼べるものも何もない。だが、決断だけは早かった。何をつくるかも、何を置かないかも、すべて自分たちで決めた。創業当時、その小さなオフィスにはアダソン兄弟もいた。保育担当の使用人に連れられ、夫妻とともにその場に立っていた。フィラデルフィア市長、ペンシルヴァニア州知事、サイバーサイジング社のロゴ、大量の書類が積まれた机。その前で行われる創立会合を、幼い二人もまた、その場の端から見ていた。

 六年目、社員が増え、組織が膨らみ、最初の建物では収まらなくなる。事業の拡大とともに敷地は広がり、やがて二〇〇五年、創業時の建物は解体される。終わりではなく、次の段階の始まりだった。そのとき、ただ一つ決めていたことがある。同じ状況を、もう誰にも経験させないこと。外へ出なくてもいいようにすること。仕事と生活が分断されないようにすること。子どもが泣きながら見送るしかない構造を、最初から変えてしまうこと。すべての人間の生活を会社の中で完結させる。そのための環境を、すべての拠点に組み込む。その決定が、以後の設計思想の核になっていく。

 三年をかけて、アメリカ本社に新たな中枢が建てられる。小さなオフィスに代わるものとして。二〇〇八年、完成した。サイバーサイジング本社統括本部棟。Cyber Sizing Global Command Tower。創業者の塔。統括棟。NO.000中央棟。同じ年、その完成とともに本社キャンパスの最初の姿も整う。だが、それは完成ではなく始まりだった。会社が成長するたびに敷地はさらに広がる。新しい棟が建ち、研究施設が生まれ、やがてそこは福利厚生施設まで含んだ一つの都市のような場所になっていった。研究施設、技術者棟、開発棟、運用棟、教育棟、保育園棟、福利厚生施設。増えていく一つ一つが、別々の建物でありながら、同じ思想の中に置かれていた。

 その世界には、目で見てすぐわかる特徴があった。カーペット、照明、壁面、家具、執務室、食堂、カフェ、保育園、そして創業者夫妻の執務室まで、すべてがグリーン系の色で統一されている。それは飾りではなかった。自然、成長、再生。どこにいても、ここが同じ会社だとわかるための共通の空間言語だった。

 NO.000中央棟はキャンパスの最奥に置かれた。すべてを見下ろすためではなく、すべてとつながるために、そこにある。NO.000は一本の塔ではない。複数の塔によって成る中枢でありながら、同時にひとつの現場でもあった。頂点には創業者夫妻がいる。だが、同じ場所で他の社員も働いている。世界の中心でありながら、世界の一部でもある。そして、その思想はそのまま世界へ広がる。世界一二五の支社。色、素材、照度、色温度まで規格として定義され、例外なく統一されていく。支社長室も、創業者の執務室も、その基準の中に置かれる。特別だけを切り離さないためだった。

 だが、会社が伸びるにつれ、NO.000だけではまた収まりきらなくなる。NO.001へと広がり、研究施設、開発棟、運用棟、教育施設が増えていく。番号は違っても、組織は一つのままだった。その頂点、八十八階に創業者執務室がある。そこは、すべての決定が生まれ、すべての声が届く場所だった。十万を超える社員、世界中の判断、その全部がそこへ集まる。権力の塔ではない。対話の塔だった。

 その部屋には机が三つ置かれている。二つは夫妻の席。もう一つは誰も座らない机。創業以来一度も使われていない、未来のための席だった。判断を閉じないための席である。その下の八十七階には統合戦略室がある。制度の上には存在しない場所で、未来のことだけが話される。さらにその下の八十六階には最高機密会議場がある。世界の支社長が集まる、節目のための空間だった。そのさらに下には本社機能、総務、財務、人事、法務がある。けれどそこもまた、ひとつの現場にすぎない。全部がつながっている。命令ではなく対話、支配ではなく責任、その考え方で。

 そしてそこには、もう一つ別の時間も重なっている。本社中枢サーバー、CS-000。会社そのものを起動させるシステム。そして、それを再起動できるのは夫妻だけだった。その電源が入れられる瞬間を、幼いアダソン兄弟は保育担当の使用人とともに見ていた。そのあとも何度も、夫妻や保育担当の使用人に連れられてアメリカ本社へ来た。まだ社員になる前、名前に頼らず世界で最も難しく倍率の高い入試を受ける前のことだった。この場所は、最初から彼らの中にあった。

 ここは、ただの会社ではない。世界だった。その世界が、いまここにある。そして、夫妻はその中に、いまも立っている。

 そして、夫妻の目の前では、さっきまで泣いていたかもしれない子どもが、もう笑っていた。ためらいの消えた小さな手が、まっすぐこちらへ伸びてくる。

「Again!」

(もう一回!)

