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いたずら青年、世にはばかる  作者: 堀尾 朗
第1章「夢の透明マント」
4/22

—4—

 とりあえず、ペンを握る。

日付はあと回し。まずは氏名を記入する。今日はどうやら調子がいいらしい。

ふりがなも抜かりなく書いて、「男」に○をつけて――以上だ。

次回は現住所から電話番号、連絡先まで仕上げよう。

履歴書をレターボックスにしまい、一息ついて大きく背伸びをする。

仕事あっての休憩だ。

煙草の一本や二本、いや映画一本くらい観たってバチは当たるまい。

いかんせん、時間だけはあり余っているのだ。

……ところが。

優雅にニート生活を満喫しようと、煙草に火をつけたその瞬間。思い出してしまった。――用事がある。

時計に目をやると、もうそろそろ家を出なければ間に合わない時間だった。


あれは昨日のことだ。

真鍋とともに透明マントを駆使し、極上の体験を味わったあと、余韻を語り合いたくなって、北千住の居酒屋に立ち寄った。以前、矢後と入ったあの店だ。

すると、先日机に突っ伏して嘆いていたあの男が、またしてもそこにいた。軽く声をかけてみたら、妙に馬が合い、意気投合。話が盛り上がる中、あの日なにを嘆いていたのかを訊ねてみた。

彼の名は鈴宮すずみや。三十代後半で、十歳下の妻がいるらしい。

ところが、その妻が浮気をしているらしく、問い詰めることもできず悩んでいるという。

鈴宮は、「証拠さえ掴めば、とことんまで追い込んでやる。離婚して、多額の慰謝料をふんだくってやる」と息巻いていた。

それを聞いた俺は――酔った勢いというやつで、冗談のつもりでこう言った。

「実は僕たち、探偵業やってまして」

すると、気を良くしていた鈴宮は、それを真に受けて、浮気調査を依頼してきた。

本気にされたことに焦ったが、真鍋はなぜか、「任せてくれ」と自信満々に受けてしまった。

嘘ですと言い出せないのが、最近の若者の悪いところ――なんて偉そうにテレビで語っていた評論家の言葉が脳裏をよぎる。だが俺もその通り、引っ込みがつかなくなった。

……まぁ、こうなったら乗っかってみるのも面白いか。

着手金はもらわず、成功報酬だけという体にしておけば、失敗しても「ごめん」で済むだろう。俺は「最近の若者は素直に謝れない」には該当しないのだ。

そんなこんなで話は進み、今日の昼過ぎにもう一度落ち合って、詳しく打ち合わせをする約束まで取り付けてしまった。


灰皿に煙草を押し付け、となりで呑気にイビキをかいている真鍋を、容赦なく叩き起こした。


——————————————————————————————————


 俺と真鍋は、北千住の古びたカフェに向かった。

指定されたその店には、既に鈴宮が来ていた。軽く挨拶を交わすと、さっそく彼は妻・多恵子の写真と、勤務先が記された名刺を差し出してきた。

「妻の浮気の証拠となる写真を、撮ってきてほしい」

「これが奥さん……?」

俺は写真を見て絶句した。

カメラに向かってピースサインをする女性――それは嘘だと叫びたくなるほどの可愛らしさだった。十代後半にしか見えない。三十代後半だという鈴宮との年齢差を考えると、あまりに不釣り合いだ。隣で真鍋も口をあんぐりと開けている。

