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離婚できないなんて…  作者: マーたん


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第四章:

父親になる日、というものは

役所の紙に名前を書いた日でも、

誰かに紹介された日でも、

生まれた瞬間に自動的に与えられる日でもありません。


それはもっと曖昧で、静かなものです。


名前を呼ばれて振り向いた時。

小さな手に引かれて歩いた時。

泣いた顔を見て焦り、

笑った顔を見て安心した時。


そうした何気ない積み重ねの中で、

人は少しずつ“父親になっていく”のだと思います。


けれど、過去に傷を持つ人間ほど、

その資格が自分にあるのか迷います。


壊したものがある。

失わせたものがある。

誰かの場所を奪った記憶がある。


そんな自分が、

誰かを守る立場になっていいのか。


この章で描かれるのは、

完璧な父親の物語ではありません。


不器用で、迷いがあり、

自信もなく、胸を張れない男が、

それでも小さな存在に手を引かれて、

一歩だけ前へ進む物語です。


子供は、案外すごいものです。


大人が何年かけても変われなかった心を、

たった一言で動かしてしまうのですから。


どうか見届けてください。


ある男が、

“父親になる日”を。

第四章:父親になる日


 朝から落ち着かなかった。


 今日は子供の保育園の行事だった。


 小さな発表会。

 歌って、踊って、親と一緒に遊ぶだけの、ありふれた催し。


 だが神谷にとっては違った。


 仕事の商談より緊張していた。



「ネクタイ変じゃない?」


 鏡の前で三回目の確認をする。


 奈緒が呆れた顔で笑った。


「保育園にネクタイで行く人いないと思う」


「……そうか」


「普通でいいの」



 シャツを着替える。


 また落ち着かない。


 子供はリビングで歌っていた。


「きょうね!パパといっしょにするやつあるの!」


 その一言で、胸がざわつく。



「……パパと、か」


 神谷が小さく呟く。


 奈緒は聞こえたようだった。


「そうだよ」


 真っ直ぐな声だった。



「あなた以外に、誰が行くの?」



 返せなかった。



 * * *


 保育園は賑やかだった。


 小さな靴。

 子供の声。

 笑う親たち。


 神谷は場違いな気がしていた。


(みんな、ちゃんと父親に見える)


 自然に笑って、自然に子供を抱いて、自然に名前を呼ばれている。


(俺は……)



「パパー!」


 子供が駆けてきた。


 勢いよく足に抱きつく。


「おそいー!」


「……悪い」


「はやくこっち!」


 小さな手に引っ張られる。



 その温度に、少しだけ呼吸が戻った。



 会場に入る。


 先生が笑顔で迎える。


「○○ちゃんのお父さんですね」


 一瞬、言葉に詰まる。


 奈緒が横から自然に答えた。


「はい」



 神谷は黙って頭を下げた。



 歌が始まる。


 子供たちの声は揃っていない。

 動きもばらばら。


 でも、なぜか胸にくる。


 子供は何度もこちらを見る。


 そのたび、手を振った。


 ぎこちなく。



 次は親子競技だった。


「お父さんと一緒にボール運びでーす!」


 先生の声が響く。


 神谷の肩が固まる。



「いくよ!」


 子供は容赦なく手を引く。


 会場の真ん中へ連れていかれる。



「よーい、スタート!」



 走る。


 小さな足に合わせて走る。


 途中でボールを落とす。


 子供が笑う。


「もー!パパへた!」


「うるさい」


「はやく!」



 笑いながら、また走る。


 気づけば、神谷も笑っていた。



 ゴール。


 子供が飛びついてくる。


「やったー!」



 その瞬間だった。



(ああ)



 神谷の中で、何かがほどけた。



 血が繋がっているか。

 過去に何をしたか。

 誰にどう見られているか。


 そんなことより――



 この子は、今。


 自分の手を握って笑っている。



 それだけで、十分だった。



 * * *


 行事が終わる。


 帰り道、子供は疲れて奈緒に抱かれて眠っていた。



「どうだった?」


 奈緒が聞く。



「……負けた」


「何に?」



「この子に」



 奈緒が小さく笑う。


「今さら?」



「今さらだな」



 少し歩く。


 春の風がやわらかい。



「奈緒」


「ん?」



「俺、父親になれるかな」



 奈緒は足を止めないまま答えた。



「もうなってるよ」



 神谷は言葉を失う。



「完璧じゃなくていい」


「うまくできなくていい」


「でも今日、あの子はずっとあなたを見てた」



 奈緒は優しく続ける。



「子供ってね、ちゃんと知ってるよ」



 眠る子供の手が、神谷の袖を掴んだ。



 小さくて、あたたかい手だった。



(……ああ)



 壊したものは戻らない。


 でも――


 ここから作るものはある。



 神谷は初めて、胸を張って歩いた。

登場人物(第四章:父親になる日)


神谷かみや


本章の主人公。

過去には他人の関係を壊し、自分の欲望や理屈を優先してきた男。

しかし現在は奈緒と子供と暮らし、“守る側”として生きようとしている。


保育園の行事を通して、初めて「父親とは役割ではなく、積み重ねる時間である」と実感する。

不器用ながらも、少しずつ本物の父になろうとしている。



相沢あいざわ 奈緒なお


神谷と共に暮らす女性。

過去の傷や葛藤を越え、現在は穏やかで芯の強い母親となっている。


神谷の未熟さも迷いも理解した上で、責めるのではなく支える姿勢を見せる。

本章では、神谷が父親になるための“導く存在”として描かれる。



■ 子供


奈緒と神谷の子供。

明るく素直で、無邪気な存在。


神谷を迷いなく「パパ」と呼び、疑いなく信じている。

その純粋さが、神谷の中にある罪悪感や劣等感を少しずつ溶かしていく。


本章では、神谷を“父親にした存在”。



■ 保育園の先生


子供たちを見守る明るい先生。

何気なく神谷を「お父さん」と呼ぶことで、彼に現実と役割を突きつける存在でもある。


悪意なく発したその言葉が、神谷にとって大きな意味を持つ。



相沢あいざわ 恒一こういち


奈緒の元夫。

本章では直接登場しないが、神谷の中で比較対象として存在し続けている人物。


「本来そこにいたかもしれない男」として、神谷の心に影を落としている。

次章での再会が示唆されている。



真帆まほ


神谷の過去の女。

本章には登場しないが、前章で神谷の過去を揺さぶった存在として余韻を残している。


彼女の存在によって、神谷は“昔の自分”と決別する必要に迫られた。



第四章時点での関係性


* 神谷 ⇄ 子供:名実ともに父子関係へ近づく

* 神谷 ⇄ 奈緒:支え合う現実的な家族

* 神谷 ⇄ 相沢:まだ会っていない対比関係

* 神谷 ⇄ 真帆:断ち切るべき過去

* 奈緒 ⇄ 子供:絶対的な母子の絆



この章のテーマ


✔ 父親とは血ではなく時間

✔ 認められる前に、自分で認めること

✔ 過去の罪を抱えたままでも未来は作れる

✔ 小さな手が、大人を変える

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