「Okay.」

(わかった。)

返る声は短い。けれど、そのひと言が落ちるころには、もう距離も順番も、どこまで受けてどこで待つかも、二人のあいだで自然に定まっていた。夫妻は遊びながら、幼かったころのアダソン兄弟の時間を思い出している。その記憶はただ懐かしいだけではなく、いま目の前で動いている手や足や表情に重なり、次の動きを選ぶ速さそのものになっていた。どちらが受けるか、どちらが支えるか、どこで入れ替わるか。言葉は交わさない。視線も合わせない。それでも、子どもの動きに触れるたび、役割は迷いなく分かれていく。  積み木を差し出されたときには、どちらかがその場にしゃがみ、受け取った手の高さに合わせて形を整え始める。そのあいだに、もう一人は半歩だけ位置をずらし、周囲に寄ってくる子どもたちの肩がぶつからない幅を残しながら、順番が崩れないように流れを整えている。絵本を持ってくる子がいれば、一人がページを開いて、声を落としてゆっくり読み始める。その横で、もう一人が座る位置を少し直し、途中で飽きそうな子や、次に来ようとしている子の気配へ先に目を向ける。抱っこを求める手が伸びれば、一人が受ける。そのあいだに、もう一人が次の子の立つ場所を見て、そこで流れが詰まらないように立ち位置を変える。どちらかが前へ出れば、もう一人は一歩引く。けれど、それは役目を決めて動いているようには見えなかった。その瞬間ごとに、必要な側へ体のほうが先に動いていた。  わざわざ意識しているふうではないのに、そこに迷いはない。長い時間をかけて積み重ねてきた動きが、そのまま機能している。初めて見る者でも、そこに偶然ではない整い方があることはすぐにわかる。二人だけのあいだで、何度も繰り返され、呼吸のようになってきた連携だった。  そのとき、一人の園児が小さな箱を抱えて近づいてくる。胸の前で持ち直しながら、少しためらうように口を開く。

「I brought this…」

これ、持ってきたの……。)

すぐ横から、別の園児の声も重なる。

「We brought Papa and Mama Barbie!」

(パパとママのバービー持ってきたよ!) 

  箱の中から取り出されたのは、小さな人形だった。夫妻の姿をかたどったバービー。二体で一組になっていて、アレックスに扮したケンと、アラクネアに扮したバービーが並んでいる。ほんのわずかに、その場の空気が止まる。目の前には本人たちがいる。それでも子どもたちは、そのもう一つの夫妻を動かして遊ぼうとしていた。奇妙というより、むしろそのほうが自然に見えた。現実と憧れと遊びが、同じ場所に重なっていた。

夫妻はもう一度しゃがみ、子どもの目線に顔を合わせる。

「Did you bring Papa and Mama Barbie?」

(パパとママのバービー、持ってきてくれたの?)

「Yes!」

(うん!)

「Thank you.」

(ありがとう。)

その声を聞いた別の子が、待ちきれないように言う。 「I have it too!」 (わたしも持ってる!)

「Me too!」

(ぼくも!)

「I’ll go get mine!」

(かばんから持ってくるね!)

何人かの園児が、自分のかばんのほうへ駆けていく。

「I want to play Papa and Mama with you!」

(パパとママといっしょに、パパとママのバービーで遊びたい!)

その声に、夫妻はやわらかくうなずく。

「Okay.」

(いいよ。)

少しだけ間を置いて、もう一度言う。

「Then… let’s play together. Papa and Mama.」

(じゃあ……いっしょに遊ぼうか。パパとママで。)

「Okay!」

(わかった!)

小さな手の中で、もう一つの夫妻が動き始める。

  もともと、この場所にはひとつの決まりがあった。丸の内支社の保育園でも、ほかの重要支社や大きな支社の保育施設でも同じように、夫妻と面会する日だけは、家から好きなおもちゃを持ってきていい。子どもたちにとって、それは特別な日のしるしだった。けれど、黄金期に入る少し前、夫妻のバービーが販売されるようになってから、その日の景色は少しずつ変わっていった。手に入れられた子どもたちは、それを持ってくるようになり、いつしか、この日に持ってこられるものはほとんどそれになっていた。  その人形は、黄金期に入る前あたりの時期に、正式な協議と契約のもと、サイバーサイジング社と製造側の合意によって作られたものだった。世界中で完売し、日本では百貨店や玩具店に朝から列ができることもあった。店頭で奪い合いのようになり、転売市場で高い値がつくこともあった。それでも、手に入れた子どもだけが、ここへ持ってくることができた。  記念モデルはいくつかあった。けれど、子どもたちが手にしているのは、ほとんどがいつもの姿だった。ファッションスーツのバージョン。日常の中で見ている姿に、いちばん近いからだ。仕事の場での姿。判断の場にいる姿。世界と向き合っているときの姿。子どもたちにとって、それがそのまま「パパとママ」だった。ただし、この時期、夫妻が来日していたのは十一月から十二月、クリスマスの少し前だった。そのため、中にはもう一つの姿を持ってきた子もいた。子どもが胸の前で持ち上げた人形は、冬のコートに、薔薇の刺繍の入ったマフラーを巻いている。その姿が、すぐ目の前に立っている夫妻の姿と、ほとんど同じ形で重なる。

