30話 焼き饅頭殺人事件、婚約破棄!?(1)
今回はミステリー??
その朝も、千田さんは実にのんきだった。
カーテンを開けると、窓の向こうには異世界の朝焼け。
火の塔からはもくもくと白煙が立ち、空には鮭型の雲がゆらゆらと泳いでいる。
割烹着姿で湯呑を手にした千田さんは、頭に小さな鮭の飾りを挿していた。
そして、いつものように八木節を口ずさみながら呟く。
「今日も千田界は平和ねぇ〜。いいことだわ〜」
その直後だった。
ピンポーン。
鳴り続けるドアチャイムが、朝の静寂を引き裂く。
あまりに長い。普通の来客ではない。
千田さんがドアを開けると、そこにはスーツ姿の男が立っていた。
眉間に深いしわ、目の下のクマ、そして神経質そうな声。
「姉貴……大変なんだ」
そう言ったのは、弟の千田(弟)だった。
顔が真っ青で、手には震えるスマホを握っている。
「なに? 朝から修羅場? また株で失敗したの?」
「違う! 婚約者が……死んだ!」
その瞬間、千田さんの割烹着の裾がひらりと揺れた。
八木節のリズムがぴたりと止まる。
「……はあ?」
「本当に死んだんだよ! 焼き饅頭を口いっぱいに詰められて、息が……!」
焼き饅頭?
その単語に、千田さんの脳内で警報が鳴った。
これは、ただの事件じゃない。
焼き饅頭の呪い、あるいは……千田界魔法の誤作動。
「いいわ。詳しく話しなさい」
千田界一の問題処理人であり、書道師範にして八木節マスター。
どんな事件でも踊りながら解決する女・千田さんの推理魂が、今、燃え上がる!
「昨日の夕方だ」
弟は青ざめた顔で語り出した。
婚約破棄を切り出すために、婚約者Aとオフィスで会った。
テーブルに婚約指輪を置き、「これが慰謝料だ」と言い残して部屋を出た。
「で、今朝出社したら、婚約者が机の上で口に饅頭を詰め込まれてたんだ」
「警察は?」
「呼んでない。……異世界的な事件かもしれないと思って」
千田さんは腕を組んだ。
異世界的、という言葉にだけは敏感だ。
「……あなた、その饅頭どこから来たか知ってる?」
「うちの会社の菓子部門で作った営業用の土産だよ。焼き印が入った特注のやつ」
「ふむ」
千田さんは、眼鏡をくいっと上げた。
「現場、見せなさい」
弟に案内され、二人はオフィスへ向かった。
そこはモダンなビルの一室。
だが、空気が異様に重い。焦げた砂糖と、甘い香りが入り混じった匂いが漂っていた。
机の上には、焼き饅頭が散乱している。
そして椅子には――真っ白な顔の女性。
口いっぱいに、ぎゅうぎゅうに焼き饅頭を詰め込まれていた。
「……本当に焼き饅頭殺人事件ね」
千田さんは、ため息をつきながらも、その焦げ目に目を留めた。
それはただの焦げではない。
まるで魚のウロコのように、規則的な模様が浮かび上がっていた。
「この焦げ方……見覚えがある」
千田さんの脳裏に、炎の塔の儀式がよぎる。
“シャケ・マナ・サークル”炭水化物に生命を与える禁断の呪文。
「まさか……誰かがあれを使った?」
弟が青ざめた。
「な、なんだよそれ!?」
「パンでも饅頭でも、下手に唱えると魂が宿るのよ。しかも、怨念が混じると、食べた人間を喰らう」
千田さんは、饅頭の断面を観察した。
焦げ跡の模様が、円環を描いている。
まるで召喚陣のようだ。
「この饅頭、焼きの段階で呪術が刻まれてる。たぶん誰かが意図的に仕込んだわね」
「姉貴……俺、そんな魔法知らないぞ」
「知ってる知らないの問題じゃないの。問題は、なぜここで発動したかよ」
千田さんは腕を組んだ。
「被害者が一人で食べた? それとも、誰かに詰め込まれた?」
「でもドアも窓も鍵がかかってたんだ! 完全な密室だよ!」
「密室ねぇ……」
千田さんは床にしゃがみこみ、饅頭の破片を拾った。
サイズが違う。大きなもの、小さなもの――。
「これは、複数回に分けて詰め込まれた痕跡。つまり、一瞬で殺されたんじゃない」
「じゃあ、時間をかけて?」
「ええ。何者かが、時間をかけて饅頭を生かしながら詰め込んだのよ」
弟の喉が鳴った。
「人間じゃ……ないのか?」
「たぶん、饅頭そのものが動いたのよ」
その言葉に、部屋の空気がぴしりと凍る。
「で、姉貴。つまりこれは、饅頭が……犯人?」
「加害者と呼びなさい。生きてる炭水化物には尊厳があるの」
そう言いながら、千田さんは被害者の口元を丁寧に覗き込んだ。
焦げた表面の裏には、小さな魔力文字が刻まれている。
“Ju・Man・Ju──”
「再生饅頭?」
弟がぽかんとした顔をする。
「それ、なんだよ」
「昔、パン教団が開発した試作品。食べると、魂の一部を保存して仮死状態にする魔法よ」
「つまり……」
「死んでるように見えて、実は仮死状態ってこと。
仮死魔法の典型的なパターンね。
焼きが強すぎて、魔力が暴走したのよ」
「じゃあ、犯人は?」
「この仮死魔法を仕込んだ人。つまり――あなたの従業員の誰かね」
弟は頭を抱える。
「そ、そんな……」
「安心しなさい。次の回で仮死魔法の秘密で真相を暴くわ」
窓の外では、鮭型の雲がくるりと旋回し、朝の光が差し込む。
千田さんは湯呑を手に取り、呟いた。
「ふう……今日も、焼き饅頭が甘いわねぇ」
その香りは、まだ終わらぬ事件の幕開けを告げていた。




