健太郎覚醒と戦局転換
霧のような魔力のざわめきが、街路を満たしていた。ゆがんだ建物の縁は、いまだ異界の震えを引きずり、影を落とす。中位悪魔たちが咆哮し、前線の隊員たちは後退を余儀なくされていた。
そのただ中——健太郎が、静かに立っていた。
美香の結界暴走の余波を浴びたはずの彼の周囲だけ、奇妙な静寂が保たれている。空気は澄み、風は落ち着き、まるで世界が、そこだけ正常に戻っているかのようだった。
「……界縁反応、安定?」
霧亜が呟いたが、その声は恐るべき現象の前では、ほとんど私語に等しかった。
健太郎の胸奥で、何かが目覚める音がした。
音といっても実体はなく、ただ世界の膜がわずかに軋むような、空間そのものの調律が変わるような——そんな、異質な“兆し”。
次の瞬間、彼の体表に淡い光の粒子が現れた。
細かな塵のような、しかし宇宙の縁から風に乗って流れ込んだかのような、揺らぎ。粒子は息づくように明滅し、健太郎の皮膚の上を流れていく。
「……界縁粒子が、視認できるほどに……?」
美香は驚愕を隠せない。結界操作の負荷で膝をつきながらも、その光景から目を離せなかった。
世界が、彼を中心に組み直される。
周囲50メートルほど、異界化していた街路は音もなく元の姿へと戻っていった。地形の歪みが修復され、魔力の濃霧が消失し、悪魔族の放った瘴気は溶けるように消えた。
「な、何だ……!?」
中位悪魔が叫ぶ。
彼らの放つ攻撃魔法が、健太郎へ届く前に弾かれ、霧散していく。
火球は灰になり、闇槍は形を保てずに空へ溶けた。
ただ、無効化される。
抗おうとする力そのものが、意味を失っていく。
戦局が、一瞬で転じた。
ヴィルゼルが、ゆっくりと霧の奥から姿を現した。
その瞳に走るのは、怒りではなく、測りかねる異質への“理解の兆し”だった。
「……やはり、そうか。お前——」
ヴィルゼルは鼻先で空気を嗅ぐようにして、健太郎を凝視した。
「お前は、内側の者ではない。五界のいずれにも属さぬ匂いがする……外側の色だ。」
霧亜の背筋が、ぞくりと震えた。
健太郎は困惑の中で、それでも初めて自分の力を意図して制御していた。
恐怖でも混乱でもない。
ただ、決意のような静かな集中。
「……退けよ。」
健太郎がつぶやくと、界縁粒子の流れが強まり、風のように街路を走った。
光の風が吹き抜け、中位悪魔たちは一斉に後退した。
その瞬間、誰もが理解する。
この少年は、ただの人間ではないと。
物語は、不可逆に動き始めた。