「いやいや鈴宮さん。こんな昔の写真出されても、判断できませんよ。最近のは?」

真鍋がやや疑いの目で訊ねると、鈴宮は軽く鼻で笑った。

「それ、つい一ヶ月前に撮ったやつだよ」

「「なにィ!?」」

 俺と真鍋は声を揃えて仰け反った。そして、嫌な想像が頭をよぎる。

「……まさか、誘拐じゃ……」

真鍋も真顔で頷いてきた。

「違う違う。確かに歳の差はあるけど、妻は二十代後半なんだって」

信じられない……。ここまで来ると、もう年齢詐称レベルだ。。

鈴宮はどこか照れたように続けた。

服装も派手でね。露出も多いし。職質されることもあるくらいでさ、参っちゃうよ」

そんな様子を見ながら、真鍋が俺に小声で耳打ちしてきた。

「……怪しくないか? アイドルの追っかけとか、ストーカーの類じゃね?」

「でも名刺は本物だろ。同じ苗字だし……。いや、まさか夫婦を装って嘘ついてるとか……?」

「耳打ち長くないかい?」

 ギクリと心臓が跳ねた。

「す、すみません。ちょっとした作戦会議を……」

 ヘラヘラ笑ってごまかすと、鈴宮は訝しげに目を細めたが、すぐに仕切り直した。

「ただ、一つだけ問題があってね」

「問題……?」

「妻は用心深い。男と一緒に堂々と出歩くとは思えないんだ。彼女はホテルマンでね。推測だけど、相手とはホテル内で密会してるんじゃないかと思う」

「……つまり、かなり内部まで潜入しないと、証拠は掴めないと?」

「そういうこと。実はね、探偵を雇うのはこれで三度目なんだ。二度とも成果はゼロだった」

透明マントを駆使する俺たちにとっては、まさにうってつけの案件だ。俺は真鍋に視線を送ったが、彼は腕を組み、真面目な顔で口を開いた。

「……一つ、どうしても引っかかる。どうして妻が浮気してるってわかるんだ?」

確かにそうだ。密会の場所も内容も、あくまで“推測”。それなのに、どうしてそこまで確信を持っているのか。

鈴宮は少しうつむき、どこか寂しげに口を開いた。

「……正直、勘だ。でもね、ここ最近の態度は明らかにおかしい。恥ずかしい話、ご無沙汰だし、金遣いも異常なんだよ。月に五十万も使い込んでる。でも服やアクセを買い漁ってるわけでもない。ホストやレストラン、ギャンブルもシロ。前に依頼した探偵の報告だと、どこにも使ってる形跡がないんだ……となると、考えられるのは……」

そこで言葉が止まり、俺たちは続きを待った。が、いつまで経っても口を開かない。

「……いや、なんですか?」

痺れを切らして促すと、鈴宮は曖昧に笑った。

「まぁ、なにもないなら、それはそれでいいんだ。とにかく調査してくれ。金は、失敗しても払うからさ」

 ――それを言っちゃ、おしまいですよ。

思わずツッコミそうになる。くれるってんなら当然もらうが、それはそれとして、働く意欲が薄れるだろうが。

だから、妻に五十万も使われるんだよ……! と心の中の悪魔がささやくが、口には出さず、ただ静かに頷いておいた。


——————————————————————————————————


 早速、俺と真鍋は台東区にあるマニーダホテルへ向かった。

多恵子はまだ勤務中のはずだが、まずはどんな人物なのか、この目で一度見ておこうということになったのだ。

マニーダホテルは、煌びやかな装飾が目を引く高級ホテルだった。外観からして派手だが、中に入ればさらに圧巻。フロントは白を基調とした大理石で統一されていて、全体に清潔感が漂っている。

家族連れでも気後れしないよう配慮されているのか、どこか親しみやすさもあり、上品ながらも敷居の高さは感じさせなかった。

とはいえ、ボサボサ頭にヨレた服の俺と真鍋の二人では、場違い感が否めない。普通なら、受付のスタッフに一発でマークされて終わりだろう。

だが――俺たちには秘密兵器がある。

そう。透明マントだ。

俺と真鍋は、さっとマントを羽織り、人目を気にすることなく堂々とエントランスを通過。ホテル内への潜入に、あっさりと成功した。


二手に分かれることになり、真鍋は上階のレストランやお土産コーナー、レジャー施設を中心に、一方の俺は、地下のバックヤードを探すことになった。。

とりあえず地下一階まで階段を使って降りる。

従業員専用のエリアとあって、照明はやや薄暗く、雰囲気もどこか倉庫めいている。

まずは休憩室を発見して中を覗くと、制服姿のスタッフたちが数人、談笑したりスマホをいじったりしていた。だが、多恵子の姿はなし。

その後も、給湯室、事務室、会議室と手当たり次第に探しまわったが、どこにも見当たらない。

――この階にはいないか。

そう判断し、階段に戻ろうとしたそのとき、目の前のエレベーターが開いた。

……そこにいたのは、紛れもなく多恵子だった。

――いた。

制服姿の彼女は、写真で見たときよりもずっと可愛らしく、どこか小動物めいた雰囲気すらある。

あまりの突然の遭遇に、つい本音がこぼれた。

「可愛いな……」

しまったと思ったときにはもう遅い。

多恵子が「えっ?」と小さく声を漏らし、キョロキョロと周囲を見回す。

 「いっ!」

突然、頬に何かが当たり、思わず声を上げてしまう。

多恵子は今度は完全に青ざめた表情で、そそくさと歩き出した。俺は頭をさすりつつ、そのあとをこっそりと追いかける。

多恵子は事務室へと入り、「なんか、声がしたんだけど……」と同僚に身を震わせながら告げる。

「なにそれ、怖……」

「うそ、やめてよ……」

と、軽いホラー話のようなノリで返され、少し気が紛れたのか、特に騒ぎ立てることなく自席に腰を下ろした。


それからは、退屈だった。

何か男を匂わせる発言や行動がないかと、多恵子の声が聞こえて、かつ通行の邪魔にならない場所を見つけて辛抱強く待ち続けたが――彼女は真面目に書類を作成するばかりで、怪しい素振りは一切なかった。

