三隊長の一人・裏切り判明 ――理念型裏切りの発露
北東支部の防衛網は、静かに狂い始めていた。
致命的な破綻ではない。
数秒単位の遅延、不要な再起動、観測精度のわずかな低下。
どれも、戦時体制に移行した支部では「誤差」として処理されうる程度の異常だった。
「五界戦争準備による負荷だろう」
管制室ではそう結論づけられ、誰も深く追及しなかった。
――一人を除いて。
霧亜は、防衛ログを何度も巻き戻していた。
表示される数値そのものは整っている。
だが、その“整い方”が不自然だった。
まるで、誰かが意図的に「異常に見えない形」に揃えているような、精密すぎる補正。
「……違う」
彼女は低く呟き、権限記録を深掘りする。
自動補正ではない。
自己修復でもない。
これは――
手動解除だ。
霧亜の指が止まる。
解除権限レベル:S3。
北東支部でこの権限を持つ者は、数えるほどしかいない。
「三隊長以上……」
その瞬間、霧亜の脳裏に浮かんだ名があった。
幻操隊長・篠原サクヤ。
支部創設期から在籍する古参。
損耗を嫌い、無駄な戦闘を避け、常に「最小被害で最大効果」を選ぶ合理主義者。
第一部でも、数え切れない場面で支部を救ってきた人物。
――疑う理由など、ないはずだった。
だが、その人物は、静かに管制室へ現れた。
「随分と熱心だな、霧亜」
穏やかな声だった。
いつもと変わらない、感情の起伏を抑えた口調。
霧亜は画面から目を離さず、問いかける。
「最近の防衛遅延。あなたの権限が使われています」
一拍の沈黙。
篠原は否定しなかった。
「使ったよ」
その即答に、空気が張りつめる。
霧亜が振り返ると、篠原はどこか安堵したような表情を浮かべていた。
「隠す必要もなくなった、というだけだ」
「……なぜです」
霧亜の声は震えていなかった。
だが、内心では、理解したくない答えを予感していた。
篠原はゆっくりと支部の防衛表示を見渡す。
「境界は、守るものじゃない」
淡々とした声音。
「破壊され、均され、再構築されるべきだ」
霧亜の背筋が冷える。
「五界はもう限界なんだ。延命措置を続けているだけの、腐った構造体だ」
「だから――」
篠原の視線が、霧亜を正面から射抜く。
「教団は正しい。
彼らは破壊者じゃない。“進化の触媒”だ」
霧亜は言葉を失った。
それは狂気の叫びではなかった。
激情も、憎悪もない。
徹底的に冷静な、思想の表明だった。
「……あなたは、教団の信者じゃない」
「当然だ」
篠原は小さく笑う。
「私は誰にも忠誠を誓わない。
ただ、世界が次に進むための選択をしているだけだ」
その瞬間、警報が鳴らなかったことが、逆に異常だった。
篠原が指を鳴らす。
幻操術式が展開され、管制室の感覚が歪む。
「すでに始まっている」
彼は淡々と告げた。
「防御陣は段階的に解除した。
ログは訓練演習データに偽装済みだ」
霧亜が叫ぼうとした瞬間、視界が揺らぐ。
「外から、魔界の位相兵が入る」
篠原の声は、どこか遠い。
「検知はされない。
ここはもう、“侵入されたことに気づけない支部”だ」
支部全体が、静かに――確実に、無防備になっていく。
霧亜の意識が薄れていく中、最後に聞こえたのは、篠原の静かな独白だった。
「安心しろ。これは裏切りじゃない」
「――進化だ」
北東支部は、その瞬間から、内部から崩壊を始めていた。