少しだけ腕を伸ばして見せると、隣にいた子が顔を寄せ、指先でそっとマフラーの部分に触れる。

「それ、クリスマスのやつだ」

後ろから、小さな声が上がる。

「朝から並んだって、ママが言ってた」

別の子が、少しだけ誇らしそうに言う。その声を聞いた別の子が、手の中の人形に視線を落とし、それからまた顔を上げる。目の前のコートと、手の中のコート。刺繍の位置まで同じで、視線が何度も行き来する。その輪の中で、人形は静かに動かされていく。

  けれど、その変化は静かなものばかりではなかった。持っている園児と、持っていない園児。あるいは、もともと興味を示さない園児。そのあいだには少しずつ温度差が生まれ、ときにはそれが小さな衝突になった。

「それ、ほしかったの! ちょうだい!」

「だめ! わたしの!」 

小さな手が引き合い、距離が崩れ、順番が失われる。そうしたことが何度も起きた。その状況は、丸の内支社の園だけではなかった。他の重要支社でも、大規模な拠点の保育園にあたる施設でも、似たことが起きていた。そのたびに、支社長、園長にあたる人、福利厚生施設を担当する部署、そして夫妻が関わり、何度も話し合いが重ねられた。どう扱うか。何を先に守るか。その判断は一度で固まるものではなかった。  奪い合いを起こさせないために、どこまで持ち込みを許すか、どこで区切るか、どう順番を作るか。支社ごとの状況に合わせて条件を変え、その場の子どもたちの様子に合わせて調整し、実際の現場を見ながら、対策は何度も組み直されていった。丸の内でも、同じことが続いていた。だから少しずつ決めていった。貸したら必ず返すこと。順番を守ること。そして、それが二体で一つであることから、一人が一体ずつ持つのではなく、二人で一体を共有すること。お菓子を半分に分けるように、遊びも分ける。そのやり方も、一度で完成したわけではなかった。試し、調整し、また見直す。その繰り返しだった。 やがて、奪い合いは少しずつ減っていった。完全に消えたわけではない。それでも、流れは変わっていった。その判断も、そのまま固定されたわけではない。状況に応じて見直され、定期的に更新され続けてきた。その積み重ねの先に、いま目の前で動いているこの時間があった。

 やがて、教室の中の遊びも、少しずつ静かになっていった。積み木はひとつずつ箱へ戻され、机の上に広がっていた色鉛筆も、短い指に握られたまま、元の場所へ収まっていく。さっきまであちこちで弾けていた笑い声も、波が引くみたいにやわらいでいった。そのころ、教室の前に藤堂園長が立つ。声は穏やかだった。

「みなさん。楽しいところですが——」

そこで一度だけ言葉を切り、子どもたちの顔を見渡してから、続ける。

「そろそろ、パパとママは、次の場所へ行かなければなりません。この会社の外で、みんなが将来体験するかもしれない『お仕事の場所』を、見に行く時間となりました。」

その言葉に合わせるように、夫妻はゆっくり一歩下がり、藤堂園長の隣へ並ぶ。

「えー……」

「もう行っちゃうの?」

「まだ遊びたかった……」 

あちこちから園児の声がこぼれる。うつむく子がいて、そのまま涙をこらえきれず、小さく泣き出す子もいる。藤堂園長はその様子を急かさず見守りながら、やさしく続けた。

「それでは、パパとママから、一言ずついただきましょう。」

「はーい」返る声は、さっきより少し小さい。夫妻は一度だけ顔を見合わせ、それから子どもたちの方へ向き直る。二人とも、笑顔は変わらなかった。

「Today was really fun.」

(今日は、とても楽しかったよ。)

アレックスが、ゆっくりと言う。

「We’re so happy to see you again.」

(みんなと、また会えて嬉しかった。)

「We’re going to visit a place where you can try different jobs in the future.」

(パパとママはこれから、みんなが将来選ぶかもしれないお仕事を体験する場所を、見に行ってくるね。)

「And…」

アラクネアは、声を少しやわらかく落とす。

「We’ve talked about this in our video messages, but now we’re going to build a new place in Osaka for your future.」

(これまでもビデオレターでお話してきたけどね、パパとママはこれから、大阪に、みんなの未来のための新しい場所を作ろうとしているの。)

「We’re working together with important people in Osaka, and today is very important for that.」

(大阪の偉い人たちとも一緒に考えていて、今日のことも、そのためにすごく大切なんだよ。)

そこへ、アレックスが言葉を継ぐ。

「Thank you for helping us.」(みんな、協力してくれて、ありがとう。)

そして二人は、ほんの少しだけ息を合わせてから言う。

「And in two days…」

(それから、二日後にね。)

「We’re going to visit someone very important in Japan and say hello.」

(パパとママは、日本で一番大事な人に会いに行って、ご挨拶してくるね。)

「Will you watch us on TV?」

(テレビで見てくれるかな?)

