14話 焼き鮭サンドで異世界召喚!?
「な、なんだこのサンドイッチはあああっ!?」
その叫びが、千田界の太陽を震わせた。
異世界・千田界きっての名門「オオタ侯爵邸」。
白亜の城の庭園では、普段なら噴水が優雅なメロディーを奏で、花々が風に揺れる。
だがこの日ばかりは、平和な午後が一転、地鳴りのような雄叫びでかき消されたのだ。
叫びの主はもちろん、千田界の英雄・オオタ侯爵その人である。
背は高く、肩幅は広く、歯はやたらと白い。
魔法野球団〈ドッチジャネーズ〉の看板スターで、打てばホームラン、投げれば三振、笑えば爽やか。
のはずなのだが、今日ばかりは眉間に皺を寄せ、テーブルの上の一枚の写真を凝視していた。
写真の中には、焼き鮭で作られたキャラ弁。
鮭の身で形作られた鼻、海苔で描かれた眉、そして焦げた皮のラインで再現された笑顔。
それは、まぎれもなく、オオタ侯爵の顔であった。
「この焦げ目……私の笑い皺の再現率、九十八パーセントではないか!?」
「さすがでございます、オオタ様。焼き鮭の発色も完璧かと」
「完璧すぎるわ! 侮辱か!? いや芸術か!?」
忠実な執事・タナカは、いつものように冷静だった。
だが、主の機嫌がどんどん危険な方向に傾いているのを察知して、そっと距離を取る。
「タナカ……私の顔を、弁当の具にするなど……」
「世の中には多種多様な趣味がございます」
「私は芸術には寛容だ。だが、これは違う。これは、挑戦状だ!」
侯爵の周囲に、バチバチと青い魔力の火花が散った。
怒りが高まると魔力が暴発する、それが千田界の貴族たちの共通の困った特性だった。
「オオタ様、落ち着いてください!」
「いいやタナカ、これは試合だ! 受けて立つ!」
侯爵は天を仰ぎ、詠唱を始める。
「召喚の契り、開かれし扉よ! 我が怒りの対象を、この手に引き寄せよおおおっ!!」
タナカの「ストップ!」も虚しく、空が裂けた。
庭園に魔法陣が展開し、閃光が走る。風が唸り、花々が吹き飛ぶ。
――そして。
その頃、現実世界・日本。
静かな住宅街の一軒家で、周東さんは洗濯物を干していた。
「よし、あとシーツだけ干せば完璧……あれ?」
空気が歪んだ。
白いシーツがふわりと光り、次の瞬間、視界が真っ白になった。
「ママぁああ!」
「まぶしいーっ!」
叫ぶ暇もなく、三人は家ごと異世界へと吸い込まれた。
光が収まると、そこは見知らぬ庭園。
目の前に立っていたのは、怒りに満ちた黒髪の男と、タキシード姿の執事、そして一匹の短足犬だった。
「あの、すみません……ここはどちらの……?」
「ここは私の庭だ! 貴君、我が顔を鮭で模しただろう!」
「は……?」
周東さんは、手に持っていたスマホを見下ろした。
画面には、朝撮ったばかりの
「次女ちゃんお誕生日!ママ特製・焼き鮭サンド★」の写真。
「ああ……その……キャラ弁が……原因?」
オオタ侯爵は拳を震わせた。
「まさか、私の美しい顔を弁当にされるとは!」
「す、すみません! 娘がオオタさんが好きで野球の人だって……!」
「ふむ、ファンか?」
その一言で、怒気がすっと引いた。
タナカがほっと息をつき、愛犬で名をオデコが「わん!」と吠えた。
「侯爵様、ファンであれば寛大に」
「……そうだな。だが、召喚魔法を一時の感情で使うとは……」
侯爵は自らの軽率さに頭を抱えた。
魔法野球のスターにして千田界の顔、彼にとって衝動召喚など最大の恥である。
そこへ、足音が聞こえた。
柔らかな風のような声が庭に届く。
「まあ、また何かやらかしたのね、オオタ様?」
現れたのは侯爵の妻、ミコ。
生まれたばかりの娘を腕に抱き、まるで光をまとったように穏やかだ。
千田界では「癒しの魔女」と呼ばれる、包容力の象徴である。
「ミコ、違うんだ! この方が私の顔を弁当に……」
「弁当に、ですの?」
ミコはスマホ画面を覗き込み、静かに吹き出した。
「ふふっ……とてもよく似ていますわ。特にこの眉の角度、完璧です」
「ミコ!? 笑うな!」
「だって、可愛らしいじゃありませんか」
周東さんは、恐縮しながら頭を下げた。
「本当にすみません! まさかこんなことに子どもたちまで一緒に来てしまって」
「まぁまぁ、怖い思いをしたでしょう。どうぞお入りなさいな」
ミコの声はまるで子守唄のようで、ニシちゃんとキタちゃんは安心したように母の服を離した。
「タナカ、お客様を客間へ。子ども用の部屋も準備を」
「かしこまりました、ミコ様」
タナカが頭を下げ、侯爵はそっとミコの横顔を見つめた。
怒りを鎮め、場を和ませる彼女の姿に、毎度ながら救われている。
城の中はまるで絵本の世界のようだった。
白い石壁に金の装飾、長い廊下にはふかふかの絨毯。
壁には魔法野球のトロフィーがずらりと並び、どれもオオタ侯爵の名前入りだ。
「へえ……すごいお屋敷ですね……」
「旦那様、見かけによらず努力家なんですよ」
とタナカが言った。
「たまに努力の方向を間違えるだけで」
「余計なひと言だ、タナカ!」
侯爵が軽く睨むが、ミコは笑顔で制した。
「オオタ様、あなたも少し落ち着きなさいな。お客様に怖がられてしまいますよ」
侯爵は肩をすくめた。
その姿は、世界を救う英雄というより、叱られた夫そのものだった。
やがて、大広間のテーブルに温かなスープとパンが並んだ。
香ばしい匂いが漂い、ニシちゃんとキタちゃんの顔がぱっと明るくなる。
「いただきます!」
「うまっ!」
その食べっぷりに、愛犬オデコが楽しそうにしっぽを振った。
侯爵も微笑み、椅子に腰を下ろした。
「……すまない、周東殿。私の軽率な魔法で、ご家族を巻き込んでしまった」
「いえ、うちの子たちも楽しそうですし何より、このスープ、おいしいです!」
ミコがにっこりと微笑む。
「きっと、これも何かのご縁ですわ。
焼き鮭サンドが繋いでくれた縁、ですもの」
オオタは少し照れくさそうに頷いた。
「……うむ。次は、あのキャラ弁を再現してみようか。プロの厨房で」
「えっ!?」
「私の顔の弁当が、世界一の芸術になる日も近いぞ!」
タナカは深いため息をついた。
「旦那様、また炎上いたしますよ」
「構わん! 千田界の焼き鮭魂、今ここに極まれり!」
その宣言に、オデコが「わん!」と鳴いた。
ミコはあきれながらも微笑み、周東さんは思わず吹き出した。
異世界に来てまだ一時間も経っていないのに、すでにこの屋敷が少し好きになっていた。
こうして、周東一家の奇妙でハッピーな千田界生活が幕を開けた。
それは、焼き鮭サンドひとつから始まった、まさかの異世界物語である。
実は家の中に周東旦那もいました。(昼寝していた)




