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異世界に召喚されたけど、帰る条件が「焦げない鮭を焼くこと」だった 〜千田さん家の裏口は異世界への入口〜  作者: たかつど
焦げた鮭は魔法の味

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2話 お弁当と育児×ダンジョン攻略!?

「ふーん、千田さん家、行ったのね」


 声に振り向くと、植え込みの陰から折茂さんが現れた。


「お、折茂(おりも)さん!?」


 僕は驚いて立ち止まった。


 その日、久々に裏口から現実世界へ戻った僕は、肩を落として歩いていた。

 ほんの五分の距離なのに、やけに遠く感じる。


「なんで知ってるんですか?異世界のこと……」

「知らないわけないじゃない」


 折茂さんがにっこり笑う。


「あそこ、私の実家よ」

「ええぇ!?実家!?」


 折茂さんは、近所でも謎の女性として知られている。

 年齢不詳。職業不明。

 いつも上品な日傘を差して庭でミントティーを淹れている。

 誰に教わったでもないのに占星術に詳しく、満月の日は「今日は危ない日ね」と言って一歩も外に出ない。

 子どもが二人いるらしいが謎である。


 そんな折茂さんが、僕を見て笑った。


「千田さんは私の師匠でもあるの」

「師匠?」

「昔、こんにゃくが上手に煮えなくて召喚されたのよ」

「召喚理由がゆるいッ!」


 焦げた鮭で召喚された僕が言えた立場ではないが、こんにゃくは方向性が違いすぎる。


「あなた、今は初級召喚者ね」

「初級……」

「千田界ではお魚クラスと呼ばれてるわ」


「魚クラス!?」

「ええ。私は最初こんにゃくクラスだったの」


 折茂さんが胸を張る。


「でも努力して昇格したのよ。今はこんにゃくを(コンニャクフ)煮込む者(レキブルex)から火の召喚士なの」


「階級名が中二っぽい!」

「失礼ね」


 折茂さんが日傘をくるりと回した。



「せっかくだし、あなたに本格的な師匠を紹介してあげるわ」

「師匠?千田さん以外にも?」

「火の守護者、ゾクヤケシャ様を紹介するわ」

「ゾクヤケシャ……」


 聞いただけで火傷しそうな名前だ。


「でも、その前に——」


 折茂さんが日傘の先を地面に向けた。


 ぱたん。


 触れた瞬間、空気がぱちりと弾けた。


 次の瞬間、住宅街の真ん中に巨大な石の扉が現れた。


 炎の紋様が刻まれ、うっすら赤く輝いている。


「開けたら炎の塔中には、私の師匠であり千田界の火の守護者、ゾクヤケシャ様がいるわ」


「……なんでそんな重要施設を近所で召喚できるんですか」

「日傘、万能なの」

「万能て」


 折茂さんは涼しい顔で答える。


「ゾクヤケシャ様は少しエキセントリックだけど、火に関しては千田界一よ」

「エキセントリック……」


 嫌な予感しかしない。


「でも大丈夫。その前に、もう一人紹介したい人がいるの」

「もう一人?」

「ええ。炎の塔で修行してるあなたの先輩よ」


 折茂さんが扉を押し開く。

 眩しい光とともに、異世界の空気が肌を撫でた。


 だが中は、想像と全く違った。


 もっと地獄のような灼熱地帯を想像していたのに、そこはむしろ——温泉旅館のロビーのように穏やかだった。


 天井は高く、無数の火の玉が提灯のように浮かび、赤く、やさしい光を放っている。


「……あれ、なんか、いい匂いがする」


 鼻をくすぐるのはスパイスの香り。


 カレー?