「Yes!!」

月組の子どもたちを中心に、元気な声が教室に広がる。夫妻は、その声を受けるように、もう一度子どもたちへ話しかけた。

「Thank you so much for today.」

(今日は、本当にありがとう。)

「If we get the chance, we’ll come play again.」

(また、会える機会があったら、遊びに来るね。)

「We’ll keep sending you video messages and letters.」

(これからもビデオレターや、お手紙を送るね。)

「Will you send some back to us, too?」

(みんなもお返事くれるかな?)

「They make us very happy and give us energy.」

(それがあると、パパとママすごく元気になれるんだ。)

「We’ll tell you about Osaka and what we’re doing, too.」

(大阪のことや、お仕事のこともこれから送るね。)その言葉を聞きながら、子どもたちの表情が少しずつ持ち直していく。

「Okay!」

(わかった!)

「Thank you!」

(ありがとう!) 

月組の子どもたちを中心に、あちこちから元気な声が返ってくる。月組の子どもたちは、通訳を待たずに、その言葉をそのまま受け取っていた。その声に引かれるように、松組より下の子どもたちも少し遅れてうなずく。意味の全部がわかるわけではなくても、声のやわらかさや教室の空気は、ちゃんと届いていた。月組の返事が少し落ち着いたところで、藤堂園長が静かに一歩前へ出る。「それではみなさん。最後に、『愛の薔薇讃歌』を歌いましょう。そのあと、園児代表として月組の、むらかみはるきくんと、さいとうりんこちゃんに、パパとママへのお手紙を読んでもらいます。月組は、パパとママに直接会えるのは、今回が最後になるかもしれませんからね。」「はーい……」今度の返事は、少しだけ静かだった。 藤堂園長は、ゆっくりとグランドピアノの前へ歩き、椅子に腰を下ろす。その隣に、夫妻が並んで立つ。さっきまで遊んでいた子どもたちも、机や床の上の気配も、その音のない時間に少しずつ引き締まっていく。『愛の薔薇讃歌』は、もともと夫妻の結婚式のために作られた歌だった。まだサイバーサイジング社が生まれる前、二人がFBIに所属していた時代、アダソン家の音楽家たちがその日のために集められた。専属の作詞作曲家、薔薇の歌姫と呼ばれた専属歌手ラブ・ヴィッキー・ティニー、そして二番から加わる、バラの妖精と夫妻が呼んでいた専属バイオリニスト、セレナーデ・ローズ・フェアリー。夫妻自身も、その演出に手を入れていた。歌声の奥で二番からヴァイオリンが立ち上がり、ストラディバリウスの音色が静かに光を帯びるように。その日限りの余興というより、二人の結びつきを目に見えるかたちで置くための、一つの場面として作られていた。 その歌の中心にあったのは、薔薇だった。アラクネアが愛した深紅のアンクルウォルター。アレックスが選んだオレンジデュカット。赤に託された愛と情熱、橙に託された信頼と誇り。そういう言葉が、歌詞の奥へ織り込まれていった。だからこの歌は、最初からただのラブソングでは終わらなかった。結婚式のために生まれながら、そのあとアダソン兄弟が生まれると、眠る前に聞かせる子守歌になり、家の中で何度も歌われる家庭の歌になっていく。夫妻のための歌だったものが、いつのまにか家族の歌へ変わっていった。 さらにサイバーサイジング社が創立されると、その歌に込められていた薔薇の言葉は、会社の奥へも流れ込んでいった。愛、情熱、愛情。信頼、誇り。のちに企業理念やミッション、ビジョンの奥で響く言葉の流れをたどれば、その源にこの歌があるようにも見えた。だから夫妻にとって薔薇は、単なる好みではなかった。