事件発生──午前2時、宿舎区域
アーカ・ドームの宿舎区域は、深夜二時を過ぎても微かな魔力の脈動を抱え、静かに眠っていた。
廊下には監視灯だけが点り、空調のかすかな唸りが響く。
その静寂を破ったのは、短い金属音と、続く低い断末魔だった。
■密室の死
魔界代表ヴァルト=ゼグナの部屋に駆けつけた時、すでに彼は倒れていた。
寝台の傍ら、片膝をついた姿勢のまま、胸に深々と刃が刺さったまま。
若き魔界代表の紫紺の瞳は、どこか不可解なものを見つめるように見開かれている。
扉の鍵は内側から掛かっていた。
窓は全て封印され、結界警報も作動していない。
――完全な密室。
「ば、バカな……侵入の痕跡は……どこにも……!」
魔界側護衛官が蒼白になり、何度も結界層を確かめる。
異常は無い。あるのは“結果”だけだった。
■検死と“ありえない残滓”
急行した医療官の診断は迅速だった。
「殺害は一撃……心臓を貫通しています。即死です」
だが、続く報告が場を凍らせる。
「傷口の魔力痕を解析しました。
暗殺具は魔界式の呪銀刃ではありません。むしろ――」
医療官は逡巡し、口を開いた。
「――“人間界の標準刃物”に近い痕跡です」
「何だと……?」
「魔界の代表を、ただの刃物で……?」
ざわめきが走る。
さらに追い打ちをかけるように、霧亜が壁面の異様な光を指差した。
「見てください。あの光……精霊文字の“残滓”です」
壁には淡く揺らめく文字列が散っていた。
しかし、霧亜はその瞬間、眉をひそめた。
「……これは、おかしい」
精霊界代表が近づき、低く唸る。
「我々の言語……だが、古すぎる。
千年前の“旧式コード”だ。現代の精霊族は使わない」
「つまり、偽装……?」
美香が青ざめて呟く。
「はい。しかも杜撰です。
精霊文字の構文規則が、三箇所……完全に間違っています」
霧亜の声は震えていたが、確信を含んでいた。
「これは“精霊界による犯行”を示すための偽装です。
しかも……犯人は最新の精霊文化を知らない」
■魔界の激昂、封鎖される宿舎
報告が終わるや否や、魔界の護衛官たちは剣を抜き、怒鳴り声を上げた。
「精霊界……貴様らがやったのか!」
「代表を殺し、会議を潰すつもりだったのか!」
精霊界側も黙ってはいない。
「根拠のない挑発はやめろ!
この残滓は我々が作るには粗雑すぎる!」
怒声が宿舎区に響く。
人間界本部の警備隊が慌てて駆けつけ、魔力銃を構えた。
「宿舎区域を封鎖する!
魔界・精霊界の代表団は全員、同区画に留まれ!」
「ふざけるな! これは宣戦布告と同義だ!」
空気が一瞬で殺気に満ちた。
外交団同士の魔力がぶつかり合い、廊下の照明が明滅する。
霧亜は混乱の中、暗い戦慄を覚えた。
(……誰かが動いた。
この暗殺は、五界合同会議を壊すための“最初の一手”だ)
アーカ・ドームは、その夜から漂い始めた血の匂いを、夜明けまで消すことができなかった。




