美香の選択 ――翻訳者として生きる
美香は、はっきりと自分の位置を言語化した。
それは宣言でも、誓約でもない。
ただ、自分がどこに立つのかを定める行為だった。
「私は、人間でいたまま、
世界の声を聞く」
その言葉は、精霊界にも、人間界にも属さない響きを持っていた。
「精霊の代わりに決めるんじゃない」
王の役割を、彼女は否定する。
判断する権限を、自分に集めることを拒む。
「人間の代わりに背負うんでもない」
犠牲になることも、贖罪になることも選ばない。
誰かの痛みを、代行して消す存在にはならない。
「伝えるだけ」
その一語が、すべてを決定づけた。
瞬間、彼女の身体の内側で変化が起こる。
暴走的に広がっていた結晶構造が、
まるで意味を理解したかのように組み替わる。
全身を覆おうとしていた侵食は止まり、
心臓、脳幹、感覚器――
人格を司る中枢を避けるように、局所的に安定化していく。
痛みは戻らない。
だが、感覚は失われていない。
風の感情は、言葉になる前の揺らぎとして届き、
地脈の疲弊は、重さとして胸に残る。
それでも、それらは彼女を飲み込まない。
人格は、完全に保持されたままだった。
後継機構は、王位継承の成立を宣言しない。
神格化も、絶対化も行われない。
代わりに、静かに認識を更新する。
――意思翻訳者。
精霊界の声を、
人間が理解できる形に変換する存在。
人間の意志を、
精霊界が受け止められる重さに整える存在。
王ではない。
神でもない。
だが、一度成立すれば取り消せない。
美香は、世界と世界のあいだに立つ、
不可逆の媒介点として覚醒した。
彼女がそこにいる限り、
精霊界は沈黙できない。
そして人間界もまた、
「聞こえなかった」と言い逃れることはできなくなる。
選択をするのは、常に世界の側だ。
美香はただ、それを――
誤解のない形で、伝え続ける。