家庭の記憶であり、愛の象徴であり、いつしか企業思想の出発点にも触れているものだった。そして会社が拡張し、福利厚生施設が各拠点へ広がっていくにつれ、その感覚もまた外へ広がっていった。社員とその家族を、雇用の内側だけで切り分けず、もっと大きな単位で受け止めようとする考え方の底にも、この歌があった。 この歌は最初から子どものために作られたわけではない。けれど気づけば、次の世代を包み込む歌になっていた。夫妻が命じたわけでもなく、規程で定めたわけでもない。それでも本社で、支社で、福利厚生施設で、社内行事で、映像の中で、誰かの記憶の中で繰り返されるうちに、『愛の薔薇讃歌』は園歌である前に、サイバーサイジング社の内側を流れる歌になっていた。正式な社歌ではない。それでも最初のフレーズが流れれば、どこの支社でも、それが誰の歌なのか、どこの空気なのか、すぐにわかるような歌だった。日本でも同じだった。英語の歌詞のまま、のど自慢やカラオケ大会のようなテレビ番組で歌われ、丸の内支社の福利厚生施設のカラオケ部屋にも入っていた。やがて丸の内支社や他の重要支社、大きな支社の保育園施設から、「園児たちでも歌えるように、歌詞は英語のままで、ピアノアレンジしてほしい」という依頼が届く。そこで夫妻は、原曲の意味を壊さず、それでいて園児たちが歌える形にしてほしいと、アダソン家の専属編曲者たちへ申し入れた。声域を少し下げ、旋律を整え、ピアノだけでも支えられるようにしたアレンジ版が生まれ、それが丸の内支社だけでなく、他の重要支社や大きな支社の保育園施設へも広がっていく。そのころにはもう、この歌は一つの名前では足りない存在になっていた。園歌のようでもあり、家族の歌でもあり、企業歌のようでもあり、夫妻の歴史そのものを含んだ歌でもあった。 園児たちにとっては、なおさらだった。訪問イベントのためだけの特別な歌ではない。夫妻が来たときだけ歌う歌でもない。朝の会のあと、英語の時間、発表会の練習、あるいは何でもない時間に、ふと誰かが口ずさむ。そうやって、この歌は「特別な人の歌」になる前に、もう「自分たちの歌」になっていた。歌詞はすべて英語だったが、難しい単語ばかりではない。同じフレーズがくり返され、意味を完璧に説明されなくても、歌の輪郭は感情のほうから身体へ入ってくる。園児たちは歌詞を覚えるというより、気持ちごと覚えていた。 そこへさらに、夫妻から届くビデオレターが重なる。「この歌を聞いているよ」「一緒に歌っているよ」そうした言葉が、遠く離れた場所と園児たちのいる教室を結んでいた。だから、日本にいない日でも、海外にいる日でも、忙しくて来られない日でも、歌うことそのものが面会の代わりのようになっていた。実際、来日した日には、そのことがもっとはっきり見えた。誰かが合図をしたわけでもないのに、月組が自然に歌い始める。松組、竹組、梅組も、それにつられて口ずさむ。やがて全体合唱になる。そういう光景が何度もくり返されるうちに、夫妻も、そのたびほんの少しだけ目を細めるようになっていた。自分たちのために作られた歌が、もう自分たちだけのものではなくなっていることを、驚きながら、それでも受け止めるように。 この時点では、まだ誰も知らない。この歌が、のちに別の意味を背負うことになるとは。夫妻を突然失ったあとの世界で、追悼の歌として鳴る日が来るとは。国葬や、数え切れない場で、喪失を悼む歌として響くとは。二〇一八年のこの教室には、まだその気配はない。ここにあるのは、愛の歌であり、家族の歌であり、願いの歌だった。そして園児たちにとっては、今日もまた自分たちの歌だった。藤堂園長の指が、静かに鍵盤へ触れる。最初の音はやわらかく、それでいて迷いがない。誰かが合図をしたわけではない。それでも、月組の子どもたちが自然に歌い始める。それに重なるように、松組、竹組、梅組も少し遅れて声を重ねていく。そして最後に、夫妻もまたその輪の中へ入る。『愛の薔薇讃歌』が、教室の中に広がっていく。