「あら、周東さんがお弁当作ってるのね」


 折茂さんが嬉しそうに言う。


「周東さん?」

「ええ。三児の母で、異世界育児歴八年の大先輩よ」


 香りに誘われ、塔の中央へ進むと、赤い布を敷いたピクニックスペースが現れた。


 そこに座るのは一人の女性。


 年の頃は三十代前半。

 長い黒髪を後ろでまとめ、エプロン姿。

 小さなお弁当箱に、ていねいにご飯を詰めている。


 その背後では三人の子どもが火の精霊たちと追いかけっこをしていた。


 全員、背中に小さな炎をまとっている。


「ひっ、火がついてますよ!?危ない!」

「あら、大丈夫よ」


 女性が振り向いた。


「うちの子、もう耐火スキル持ってるから」

「子どもが耐火スキル!?」

「ええ。火の精霊たちもすっかり懐いちゃってね」


 女性周東香澄(しゅうとうかすみ)さんがにっこり笑う。


「長女のニシが三歳、次女のキタが生後九ヶ月の時に召喚されてから、もう八年になるわ」

「八年!?」

「召喚の理由は……キャラ弁の失敗だったかしら」

「……は?」

「次女の誕生日に作ったサンドイッチが、オオタ侯爵に似ちゃったのよ」

「オオタ侯爵って誰?似たって、それで召喚!?」

「侯爵、プライド高いのよ」


 香澄さんが苦笑する。


「怒って呪文詠唱しちゃって。気づいたらここにいたの」

「すごい理由だ……」

「でもね、ここの食材は本当に素晴らしいのよ」


 香澄さんは嬉しそうに赤い実を手に取った。


「これは火炎トマト。加熱すると逆に甘くなるの」


 スライスすると、断面がオレンジ色に光った。


「すごい……」

「それから、これは氷結レタス。火で炙るとシャキシャキ感が増すの」


「矛盾してませんか?」

「千田界では日常よ」


 折茂さんが涼しい顔で答える。

 香澄さんがくすっと笑った。


「調理魔法も使えるようになったし、火属性の魔物も子どもたちが世話してくれるの」


「すごいですね……」


「育児×ダンジョン攻略、我ながら新ジャンルね」

「強いですね……」


 思わず漏れた言葉に、香澄さんは首を横に振る。


「強くなんてないわ」

「でも……」


「ただ、子育てってどこにいても大変なの。異世界でも、毎日がバタバタよ」


 香澄さんの視線が、火の精霊の背中に乗ってはしゃぐ次女キタちゃんへ向けられた。


「でもね、焦げない朝ごはんが作れた日って、それだけで奇跡みたいに嬉しいの」


 その言葉に、僕の胸がじんと熱くなった。


 焦げない、たったそれだけのことが、こんなにも大事だったのか。


「よかったらお弁当、食べてみる?」


 香澄さんが差し出した弁当箱の中には、見事に焼き上がった鮭の切り身が入っていた。


 皮は香ばしく、中はふっくら。


 理想の焼き鮭だ。

「……食べます!!」



 口に入れた瞬間、思わず声が漏れた。


「美味しい……!」

「ふふ。秘密は火加減よ」


 香澄さんが微笑む。


「それと、愛情をたっぷり込めること」

「愛情……」

「料理ってね、技術だけじゃないの」


 香澄さんは、末っ子ミナミちゃんの頭を優しく撫でた。


「誰かのことを思いながら作ると、不思議と美味しくなるのよ」


 その笑顔を見た瞬間、僕はようやくわかった。


 自分がこの異世界に呼ばれた理由。

 焦げない鮭を焼くこと。


 でも、それだけじゃない。


 火を通して、人の心を知ること。


「……よし」


 僕は立ち上がった。


「俺、もっと焼けるようになります!」

「ええ、頑張って」


 香澄さんが笑う。


「修行は日常の中にあるのよ」


 香澄さんの言葉に、どこか千田さんの笑顔が重なって見えた。


 折茂さんと一緒に炎の塔を出ると、もう夕方だった。


「どうだった?」

「すごい人でした」


「でしょう?周東さんは、炎の塔で一番強いのよ」

「一番?」


「ええ。ゾクヤケシャ様より強いかもしれないわ」

「マジですか!?」

「母は強いのよ」


 折茂さんがにっこり笑う。


「さて、次はいよいよゾクヤケシャ様ね」

「ゾクヤケシャ様……」

「楽しみにしててね」


 折茂さんが日傘を回す。


「きっと、あなたの人生を変える出会いになるわ」


 家に帰ると、母さんが夕飯を作っていた。


「おかえり、瑠散」

「ただいま」

「今日は何してたの?」

「ちょっと、修行」

「修行?」


 母さんが首をかしげる。


「料理の」

「あら、偉いわね」


 母さんが笑った。

 その笑顔を見て、僕は決意した。


 もっと上手くなろう。

 もっと美味しい料理を作ろう。

 そして、母さんと妹を笑顔にしよう。



 明日から、新しい修行が始まる。

 そして、ゾクヤケシャ様に会う日も、きっと近い。


 僕は窓の外を見た。


 千田さんの家の屋根から、うっすら光が漏れている。

 あの光の向こうに、まだ見ぬ世界が待っている。


(よし、頑張ろう)


 僕は布団に潜り込んだ。

 千田界の夜は、今日も静かに更けていく。

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