境界連鎖崩壊の始動 ――止まらない波及
篠原サクヤが倒れたあと、
世界は一瞬だけ、息を止めた。
勝利の余韻でも、安堵でもない。
ただ、あらゆる音が意味を失ったような、
不自然な静寂だった。
その沈黙が破れたのは、警報音ですらなかった。
霧亜が、先に気づいた。
「……来る」
直後、五つの観測盤が同時に歪んだ。
天使界、精霊界、霊界、獣界、人間界。
距離も位相も異なるはずの境界線が、
まったく同じ瞬間に揺らいだ。
「同時……?」
夜宮が息を呑む。
境界の歪曲は、これまでも前兆として観測されてきた。
だがそれは、必ずどこか一点から始まり、
他へと“伝播”するものだった。
これは違う。
最初から、すべてが同時に壊れ始めている。
「速度が異常です」
霧亜の声は、冷静であるがゆえに重かった。
「既存の崩壊予測モデルを、完全に逸脱しています。
局所破壊ではありません。補修、再接続、位相固定――
どれも、前提条件が成立しない」
観測映像の中で、境界はひび割れていく。
だが、それは爆発でも崩落でもない。
疲労した構造が、限界を迎えて剥がれ落ちていく
――そんな壊れ方だった。
健太郎が低く問う。
「誰かが、何かをしたのか」
霧亜は、ゆっくりと首を振った。
「いいえ。
これは単一境界の破損ではありません」
彼女は一瞬、言葉を選ぶように視線を落とし、
そして、結論を告げた。
「境界という“構造概念”そのものが、
耐用限界を超えています」
沈黙が落ちる。
夜宮が、絞り出すように言った。
「……修復は?」
霧亜は、否定を躊躇しなかった。
「修復不能です」
一拍。
「これは破壊じゃない。
“寿命”です」
その言葉は、剣よりも重く場に沈んだ。
境界は、誰かに壊されたのではない。
長い時間、五界を分け、抑え、固定し続けた結果、
内部から疲弊し、支えきれなくなったのだ。
平和を維持するために。
選択肢を消し続けるために。
世界は、静かに摩耗していた。
そして今、
それが限界を迎えただけだった。
観測盤の数値が、確実に減少を示し始める。
止まらない。
誰の意思でも、誰の正義でも、もう止められない。
境界は、崩壊を始めていた。