【1番】

We were born and raised through a long history,And within that long history, we met and fell in love.We spent three years together,And our feelings grew deeper day by day.With 108 roses, we swear eternal love.

(我々は長い歴史の中で生まれ、育ちその中で出逢い、恋に堕ちた三年の時を共に過ごし想いは日に日に募る108本の薔薇に永遠の愛を込めて)

【1番サビ】

Like Uncle Walter roses, blooming beautifully,Our love is passionate and precious.Like Uncle Walter roses, blooming with charm,Our love will last forever.

(アンクル・ウォルターの薔薇のように美しく咲いて二人の愛は情熱的で尊い魅力的に咲いて二人の愛は永遠に続いていく)声はまだ小さい。けれど、その一つひとつは確かに重なっていた。

【2番】

In the future ahead, our treasures will be born,They will grow within a shining future.Living together through long years,They will grow day by day.We wish for eternal peace, for the future they will live.

(この先の未来に宝物は生まれ輝く未来に育っていく長い時間を共に生きて日々大きく育つ彼らの未来に永遠の平和を願う)

【3番サビ】

Like Orange Ducat roses, blooming with pride,The trust of our family is strong and precious.Like Orange Ducat roses, blooming gently,Our family bond will last forever.

(オレンジデュカットの薔薇のように誇らしく咲いて家族の信頼は強くて尊い穏やかに咲いて家族の絆は永遠に続いていく)ここまで来ると、もう誰も迷っていなかった。英語であることは問題にならない。意味をすべて言葉で追えなくても、歌はもう感情のほうから身体に入っていた。

【ラスサビ前】

Connecting history into the distant future,Our family will continue to grow.Carrying on a great legacy,For the future they will live.(遠い未来へと歴史を繋ぎ家族は大きくなっていく偉大な歴史を繋いでいく彼らの未来のために)そして最後のサビへ入る。

【ラスサビ】

Like Uncle Walter roses, blooming beautifully,Our love is passionate and precious.Like Uncle Walter roses, blooming with charm,Our love will last forever.Like Orange Ducat roses, blooming with pride,The trust of our family is strong and precious.Like Orange Ducat roses, blooming gently,Our family bond will last forever.

(アンクル・ウォルターの薔薇のように美しく咲いて二人の愛は情熱的で尊い魅力的に咲いて二人の愛は永遠に続いていくオレンジデュカットの薔薇のように誇らしく咲いて家族の信頼は強くて尊い穏やかに咲いて家族の絆は永遠に続いていく)

 

歌い終わるころには、最初に感じていた別れの気配も少し形を変えていた。終わりというより、まだ続いていくものが、その場に静かに残っているようだった。最後の音が消えたあとも、誰もすぐには動かない。歌の中にあった時間が、まだ教室に留まっていた。 やがて、藤堂園長がゆっくりとピアノの椅子から立ち上がる。音を立てないように歩み寄り、夫妻の隣に並ぶと、子どもたちの方へ向き直る。「みなさん。お歌上手でしたね。それでは先ほど話しましたように、最後に月組二人のむらかみはるき君と、さいとうりんこちゃんが園児代表として、パパとママへの今日のお礼の挨拶を読んでもらいましょう。前に出てきてください。それ以外のみなさんは、はるき君とりんこちゃんとパパとママのお話が聞こえるように、静かに聞きましょう!」「はーい!」 先ほどまでの歌声とは違う、少しだけ抑えられた返事が教室に広がる。 列の中から二人の子どもが前へ出る。月組の、むらかみはるき。そして、さいとうりんこ。それぞれが自分の位置から一歩踏み出し、まわりの子どもたちの間を通り抜けながら、ゆっくり前へ進んでいく。その動きに合わせるように、教室の空気もさらに静まっていった。夫妻の前まで来ると、二人は足を止める。向かい合う形になる。ほんのわずかな間を置いて、それぞれ手に持っていた紙を取り出す。丁寧に折られた手紙だった。何度も開いては閉じた跡が、やわらかく残っている。ゆっくりと、それを開く。教室の中の子どもたちも自然と声を潜めていく。誰も騒がない。視線が、二人へ集まっていた。先に、むらかみはるきが顔を上げる。英語で、手紙を読み始めた。

「Thank you for coming all the way from America to see us today, even though you are very busy.」

(今日は忙しい中、アメリカからわざわざ会いに来てくれてありがとうございました。)「We’re happy that our time with you today can help with the new place you are planning in Osaka.」

(今日のことが、大阪の新しい場所づくりの参考になっていたらうれしいです。)

「Please be careful on your way to the place where children can try different jobs.」

(これから行くお仕事体験の場所にも、気をつけて行ってください。)

「We’re also excited to watch you on TV in two days when Papa and Mama go meet the most important person in Japan.」

(2日後にパパとママが日本で一番偉い人に会いに行くテレビも楽しみにしています。)「Please keep doing your best at your work.」

(これからもお仕事がんばってください。)

「We, the Moon Class, will graduate next spring, but we will keep supporting you.」

(月組は来年の春に卒園しますが、それまで応援しています。)

「Thank you very much for today.」

(今日は本当にありがとうございました。) 

その言葉が、静かに教室の中へ落ちていく。途切れず、詰まらず、最後までまっすぐに。月組の子どもたちは、これだけの長さの英語を、特別に気負うでもなく話していた。日々の中で使い、遊びの中で覚え、いつのまにか「伝える言葉」として身につけてきたものが、そのままここに出ていた。周りの子どもたちも、その姿を静かに見ている。憧れと、少しの驚きと、いつか自分もという気持ちを、それぞれに抱きながら。やがて、ぱち、ぱち、と小さな手の音が広がる。最初はほんの数人だった拍手が、すぐに重なって教室を満たしていく。後ろの子どもたちも、保育士たちも、藤堂園長も、静かに手を打っていた。夫妻もまた、やさしく微笑みながら、その音に合わせるように手を重ねる。大きな音ではない。けれど、その場にいる全員の気持ちがひとつへ寄っていくような拍手だった。 その余韻の中で、さいとうりんこがそっと一歩前に出て、夫妻へ向けて英語の手紙を読み始めた。

「Papa, Mama, we had so much fun today.」

(パパ、ママ、今日はとても楽しかったです。)「We know you are very busy, but please come visit us again anytime, and keep sending us video messages and airmail.」

