第33話 サバイバーB(1)【柚野佳子】
彼女を支配していたのは、絶望だった。
家族は、誰ひとりとして帰ってこない。
否、この状況では、帰ってこないことこそ救いであったのかもしれないが。
家にあった食糧は、全て食べ尽くしてしまった。
両親は共働きで、自炊の機会もなく。
普段から惣菜や弁当を利用しており、保存の利くものはほとんど置いていなかった。
最後の袋菓子を食べた後、彼女は仕方なく、家を出ることを決意した。
彼女の自宅は、あまりにも思い出が多すぎる。
ともすれば布団の中に引きこもりたくなる誘惑を堪え、彼女は家の外に出た。
2階の窓から観察した限り、自宅の周囲にはゾンビの姿は少ない。
それでも、彼女は数少ないゾンビに襲われる人間を何人も見ていた。
ゆえに、油断はしていない。
手持ちの手鏡を駆使し、曲がり角ではしっかりと周囲を確認し。
彼女はなんとか、数軒隣の知り合いの家に辿り着いた。
その家は、彼女の両親と友人関係の夫婦が住んでいる場所だった。
子供はいない。
そして、その夫婦はゾンビ化してこの周辺をふらふらと歩き回っている。
つまり、この家には、誰もいない。ゾンビもいない。
「…………」
幼い頃から家族ぐるみで付き合っていた彼女は、勝手口の鍵が物置の裏に張り付けてあることを知っていた。
慎重に物置に近寄り、鍵を取り、裏口に回る。
鍵を開けようとして、裏口の鍵が開いたままになっていることに気が付いた。
「…………」
彼女は鼻を啜ってから、扉を開けて家の中に入る。
この裏口は、奥まった行き止まりの路地に面している。
そのため、おばさんはよく、鍵を掛けないまま外出していた。
彼女は、それを知っていた。
おばさんは、危機感が薄い、とよくおじさんに注意されていた。
彼女は、それを思い出した。
ガチャリ、と裏口に鍵を掛ける。
用心のため、彼女はしばらく、その場でじっとしていた。
物音は、聞こえない。
あの2人は今朝も、彼女の家の玄関をノックしていたのだから。
この家に、居るはずが無い。
彼女は頭を振り、大好きだった2人の姿を振り払った。
この家には、ある程度のレトルト食品が置いてある筈だ。
台所にそれらが保管されていたのを、彼女は覚えていた。
それから、さらに数日。
たくさんあったと思ったレトルト食品も、簡単に底が見えてきた。
1人の人間が消費する食糧は、彼女が思っているよりもずっと多かった。
それに、日持ちのしない食べ物も多い。さすがにそれらを口にする気にはならず、彼女は既に用を為していない冷蔵庫に詰め込んで処理していた。
意外に、臭いは漏れないものだ。
もって数日。
余裕を見るなら、もう、残りの食糧は持ち運んで、移動した方がいいかもしれない。
そう、彼女が考えながら、外を眺めていると。
いつも徘徊している、ベビーカーを押した女性ゾンビの後ろを、平然と歩いている少女の姿が目に入った。
「――!?」
一瞬、徘徊型のゾンビが増えたのかと、彼女は思った。
だが、いままで見てきたゾンビとは、明らかに動きが違う。
その少女は、中腰という負担が掛かりそうな姿勢のまま、すり足で移動していた。
明らかに、足音を立てないように気を付けて歩いている。
――衝撃、だった。
確かに、ゾンビは大きな物音によく反応する。
叫びながら逃げている生存者に群がるゾンビ達を、彼女も見たことがあった。
あるいは、クラクションのような音に反応し、徘徊型ゾンビがそちらを目指して走り出した瞬間を目撃したこともあった。
だが、言われてみれば確かに、小さな物音には反応しない。
風が揺らす葉擦れの音を、ゾンビは無視する。
カラカラと転がる空き缶に、ゾンビは反応しない。
で、あれば。
確かに、ゾンビの後ろを、足音をなるべく立てないように歩けば、彼らに気付かれないというのは、ありそうな話であった。
まあ、当然のことながら。
ありそうな話だからといって、実際にそれを実行するのは、狂気の沙汰である。
しかし。
実際にその少女は、そうやって徘徊するゾンビを突破し、彼女の元に現れた。
彼女のミスで陥った、絶体絶命のピンチですら。
少女は、まるで最初からそうなることが分かっていたかのように、颯爽と彼女を救って見せた。
そんな少女に、彼女はすっかり、魅せられていた。心酔してしまっていた。
「茜さん! 次はどこに行くんですか!?」
「……ホーム、センター」
ホームセンター。
確かに、そこであれば、たくさんの物資を手に入れることができるだろう。
だが、世間知らずな女子高生である佳子にとっても、絶対に近付きたくない場所だと分かる程度には、危険な目的地だった。
「分かりました! ついていけばいいですか!?」
「……うん」
それでも。
茜に持たされた、ジャガイモの詰め込まれた重量級のリュックサックを背負いながら、佳子は確信していた。
茜なら、どんなピンチも、簡単に乗り越えるだろうと。
そしてそれは、信頼程度ではなく、盲従、狂信の域に達していたのだが。
意図してそれを為した茜は、グイグイ迫る佳子にタジタジになりつつも、受け止めるのだった。
◇◇◇◇
「ゾンビは、生前の習慣を、繰り返す……」
「そう。特に、ゾンビ化直前の行動だとか。趣味、とか。執着していたこと、とか」
なぜ、佳子の慕うおじさんおばさんは、毎日彼女の家を訪ねてきていたんだろう。
ふと、そうこぼした佳子に、茜は静かに、理由を語った。
「たぶん。……そのおじさんとおばさんは。本当に、楽しかったんじゃ、なかったのかな。佳子ちゃんの家に、行くことが」
「…………」
その夫婦ゾンビは、何をするでも無く。
毎日、朝に佳子の自宅を訪れ、チャイムを鳴らし、そして踵を返して帰っていった。
自宅には戻らず、どこかを彷徨い。
それでも、毎日通って来ていた。
「……そう、なんだ」
「それと。ゾンビ化した場所が、遠かったら。何もできなくなって、ずっと立ち止まっているゾンビも、いる。帰り方が、分からないから」
電車通勤をしていた、両親も。
自動車で工場に通っていた兄も。
たぶん、帰ってくることができなかったのだと。
そんな風に、茜は、理由を付けてくれたのだった。
――その日の佳子は、久しぶりに、ぐっすりと眠ることができた気がした。
本話で、第2章は終了となります!
第3章は、少しだけお時間をいただいてから再開の予定です。
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