霧亜の葛藤
霧亜は、拘束室の強化ガラス越しに少年を見ていた。
無表情で座り、壁の模様のようにぼんやりと虚空を見つめている。だが、あの一瞬──
少年の瞳が、確かに健太郎を“認識して”いた。
まるで、旧知の名を見つけたかのように。
胸の奥が、小さく軋んだ。
「……どうして、私より先に……」
彼女は息を整えようと深く吸い込むが、胸のざわめきは収まらない。
自分でも分かっている。それは嫉妬に似た感情だった。
任務外の感情を抱くなど、訓練では禁忌だと叩き込まれてきたのに。
この感情は、なに?
霧亜は健太郎の部屋へ向かった。扉を開くと、彼はデスクに突っ伏していた。
疲れているはずなのに、眠れていない目だ。
「健太郎。……聞きたいことがあります」
顔を上げた彼は、霧亜の強張った声色に気づいたらしい。
一瞬、怯えの気配を見せる。
「な、なんだよ」
霧亜は言葉を選ぶ余裕を失っていた。
「あの少年……あなたを“知っていた”。
名前を呼ぼうとした。あなたの存在を、最初から理解していた」
健太郎は困惑したまま目を瞬かせる。
「いや、俺は……見たことない。話したこともない。
あの子のことなんて、何も知らない」
霧亜はさらに近づき、声を潜める。
「じゃあ、どうして……。
どうしてあなたの周囲でだけ、界縁反応が起きるんですか?」
健太郎は視線を落とし、拳を握りしめた。
「俺は……普通の人間だよ。
ただの人間で、いたかったんだ。
それが……そんな目で見られるような存在じゃ、ないはずなんだ……」
その言葉は、弱くて、必死で、どこか痛々しかった。
霧亜は呼吸が詰まるのを感じる。
問い詰めるつもりだったのに、胸が締め付けられ、苦しくなる。
彼は本当になにも知らないのか。
それとも──知らされていないだけなのか。
彼を守りたいという気持ちと、
彼が何か“別のもの”に変わってしまうのではという恐怖が、
胸の中でかき乱される。
「健太郎……私は……」
守らなければならない。
けれど、その“理由”が、もう任務ではなくなっていることに気づいてしまった。
霧亜はその自覚に震えながら、言葉を飲み込んだ。
「……今日はもう休んでください。
調査班も、あなたの負担を懸念しています」
精一杯の冷静さを装い、踵を返す。
だが部屋を出た瞬間、彼女の胸には確かな痛みが走っていた。
なぜそんなに、あなたが気になるの……?
その問いだけが、霧亜の胸に残り続けていた。




