第30話 彼女は安堵しました
「走って、こっち!」
「あ、茜さ……!」
「いいから!」
転がっていた子供ゾンビが、起き上がった。
骨折したのか、それとも筋肉が断裂したのか、その動きはぎこちない。
だが、走る速度は変わらない。
茜を追いかけ、子供ゾンビも走り出す。
『ママァコドコドコ! ドコドコまぁママァどマドこどこォ!』
「こっち!」
茜は路地を走って逃げる。
目指すのは、最初に罠を仕掛けた住宅だ。
茜の走りに、迷いは無い。ゆえに、佳子も混乱のまま、茜を追いかける。
開けっぱなしにしていた門扉に、茜は飛び込んだ。佳子も続く。
もし門扉を閉じてしまっていたら、子供ゾンビに追いつかれていただろう。
『ドコォドコドコぉおぉ!!』
「足元、飛んで!!!」
「え、うわ!」
走る先、虎縞のロープがこれみよがしに張ってある。
仕掛けた茜は当然飛び越え、茜の声に佳子も気づき、ロープを飛び越えた。
「入って!」
「…………!」
開けっぱなしの玄関扉。
茜も、ただついていくだけの佳子も、玄関から住宅に駆け込み。
『マぁマァドッ!!』
子供ゾンビは、虎縞ロープに、思いっきり足を引っ掛けた。
どしゃっと音を立てながら、子供ゾンビが玄関に滑り込む。
茜と佳子は、既に住宅に土足で上がっていた。
「あ、あかねさん……!?」
そして茜は、廊下に放置していたロープを握る。立ち止まった茜に驚き、佳子が焦った声を上げ。
「引っ張ります!」
子供ゾンビの方をろくに確認もせず、茜は虎縞ロープを、全力で引っ張った。
『ドォドコドッ!!』
倒れた子供ゾンビは、両手を突っ張って即座に起き上がると同時、すぐ前に立つ茜目掛けて土間を蹴り。
その瞬間、垂れ下がっていた輪っか付きロープが、勢いよく引き上げられる。
『ドまぁマママママぁッ!?』
子供ゾンビが、子供らしくない、あるいはゾンビらしい力強さで飛び上がった瞬間、その右足が、引き上げられるロープの輪の中に綺麗に入った。
輪の中に異物が入ったことで、引き上げる勢いのまま、結び目がギュッと締まる。
その結果。
『アあぁァマァッ』
「よっ」
宙吊り状態となった子供ゾンビが、その勢いのまま茜に手を伸ばした。
茜は、冷静に、『蹴る』コマンドを実行する。
両手でロープを引っ張り、右足で立ち、左足で子供ゾンビの脳天に足裏を押しつけたのだ。
その体勢のまま、茜は背中から、廊下に倒れ込む。
『ままマドマどドどまマドドアまあドまどコこドコ!?』
結果、子供ゾンビは、引っ張り上げられて宙吊りになった。
「あわ……あ!?」
その一連の流れを目撃した佳子は、完全に硬直していた。
当然だろう。
思わぬところで知り合いを見つけてテンションが上がった直後にゾンビに襲われたと思ったら、自身よりも小柄な少女がゾンビを殴り飛ばして助けてくれて、走って逃げるうちにゾンビが宙吊りにされてしまったのだ。
意味が分からない。
だが、そんな佳子を無視し、茜はそのまま行動を続けていた。
廊下に背中から倒れた茜は、ロープをたぐり寄せて身を起こすと、垂れたロープをむんずと足で踏んで押さえつけた。
ピンと張ったロープをさらに引き寄せ、目の前の階段の手摺りに引っ掛ける。
しっかりとビス留めされた手摺りは、子供1人程度の体重であれば十分に支えることができるだろう。
ぐっとロープを引っ張り、手摺りに巻き付ける。くるくるとロープを操り、きゅっと引っ張って結びつける。
『まあぁアマァままぁマアアアママ!!』
宙吊りになった子供ゾンビが暴れるが、所詮は子供体型だ。大した影響もなく、無様に揺れるだけの醜悪なオブジェとなっていた。
「佳子ちゃん、後ろに!」
「えぇ!?」
そこまでの処置を手早く終えた茜は、そのまま、佳子を廊下の奥に押し込んだ。
絶賛混乱中の佳子は、抵抗せずに、茜の背に隠れる形で、視線を上げた。
開けっぱなしの玄関から、日の光が入り込んでいる。
茜の背中越し。
佳子の視界には、その玄関に、真っ黒な人影が映っていた。
『アァァタダアァイイィマアアああァァアアあぁぁあぁァァアアアァ!!』
――住人ゾンビが、帰宅した。
◇◇◇◇
『オォォオオカアアァァサアアァ!! ただだだだたただだァイイイまままマァ!!』
「走って! 右に!」
「…………!!」
想定通り。
本来、ゲームストーリーでは。
玄関でへたり込む佳子、宙吊りになった子供ゾンビ。
その状況で、住人ゾンビは真っ先に佳子に襲いかかることになる。
ここからは、介入不可能なムービーシーンだ。
ゾンビに襲われる佳子、どうすることもできない主人公は、ただ逃げるしかできない。
佳子の断末魔の悲鳴を背後に、茜は廊下を走り、裏口から逃走する。
ゾンビは追ってこない。佳子が生きている限り、茜を襲う事は無いからだ。
それが、ストーリーだった。
佳子は、ゾンビホラーゲームの犠牲者として、プレイヤーに理不尽を刻み込むためだけのギミックだ。
だが、今、ここでは違う。
帰宅した住人ゾンビは、より距離の近い茜をターゲットとして視認した。
佳子が、理不尽に殺されることは無い。
茜は心底、安堵した。
――この世界に、ストーリーの強制力は、存在しない。