(お忙しいとは思いますが、またいつでも遊びに来てください。そしてビデオレターやエアメールもこれからも送ってください。)

「We will also keep sending you video messages, drawings, and origami.」

(私たちもこれからもビデオレターや絵や折り紙を送ります。)

「We, the Moon Class, will graduate next spring, but we are looking forward to the new place in Osaka being built someday.」

(月組は来年の春に卒業しますが、将来大阪の新しい場所ができるのを楽しみにしています。)

「Even after we become first graders and go to different schools, we will not forget you, and we will keep supporting you.」

(小学校に行ってみんなバラバラになっても、パパとママのことを忘れず応援していきます。)

「From your video messages, we learned that being thankful is very important.」

(ビデオレターで感謝が大切だと教えてもらいました。)

「We want to grow up to be people who remember to be thankful and can help others.」(私たちは感謝の気持ちを忘れず、人の役に立てる人になりたいです。)

「Please don’t forget us, and keep supporting us too.」

(パパとママも、私たちのことを忘れず応援してください。)

「Until then, we will keep sending you messages.」

(それまではこれからもメッセージを送り続けます。)

「Thank you very much for today.」

(今日は本当にありがとうございました。) 


その言葉もまた、迷いなく、まっすぐに紡がれていた。こういう思いも、月組の子どもたちは英語で差し出すことができる。その声が静かに教室へ広がっていき、りんこが読み終えると、再び拍手が生まれる。今度の拍手は、さっきより少し大きい。後ろの子どもたちも、保育士たちも、藤堂園長も、自然に手を打っていた。夫妻もまた、やわらかく微笑みながら、その音に応えるように拍手を重ねる。その響きは、りんこの言葉に込められていた思いを静かに受け止めるようだった。 丸の内支社も、そしてこれから構想されている大阪の場所も、教育施設は保育園までだった。その先の小学校という世界は、外にある。ここで過ごせる時間には、はじめから終わりがある。だからこそ、とくに月組にとって、この時間はただの一日ではなかった。すぐそこまで来ている未来が、もう教室の中に影を落としていた。 夫妻はゆっくりとしゃがみ、むらかみはるきとさいとうりんこへ視線を向ける。その高さにそっと合わせるようにして、一人ずつ言葉をかけた。

「Thank you for your beautiful words.」

(素敵な言葉をありがとう。)

「Your English is very good. You remembered it so well.」

(英語もとても上手だね。よく覚えられたね。)

むらかみはるきとさいとうりんこは、少しだけ照れたように顔を見合わせ、それからまっすぐに答える。

「Thank you for praising us. We practiced a lot.」

(褒めてくれてありがとうございます。たくさん練習しました。)

夫妻は静かにうなずく。

「You both did a wonderful job.」

(本当によく頑張ったね。)

短いやりとりだったが、それで十分だった。はるきとりんこは、それぞれ手にしていた手紙を夫妻へ差し出す。そしてもう一つ、夫妻が好きな薔薇をかたどった折り紙の花束。小さな手で、大事そうに持っていたものだった。

「Thank you.」

(ありがとう。) 

その一言とともに、二人はそれをそっと手渡す。夫妻は、それを大切に扱うように静かに受け取る。続いて、はるきとりんこは、それぞれ夫妻と握手をする。その小さな手に触れたとき、ふと、幼かったころのアダソン兄弟の感触が、二人の胸の奥へよみがえる。その瞬間を包むように、また拍手が起こる。夫妻はゆっくり立ち上がる。はるきとりんこは後ろへ下がり、月組の列へ戻っていった。夫妻は、今度は子どもたち全体へ視線を向ける。少しだけ声を整えてから、やわらかく言葉を紡いだ。

「Thank you for today.」

(今日はありがとう。)

「You gave us so much energy again.」

(みんなのおかげで、パパとママはまた元気をもらったよ。)

その声は、ほんの少しだけ揺れていた。

「You reminded us of when we were working in the United States, before we built this company…」

この会社を作る前に、アメリカで警察として働いていた頃のことを思い出したよ。)「And we also remembered our children, James and Mack, when they were still very little back then.」

(そして当時まだ小さかった、パパとママの子どもたち、ジェイムズとマックのことも思い出したよ。)

夫妻は、ほんの少しだけ視線を落とす。

「They told us they would love to come here someday and play with all of you.」

(あの子たちも、いつかここに来て、みんなと一緒に遊びたいって話していたよ。)

「We’ll keep sending you video messages from them too.」

(これからも、あの子たちのビデオレターも送るね。) 

