第2章 失われた物語たちの海
第1話 夜の海に、物語が沈む
──静寂だった。
海だった。
けれど、それは「水」の海ではなかった。
波のように、無数の“本”が押し寄せる。
一冊一冊には、誰にも読まれることのなかった物語たちが刻まれている。
だが、そのどれもが──破れ、汚れ、文字が滲み、
声を失っていた。
リアは、ぎゅっとタクトの服を掴んだ。
「ここ……こわい……」
タクトも、息を呑んだ。
「……これが、“失われた物語たちの海”……」
オルディアが、重たい声で告げる。
「忘れ去られた物語は、行き場を失い、こうして沈んでいく。
かつて誰かが、必死に紡いだ想いも──やがて、誰にも思い出されることなく、消えるのだ」
アリアは、静かに本の破片を拾い上げた。
「読めない……」
それは、文字が溶け、ただの紙切れになっていた。
タクトの胸に、ひとつの痛みが走る。
(俺だって──誰にも読まれなかった物語、いっぱいあった)
そのときだった。
海の奥深くから、黒い何かが、ゆっくりと這い上がってきた。
「──お前たちが、“賢者”か」
声だった。
しかしそれは、
何百、何千という声が重なった、不気味な響きだった。
やがて、海面を割り、彼が現れた。
全身を濃い霧に包まれ、顔すら判別できない。
だが、感じる。
この男が、この海の主──
「忘却の王」だ。
王は、じっとタクトを見つめた。
「なぜ、抵抗する。
すべての物語は、いずれ忘れ去られるというのに」
タクトは、ゆっくりとペンを取り出した。
「それでも──俺は、物語を紡ぐ」
忘却の王は、微かに笑った。
「ならば、証明してみせろ」
そして──海が、牙を剥いた。
無数の「忘れられた物語たち」が、亡霊のように蠢き、タクトたちに襲いかかる。
リアが剣を構える。
アリアが、魔法陣を描く。
タクトは──覚悟を決めた。
(絶対に、負けない)
──そして、夜の海の大決戦が、幕を開けた。