忘れられるということ
海が、叫んだ。
いや、違う。
それは、無数の物語たちの絶望の声だった。
「誰にも読まれなかった……」
「私たちは、意味がなかったのか……」
「誰も、私たちを、覚えていない……!」
亡霊たちは、黒く染まった本の形をしていた。
そして、その一冊一冊が──タクトたちに襲いかかってくる。
リアが剣を振るう。
「くっ、次から次へと──!」
アリアが、必死に魔法の結界を張る。
「浄化が追いつきません……!」
タクトも、ペンを走らせる。
「守りの物語は、光となる!」
リアの剣が、輝いた。
アリアの魔法が、広がった。
けれど──
亡霊たちは、無限に湧いてくる。
まるで、タクトたちの”意志”を試すかのように。
──そのときだった。
タクトの指先から、ペンが滑り落ちた。
「──っ!?」
リアが振り返る。
「タクト!?」
タクトは、目を見開いたまま、動けなかった。
なぜなら──
リアが、アリアが、
オルディアが──
少しずつ、タクトの記憶から、
消えていったからだ。
(なんで──?)
声が、頭の中で響いた。
『お前も、忘れられるのだ』
『すべての物語は、いずれ消える』
『存在したことすら、なかったことになる』
リアの笑顔が、ぼやけていく。
アリアの声が、霞んでいく。
タクトは、必死に叫んだ。
「ちがう──!」
だが、声も、届かない。
ペンも、手から落ち、
タクト自身も──ぼんやりと、薄くなっていった。
──怖かった。
このまま、自分が
「誰にも知られず、誰にも覚えられず」、
この世界から、消えてしまうことが。
(俺も、失われるのか……?)
そのとき。
一冊の本が、タクトの足元に転がった。
それは──
タクトが、この世界に来て最初に書いた、小さな物語。
「信じてくれた人がいる。
一緒に笑ってくれた人がいる。
だったら、俺は──!」
タクトは、震える手で、ペンを拾い上げた。
そして──
大きく、空に向かって書き放った。
「たとえ誰にも思い出されなくても、
俺は、俺を信じる!」
その瞬間。
タクトの体が、まばゆい光に包まれた。
リアの笑顔が、戻った。
アリアの歌声が、蘇った。
オルディアの声が、力強く響いた。
忘却の海が、ひときわ大きくうねる。
だが、もうタクトは、負けない。
リアが剣を振りかざし、叫んだ。
「タクト、行こう!」
アリアも、涙ぐみながら、手を伸ばす。
「あなたの物語は、ここにあります!」
タクトは、ペンを構えた。
(ああ──これが、俺たちの物語だ)
夜の海に、一筋の光が走る。
それは、失われた全ての物語たちへの、祈りだった。