そのとき、二人の目はわずかに潤んでいた。悲しみというより、過去と今とこれからがひとつに触れたときの、静かな揺れに近いものだった。ジェイムズとマック。二人合わせてアダソン兄弟。園児たちにとって、その名前はもう遠いものではなかった。直接会ったことはまだなくても、ビデオレターの中で何度もその姿を見てきていた。時には夫妻と一緒に、時には兄弟だけで。言葉を送り、手を振り、同じように笑っていた。だからこそ、その存在は、まだ会ったことがなくても、どこか「知っている人」に近づいていた。 

はじめのころ、園児たちは彼らのことを、「パパとママの子どもたち」「ジェイムズとマック」「アダソン兄弟」と呼んでいた。けれど二人がそろって入社してからは、その呼び方も少しずつ変わっていく。「お兄ちゃんたち」「お兄さんたち」。そんな言い方が混ざるようになり、距離が縮まっていったことが、その言葉づかいの中にも見えていた。本来なら、この場所で子どもたちと向き合う存在も、少しずつ次の世代へ引き継がれていくはずだった。実際、その準備はすでに始まっていた。 最初からうまくいくことばかりではなかった。園児たちは少し距離を取り、人見知りのように様子をうかがうこともあった。それまでずっと目の前にいたのは「パパとママ」だった。その場所へ新しい存在が立つ。簡単に受け入れられるはずもない。そして、それはアダソン兄弟の側にとっても同じだった。どう声をかけるか。どこまで踏み込むか。その距離を測ることは、決してたやすくなかった。それでも、二人は立ち続けた。ふとした瞬間、自分たちが幼かったころ、両親がどう向き合ってくれていたのかを思い出しながら。記憶をたどるようにして、少しずつ距離は埋まっていった。もちろん、毎回ではなかった。業務の都合で、夫妻が来る日もあれば、兄弟が来る日もある。あるいは、ともに立つ日もあった。役割の交代というより、流れの共有に近かった。まだこの時点では、それが公に語られることはない。けれど現場では、すでに静かに始まっていた。 しかし、その未来は最後まで続かなかった。本来であれば、ここでの時間も、子どもたちとの関係も、そして次の世代へつながる流れも、続いていくはずだった。だが、二〇二五年七月一三日のあの日、そこにあった流れは断ち切られる。園児たちの未来も、アダソン兄弟をはじめとした次の世代の歩みも、その一部が確かに失われてしまう。それでもこのとき、二〇一八年のこの教室では、まだ誰も知らない。この先に何が起きるのかを。ただ、目の前の時間だけが、確かにそこにあった。


その時間の終わりに、藤堂園長がやわらかく声をかける。

「それではみなさん、みんなで毎回パパとママが来た時恒例の集合写真を撮りましょう。」「はーい!」

子どもたちの声が教室に広がる。夫妻も笑顔でうなずいた。

「Let’s take a picture.」

(写真を撮りましょう。) 

左から右へかけて、梅組から順に、園児たちとクラスごとの担任の保育士たちが並んでいく。けれど、以前よりも子どもたちは増えていた。少しずつ詰めるようにして、肩と肩が触れ合うほどにぎゅうぎゅうに並んでいく。それでも、誰一人外へ出ようとはしない。その真ん中に、夫妻が座る。全員が並び終わるまで、少しだけ時間がかかる。ようやく形が整う。夫妻が軽く顔を上げる。

「Ready?」

(いい?)

「Say cheese!」

(はいチーズ!)

子どもたちと夫妻の声が、ひとつに重なる。その瞬間、藤堂園長が静かにシャッターを切った。そして月組の子どもたちにとっては、それが夫妻と一緒に写る最後の写真になるかもしれなかった。 こうして集合写真を撮ることは、丸の内だけではなく、他の重要支社や大規模な支社の保育園施設でも、夫妻が面会に訪れるたびの恒例になっていた。撮影が終わると、教室の空気が少しだけ緩む。藤堂園長が、あらためて言葉をかける。

「ありがとうございました。」

夫妻も、やわらかく応じる。

「Thank you, everyone.」

(みんな、ありがとう。)

「We’re so happy we could take this picture with you.」

(またみんなと一緒に写真が撮れて嬉しいよ。)

「We’ll look at this photo again.」

(またこの写真を見るね。)

「Thank you.」

(ありがとうございました。)

子どもたちの声が、そろって返る。

そのとき、藤堂園長が一歩前に出る。

「それでは、パパとママにお別れの挨拶をしましょう。」

「はーい!」

園児たちと、保育士たち、

そして藤堂園長が、声をそろえる。

「Goodbye! See you again! Papa, Mama!」

(パパ、ママさようなら!また会いましょう!)

教室いっぱいに、その声が広がる。夫

妻も笑顔で応える。

「Thank you for seeing us off.」

(お見送りありがとう。)

「We’ll come again if we have the chance.」

(また機会があったら来るね。)

そして、ゆっくり手を振りながら、夫妻は教室を後にする。そのまま、この保育園施設を静かにあとにした。声はしばらく、廊下の奥まで響いていた。

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