33話 焼き饅頭殺人事件、饅頭の魂!?(4)
その日、千田界は静まり返っていた。
裁判ダンジョンの判決が出てから三日。
千田食品のオフィスには、まだ事件の余韻が残っていた。
千田(弟)は机に突っ伏したまま、動かない。
「……姉貴。俺、もう疲れた」
「何が疲れたのよ」
「裁判で踊ったし、ニュースでは八木節企業って呼ばれてるし……。
おまけに取引先の営業も、みんな焼き饅頭社長とか言ってくるんだぞ……」
「いいじゃない。覚えやすくて」
千田さんは、いつものように緑茶をすすりながら、新聞を広げた。
『奇跡の八木節弁護、千田食品を救う!』
『焼き饅頭社長人気急上昇! 株価ストップ高!』
「……ほら、結果オーライ」
「姉貴、世の中おかしいよ……」
そんな会話をしていたその時――。
机の上の「焼き饅頭」が、ふわりと浮かび上がった。
「……え?」
弟が顔を上げるより早く、饅頭は空中でくるくると回転を始めた。
表面が膨張し、湯気が渦を巻き、甘い香りが室内を包む。
そして――。
「わしが真犯人じゃ〜〜〜!」
ドンッッ!!
焼き饅頭が、巨大な顔を作った。
眉は黒糖、目はこしあん、口はこげめ。
立派な表情をした、まさかの霊体饅頭である。
「ひぃぃぃぃっ!?」
「な、なんだこれ!?」
取引先の弁護士(なぜかまだ居た)も、叫んだ。
だが、千田さんだけは冷静に、それを見つめていた。
「……なるほど。そういうことね」
「姉貴、説明して!? 俺もう甘い匂いだけで吐きそう!!」
「これは、感情魔力の暴走よ」
千田さんは、扇を開いた。
風が舞い、饅頭霊の表面に魔法陣が浮かび上がる。
「見なさい。あの魔力あんたの婚約指輪の波形と一致してる」
「え、指輪? でも、あれもうないじゃん! 婚約破棄のときに!」
「そう。あの時の怨念と後悔の感情が、焼き饅頭に移ったの。
さらに従業員Bの仮死魔法と混ざって、魂を得ちゃったのよ」
「つまり俺の未練と、Bの恋心と、婚約者Aの怯えが混ざって……」
「饅頭が人格を持った。簡単に言えば呪いの饅頭ね」
饅頭霊が、ぐわっと顔を近づけてきた。
「そうじゃ。わしは悲しみの饅頭。
おぬしら人間が、欲と恋と後悔でこね上げた、感情の残りかすよぉ……!」
「やめろ! そんなホラーな自己紹介いらん!」
「静かに」
千田さんが扇を軽く振る。
「聞きなさい、弟」
饅頭霊は、どこか悲しげに続けた。
「わしは、誰かを恨んでいるわけではない。
ただ温かく焼かれたかったのじゃ。
愛されて、甘く、香ばしく、生きたかったのじゃ……」
空気が、しんと静まった。
あの八木節裁判でさえ笑っていられた取引先弁護士の顔が、今は涙ぐんでいる。
「……饅頭、切ない……」
「誰も悪くないのよ」
千田さんは静かに言った。
「弟は恋に敗れ、従業員Bは報われず、婚約者Aは巻き込まれた。
そして饅頭は、それを全部受け止めたの。
誰も加害者じゃない。誰も、完全な被害者でもない」
饅頭霊が頷く。
その顔は、どこか安らいで見えた。
「千田の姉ぇ……わしを、焼き直してくれぬか」
「……いいわ」
千田さんは立ち上がった。
扇を手に取り、深呼吸をひとつ。
周囲の空気が、再び八木節のリズムに染まっていく。
「――発動。扇乱舞・饅頭退散の陣!」
炎の魔法陣が展開される。
千田さんの舞は、これまでのコミカルな八木節とは違い、どこか神聖だった。
笛の音が静かに鳴り、リズムが世界を包む。
「ピーヒャラリ〜 トン トン 心を焼こう
甘い香りで 憎しみ消そう――」
饅頭霊の体が、ゆっくりと溶けていく。
焦げた匂いではなく、やさしい甘い香りが部屋を満たした。
「……ありがとう。わし、やっと……焼き上がれた気がする……」
最後の言葉を残し、饅頭霊は光の粉となって消えた。
残ったのは、ふわりと香る焼き饅頭の匂い。
まるで、最初にこの世界へ来た時のような――懐かしい匂いだった。
「終わったのね……」
「ああ……終わったんだな……」
弟はその場に座り込み、涙をこぼした。
彼の中で何かが、やっと溶けたのだ。
「姉貴……俺、やっぱり姉貴に敵わねぇわ」
「当然でしょ。人生も八木節も、テンポが大事なの」
千田さんはそう言って、笑った。
その笑顔には、どこか寂しさがあった。
事件は終わった。
だが、この世界には、まだ焼き饅頭の香りが漂っていた。
それは、後悔と優しさが混ざった、少しだけ切ない匂い。
数日後。
千田食品の売上は回復し、弟は新商品「八木節饅頭」を開発。
婚約者AはSNSで「#饅頭の気持ちを考える運動」を立ち上げた。
従業員Bは、魔法療養院で静かに暮らしている。
「全部、丸く収まったようね」
そう言いながら、千田さんは再び異世界ダンジョンの扉を開いた。
「さて、次の事件の匂いがするわ……」
その背中から、あの甘い香りが立ち上る。
焼きたてのように、やさしく――どこか懐かしく。




