霧亜の“違和感”解析
騒然とした宿舎区域の片隅。
霧亜は一人、壁に残る精霊文字の光を凝視していた。
淡い光は形を保ちながら、ゆっくりと揺らいでいる。
まるで“誰かが急いで模写した痕跡”のように。
「……この残滓、やっぱりおかしい」
つぶやきは、ごく小さく、しかし確信を帯びていた。
■旧暦前の精霊コード
霧亜は光の粒に指をかざし、魔力波形を読み取る。
「旧暦前の精霊コード……?
こんな表記、現代の精霊族はまず使いません」
精霊界言語は千年前に大改訂され、古い構文は“儀式用資料の中でしか見ない”はずだった。
そして、この残滓には致命的な違和感がある。
「書いた……というより、貼り付けたみたいな……」
壁面に刻まれた光は、文字の“筆圧”に相当する魔力の起伏がなかった。
誰かが古文資料を模写し、それを無理やり魔力で焼き付けた跡。
自然の書字動作ではあり得ない均一性だった。
「つまり……犯人は精霊族じゃない。
『精霊族に見せかけたい第三者』が書いた偽装……」
そこまで言いかけた時、背後から低い声が返る。
■夜宮の推論
「誘導工作だな」
振り返ると、夜宮が静かに立っていた。
怒号渦巻く廊下の中で、彼だけが異様に冷静だ。
「しかも雑ではない。
“わざと古いコードを使う”ことで、精霊界への疑いを最大化する。
粗雑に見せて、逆に真実味を演出している」
霧亜は息を呑んだ。
「じゃあ、魔界代表の暗殺は……」
「五界を互いに敵対させるための、計画的な一手だ」
夜宮の目は、戦場の兵士のものだった。
この暗殺は始まりに過ぎない、と語っていた。
■怒りが暴発する
その予測を裏付けるように、遠くで轟音が響いた。
「魔界側が……結界を攻撃しています!」
駆け寄る人間界警備官が叫ぶ。
廊下の向こうでは、魔界重鎮たちが血走った眼で防衛結界へ魔力を叩きつけていた。
結界壁が歪み、光を散らす。
「精霊界は我らを侮辱した!」
「外交会議など茶番だ! 今ここで決着をつける!」
精霊界側も防御陣を展開し、人間界本部の警備隊は銃を構えた。
宿舎区域は、一触即発の密室と化す。
■疑念だけが沈殿する
その最中、人間界本部は各界への情報開示を極端に絞った。
残滓解析の詳細も、死体の魔力痕も、外部に伝えない。
それが各界の代表たちをさらに刺激した。
「なぜ人間界は情報を出さない?」
「隠していることがあるのでは?」
「まさか黒幕は──」
霧亜は、胸の奥に重く沈む感覚を覚える。
(これでは……犯人の思うつぼ……)
光の残滓は、ゆっくりと消えていく。
それは、五界の秩序が夜の闇に沈んでいく合図のようだった。




