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国家の審査観測記録  ―皇居へ拝謁するまで四日間―  作者: マック アダソン
第2章 丸の内 支社―「人としての側面」
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⑥総合事務職の職場環境施設

三人は再びエレベーターに乗る。扉が閉まり、わずかな無音のあと、機体が滑るように動き出す。

「二十階です」

 表示が切り替わり、静かに止まる。短い間のあと、扉が開いた。空気が、わずかに変わる。下の階にあった生活の匂いがない。人はいるはずなのに、気配の出方が違っていた。

 三人はそのまま足を踏み出す。ここは中層の執務空間。二十階から四十九階へ続く、この建物の中でも人がいちばん長く留まる層だった。その中でも、ここは総合事務職のフロアである。管理部門、人事、経理、総務、法務、顧客対応。流れてきた情報がここで整えられ、次の判断へ送られていく。

 視界が開ける。広い。だが、広がっているというより、きれいに揃えられている。デスクと椅子が同じ間隔で並び、パーティションが一定の高さで区切っている。どこを見ても同じ幅、同じ向きだった。色も揃っている。緑。この建物の他の階と同じ色だが、ここではより静かに沈んで見える。照明はやわらかい。それでも影は出ない。視線はどこにも引っかからず、そのまま奥へ流れていく。

 完全に開けているわけではない。だが閉じてもいない。適度に区切られた空間の中に、人がいる。多い。それでも音は少なかった。キーボードの打鍵と、椅子がわずかに引かれる音。短い会話。それだけが空間の中に残っている。

 耳に入る言葉の中に、英語が混じる。

「Confirm the compliance scope.」

(コンプライアンス範囲を確認してください)

「Send it to legal before release.」

(公開前に法務へ送ってください)

「We need approval before proceeding.」

(進める前に承認が必要です)

 どれも強くは発せられない。通すための声量で、必要な分だけ交わされる。ここではそれが特別ではなかった。業務の流れの中に、最初から組み込まれている音だった。

 アラクネアは立ち止まらず、配置を見る。誰がどこに座り、どこで詰まり、どこに余白がないのかを追っていく。アレックスは流れを見る。情報がどこで止まり、どこで抜け、どこで重なるのか。そのあいだを、夏美が一歩だけ前に出る。

「Administrative operations are centralized within these levels.」

(総合事務機能はこの階層に集約されています)

 歩く速度は変えないまま続ける。

「Information throughput remains stable.」

(情報処理量は安定しています)

「No critical delays detected.」

(重大な遅延は確認されていません)

 わずかに間を置く。

「However, seat availability is below optimal levels.」

(ただし座席稼働率は最適水準を下回っています)

 そのとき、視線の先で一人の社員が椅子から立ち上がる。そのまま三人に気づき、軽く会釈する。夏美が歩みを少し緩めた。

「総務部門、現場責任者です」

 佐伯。名前だけが短く添えられる。佐伯が一歩近づき、声を抑えたまま話し始める。

「Workload has stabilized under current allocation.」

(現行配分で業務自体は安定しています)

 そのまま続ける。

「But physical capacity is no longer sufficient.」

(しかし物理的な収容能力が限界に達しています)

「Some staff are forced to relocate to other floors.」

(一部の社員は他フロアへの移動を余儀なくされています)

 一瞬、周囲の席へ視線を向ける。

「Cafeteria and café usage for work has become routine.」

(食堂やカフェでの業務が常態化しています)

 アラクネアが小さく頷く。

「Understood.」

(理解しました)

 それだけだった。評価ではなく、確認だった。

 そのすぐ横で、別の動きが止まる。若い社員が一人、端末を持ったまま立ち止まっている。迷いが動きに出ている。夏美が視線を向けるより早く、社員の方が一歩前に出た。この場では、それが許されている。

「「人事運用責任者、リン・チェンです」

短く紹介される。リン・チェン。シンガポール支社からの異動。三年前に配置されたとだけ示される。緊張したまま口を開く。

「I need to say no to the current reallocation plan.」

(現在の再配置案にはノーを言う必要があります)

 周囲の空気は変わらない。誰も手を止めない。リン・チェンはそのまま続ける。

「If we move any more people out of this floor, coordination quality will drop.」

(これ以上このフロアから人を移すと、連携の精度が下がります)

「We can preserve output, but not judgment quality.」

(処理量は維持できますが、判断の質は維持できません)

 アラクネアが視線を上げる。言葉ではなく、その背景にある負荷を見る。

「You are saying the structure still works, but people are starting to separate from each other.」

(構造自体は動いているが、人間同士の接続が切れ始めている、ということですね)

「Yes.」

(はい)

「And that will not appear in throughput.」

(そしてそれは処理量には現れません)

「No.」

(現れません)

 アレックスは机の並びに視線を落とす。欠けている席。通路に置かれた端末。そこにある制約だけを拾っていく。

「What is the minimum condition to stop deterioration.」

(悪化を止める最低条件は何だ)

 リン・チェンは間を置かず答える。

「Dedicated seats for the core coordinators.」

(中核調整担当者の固定席確保です)

「And a rule that overflow work cannot default to café space.」

(それと、溢れた業務が自動的にカフェへ流れない運用ルールです)

 夏美がそのまま復唱し、実行条件として整える。アレックスが短く言う。

「Approved as interim control.」

(暫定制御として承認します)

 一拍。

「Do not normalize overflow.」

(溢れを常態化させるな)

 リン・チェンが頭を下げる。

「Understood.」

(承知しました)

 それで終わる。誰も手を止めない。だが、わずかに空気の張りが緩む。

 三人はその場に留まらない。歩きながら、もう一度フロア全体をなぞる。座れない席、立ったままの作業、別の階へ向かう人の動きが視線の端に入る。整っている。だが、余白がない。

 三人はそのまま進む。次の判断へ向けて。歩幅は変わらず、誰も振り返らない。けれど、このフロアで見るべきものは、もう十分に見えていた。



挿絵(By みてみん)

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