反転祭壇への移送 ――世界から切り離される感覚
少年は歩かされているはずだった。
だが、その「歩く」という行為そのものが、すでに意味を失っていた。
床は天井であり、天井は床だった。
視線を下ろせば、足元は奥へと沈み込み、
見上げれば、同じ奥行きがこちらへ覆いかぶさってくる。
上下の区別は存在しているようで、実際には成立していない。
一歩進むたび、空間がわずかにずれる。
だが距離は縮まらない。
前進は後退と等価で、停止すら移動と区別がつかない。
五界のいずれかであれば、
重力、方向、時間――
少なくとも何か一つは確かな指標があったはずだ。
しかし、ここにはない。
適用される法則がないのではない。
同時に、すべてが部分的にしか適用されていない。
「……歩いているはずなのに、
どこにも近づいていない気がした」
その感覚を、少年は声に出して確かめることすらしなかった。
言葉にした瞬間、それすら反転してしまいそうだったからだ。
連行している存在――
それが人型なのか、意志だけのものなのか、
少年には判別できなかった。
視界の端に影のような輪郭が揺れているだけで、
“誰かに連れられている”という事実だけが残る。
恐怖は、来なかった。
代わりに胸の奥に浮かび上がったのは、
説明のつかない既視感だった。
初めて来た場所のはずなのに、
この歪んだ空間を、少年は知っている気がした。
いや――
「知っている」というより、
思い出そうとしている感覚に近い。
懐かしさ、と呼ぶには冷たく、
安心、と言うには不完全な感触。
だが確かに、それは「拒絶」ではなかった。
――帰ってきている。
そんな錯覚が、はっきりと形を持って浮かぶ。
その瞬間、少年は気づく。
自分の鼓動が、
この空間全体の微かな振動と――
完全に一致していることに。
どくり、と心臓が脈打つ。
同時に、足元――いや、空間そのものが震える。
もう一度。
どくり。
震え。
まるで、施設が呼吸しているかのようだった。
いや、違う。
自分が、この場所の呼吸の一部になっている。
少年は初めて、連行されているという感覚を失う。
ここは檻ではない。
通路でもない。
侵入された場所ですらない。
――これは、構造だ。
そして自分は、その内部に組み込まれた要素。
誰にも告げられず、
何の説明も受けないまま、
少年は理解してしまう。
自分はここでは「異物」ではない。
拒絶される存在でもない。
最初から――
ここに含まれていた。
反転祭壇は、まだ姿を現さない。
だが空間は確かに、
少年の到着を前提として、静かに回転を始めていた。




