戦闘後の余波
戦闘が終わり、神流市の山間地帯には、まだどこか“空気の厚み”のようなものが残っていた。
異界化が剥がれ落ちた後の街は、軽い震えを引きずる獣のように、ところどころで歪みを鳴らしている。
道路には亀裂が走り、街路樹は影だけを二重のまま引きずっていた。
しかし、幸いにも市民の被害は最小で済んでいた。
結界が破れかけた瞬間、美香の暴走結界が街区全体を包み、皮肉にも盾として作用したからだ。
「……はぁ……っ……」
美香は膝をつき、肩で呼吸をしていた。
魔力暴走の反動が、小刻みに指先を震わせる。
霧亜が駆け寄り、彼女の背を支える。
「もう力を使わないで。魔力炉心が不安定になってる。」
「うん……わかってる……でも……健ちゃんが……」
美香の視線が、少し離れた場所に倒れ込んでいる少年へ向く。
健太郎は意識が朦朧としており、呼吸は浅い。
だがその体表には、まだ微量の界縁粒子が漂っていた。
まるで肌から零れ落ちる光の灰のように——都市の光と混ざりながら宙に溶けていく。
夜宮は、一歩距離を置き、その様子を静かに観察していた。
彼の瞳には驚愕も焦りもない。
あるのは、冷徹な事実の積み上げを見つめる、古い研究者のような眼差し。
「界縁反応……まだ収束していないか。」
夜宮は呟き、周囲に残る波動を計測装置で測る。
空を見上げると、戦闘で開いた裂け目の残滓がまだ消えていなかった。
ほんの十数メートルの幅だが、ゆらゆらと光を湛え、風のない空に漂う歪みだけが、そこに“異界”の名残を示していた。
霧亜が夜宮へ顔を向ける。
「支部長……裂け目、消えませんね。」
「本部の転移網が近くまで圧をかけているのだろう。
放っておけば、あと数時間で消える。」
「来ると思いますか? 本部直属隊……」
夜宮はわずかに笑った。
その笑みには、諦観でも恐れでもなく、静かな覚悟の色があった。
「来るだろう。
だが、我々の“報告”が届く前に、健太郎の存在は……すでに世界へ示されてしまった。」
風が吹き抜ける。
裂け目の光がざわめき、遠くの雲の影が揺らぐ。
夜宮は言葉を続けた。
「本部は必ず動く。
彼らは五界の均衡を守るために、必要とあらば少年一人の未来など切り捨てる。
……だからこそ、こちらも動く必要がある。」
霧亜は息を呑む。
美香は苦しげに起き上がる。
しかし最も静かだったのは、健太郎だった。
意識を失ったまま、ただ微弱な界縁粒子を漂わせている。
その異質な大気が、周囲の空間をわずかに撓ませていた。
「健太郎と美香……二人の潜在因子は、今後の均衡の鍵になる。」
夜宮は裂け目を見上げながら、低く続けた。
「これは——一支部の問題では済まなくなる。
やがて、本部との対立は避けられない。」
裂け目の光が、まるでその言葉に応えるように揺れた。
残響だけを残し、少しずつ都市の空に溶けていく。
そして、静寂の中に新たな戦いの予兆だけが、確かに満ちていた。