むしろ、これだけ接近している方がリスクだと判断し、俺は事務室を離れて廊下へと出た。

「お前、そんな堂々と扉を開け閉めすんなよ」

――真鍋の声だ。一応、廊下に人がいないことを確認してから、小声で呼びかける。

「洋太郎か?」

「いるよ。お互い見えないってのも不便だよな」

確かに。誰もいないはずの場所から声だけが聞こえるというのは、傍から見れば完全に怪談である。

「さっき、俺をビンタしたの、お前だろ」

「知らん。それより、どうせなら交代で張り込もうぜ」

その提案は、ありがたかった。

了承して地上に戻ると、俺はトイレに駆け込んで透明マントを脱ぎ、喫煙所へと向かった。

そこで、マントを脱いだ真鍋と鉢合わせになったときには――苦笑するしかなかった。

気を取り直して、ようやく計画的に三十分交代で張り込もうという話になり、先発は真鍋が担当することに決まった。

俺は時計を確認し、喫煙所でのんびり時間を潰してから、先ほどまでいた事務室前の廊下へと戻った。

「洋太郎、交代だ」

そう声をかけたが、返事はなかった。

お前は一度言われたことを学べ――そんなかつての上司の叱責が脳裏をよぎる。俺はその忠告に従って、今度こそ慎重に……とはいかず、性懲りもなく平然と扉を開けて中を覗いた。

だが、事務室に多恵子の姿はない。

仕方なく地上へ戻ろうとしたそのとき――

休憩室の扉が、音もなく勝手に開いた。

……なるほど。不気味だ。注意しなくてはいけないな。

俺は反省を込めて、廊下にそっと寝そべる。

案の定、真鍋は見事に引っかかった。

「うわっ! 何だこれ!」

蹴られた衝撃とともに、誰かが倒れる音が廊下に響いた。

「お前ふざけるなよ!」

情けない声をあげる真鍋に、俺は笑いを堪えきれなかった。

すると、そんな俺に向かって、真鍋が満足げに言った。

「もういい。情報は得た」


真鍋の話によれば――休憩中に多恵子が、男に電話をかけていたらしい。そして今夜十時頃、ホテルの空き室で密会する予定だという。

どうやら、毎回部屋は異なるが、今夜の部屋番号については既に判明しているらしい。

ここまでくれば、あとは簡単だ。

十時まで時間を潰し、指定された部屋の前で待ち伏せ。二人が揃って入室したところで俺たちも潜入し、現場を写真に収めれば――任務完了である。


——————————————————————————————————


 十時少し前、二人は現れた。

多恵子の浮気相手は、なかなかの色男だった。ハキハキとした口調に、日焼けした肌と筋肉質な体。短髪をワックスで整えたその姿は、いかにも体育会系のやり手という印象を受ける。冴えない風貌の鈴宮と比べれば、正直この二人のほうがお似合いに見えた。

二人はベッドで談笑しながらいちゃつき、やがてキスを交わす。

俺はスマホを構え、フラッシュ全開でカシャリと撮影。堂々と笑いを堪えながら扉を開け、余裕たっぷりに退室した。背後から男の「誰だ!」という怒鳴り声が響くが、姿の見えない俺にどうすることもできず、彼はそのまま部屋に引き返していった。

危険ゼロで任務完了。あとは鈴宮に証拠写真を渡して報酬をもらうだけ。なんて楽な仕事だろうか。

こんな素晴らしい発明をした真鍋には、感謝してもしきれない。そう思って「ありがとう」と言おうとしたが――ふと気づいた。

真鍋、どこ行った?

てっきり一緒に扉から出たと思い込んでいたが、よくよく考えれば、透明マントを着ている以上、そもそもどっちに行ったのかも分かるはずがない。

仕方なくマントを脱ぎ、スマホを取り出して真鍋に電話をかけると、すぐに出た。

――「なんだよ」

妙に焦った声だった。

「洋太郎、今どこだ?合流しようぜ」

「――は? なに言ってんだよ。今いいとこなんだから邪魔すんな!うおお~、すげえ~……初めて見た……!」

ブツッ。

一方的に通話を切られた。

……まさか。アイツ、まだあの部屋にいるのか?

しかも、クライアントの妻とその浮気相手の営みを、透明マントでこっそり観察してるって……。

信じ難い。というか、完全にアウトだ。

いや、真鍋にとっては“生の性行為”なんて初体験なのかもしれない。引きこもり生活を送っていた彼にとっては、刺激と興味の塊なのだろう。

……でも、だからって他人のを見てどうするんだ。

だが、透明マントの開発に青春を捧げたような男だ。きっと、そこに躊躇いなんて一切なかったのだろう。

馬鹿馬鹿しさが天元突破した待ち時間を過ごし、一時間後、ようやく真鍋と合流した。

「なあ、俺……トイレに引きこもりたいんだけど」

真顔でそう言った真鍋に、俺は軽蔑の視線を送るしかなかった。

こうして、最低で最悪で、最高にアホらしい一日は幕を閉じたのだった。

お読みいただきありがとうございます。

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