霧亜の完全復帰 ――原初記録層への到達
意識が戻った瞬間、霧亜は自分がまだ生きていることを、少し遅れて理解した。
呼吸は浅く、肺の奥がひりつく。天井の照明が白すぎて、視界の輪郭が滲んだ。北東支部壊滅の報告が、まだ正式に整理されていない時間帯――その事実を、彼女は医療区画のざわめきから察した。
夜宮は重傷。
現場指揮は不在。
本部は、判断の遅れという名の混乱に沈んでいる。
霧亜は起き上がり、誰にも気づかれぬまま、裏回廊へと足を向けた。
警備は、驚くほど薄かった。
それは偶然ではなく、必然だった。危機の直後、人は「外」を警戒し、「内」を見失う。
裏回廊は、知っているはずの通路だった。
だが、進むにつれて、距離感が歪み始める。歩幅が曖昧になり、時間の感触が失われる。壁面に刻まれたはずの管理番号は、途中から意味を持たなくなった。
そして――そこに辿り着いた。
原初記録層。
Pre-Archive。
扉は存在しなかった。境界も、起動音もない。ただ、空間が「変質」していた。
そこには、記録装置はない。
端末も、水晶も、符文も存在しない。
あるのは、重さだった。
視界に映るものは、断片的な光と影にすぎないのに、霧亜の精神は圧迫される。思考を進めようとするたび、別の思考が割り込んでくる。感情が、順序を失って浮上する。
——耐性を要求されている。
ここは、情報を読む場所ではない。
ここは、触れる場所だ。
霧亜は悟った。
ここにあるのは、誰かが「残した」記録ではない。
編集され、要約され、意図を与えられた情報ではない。
これは、世界が経験した事実そのものだ。
成功も、失敗も。
正当化も、後悔も。
語られなかった選択肢も。
すべてが、等価に、沈殿している。
霧亜は一歩、踏み出した。
その瞬間、視界が揺れた。
彼女の中に、他人の視点が流れ込む。時間が前後を失い、原因と結果が同時に存在し始める。
それでも、彼女は目を逸らさなかった。
ここに辿り着けたという事実が、すでに示していた。
世界は、彼女に「見せる」準備を終えている。
そして霧亜は、理解し始める。
五界の歴史は、語られてきたものとは違う。
平和は、自然に生まれたものではない。
――操作されていた。
その認識が、静かに、しかし決定的に、彼女の中に定着した。
世界は、嘘をついていたのではない。
選ばせないことで、黙らせてきただけだ。
霧亜は、原初記録層の中心へと進む。
ここから先、知った者はもう、元の場所には戻れない。
それでも彼女は、歩みを止めなかった。
真実は、常に重い。
だが、それを避け続けた結果が、今なのだから。




