エレベーターの果て
ピンポーン。
エレベーターが到着を告げる。
扉が開くと、赤い絨毯が果てしなく続いていた。光沢のある壁には誰かの影がゆらぎ、天井のシャンデリアは息を潜めている。高級ホテルの廊下だと思った。だが、誰もいない。空調の音だけが、静かに僕の存在をなぞる。僕はここで、降りない。降りられない。
扉が閉まり、機械が動き出す。ポーン。
上へ。滑らかに、それでいて腹の底を撫でるような不快な浮遊感。
この感覚には、何度経験しても慣れない。
ピンポーン。
開いた先は、凍てつく空気の吹きすさぶ冷蔵庫の中だった。
鈍い光の中で、無数の肉片が吊るされている。赤と白の境界が曖昧で、まるで生と死が半ば凍ったまま並んでいるようだった。
息を吸うと、肺の内側が硬直する。
早く閉まってくれ。
ポーン。
エレベーターは再び登る。
上昇は加速し、やがて速度そのものが感覚を超える。壁が唸る。
──いつまで登っているんだ。
時間の概念が融けていく。
上下の区別すら曖昧になった頃、突然、揺れが止まった。
ピンポーン。
扉が開く。
視界が白く滲み、空気が凍っていく。気づけばそこは、白銀の砂だった。
白銀の砂が、どこまでも続いている。
その地平の向こうに、漆黒の空。点々と瞬く光。
ここは……月面だ。
無音。
それなのに、遠くから潮の音が聞こえた気がした。
その瞬間、扉が暴れるように閉じた。
ガコン。
何かが外れた。
重力が反転する。身体が宙を掴み損ね、
──落ちている。
上昇と同じ速度で、今度は下降。
冷たい風が肌を剥ぎ取る。
落下は、記憶を剥がす行為のようだった。
僕は、かつて何度この夢を見ただろう。
上昇の果てに辿り着くのは、必ずこの落下だった。
ガタガタと震える箱の中で、
手すりにしがみつきながら、
僕は祈るように目を閉じた。
身体が上下左右に激しく揺れ、そして──
ピンポーン。
──「おい、起きろ。終わったぞ」
視界が反転する。
目の前には、ジェットコースターの係員が立っていた。
汗ばんだ手のひらがまだ震えている。
足元が、地面を確かめるように揺れた。
あの上下運動のすべてが、僕の中のエレベーターだった。
恐怖から逃げるために、想像は僕を運んだのだ。
けれど、
今でも耳の奥で、あの音が鳴り続けている。
ピンポーン。




