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いたずら青年、世にはばかる  作者: 堀尾 朗
最終章「復讐」(後編)
33/36

—1—

 正直に言うと、わたしはどう反応すればいいのかわからなかった。

二宮さんが語った恋話は、大胆な告白でもあった。慰めるべきなのか、羨ましがるべきなのか、それとも同情すべきなのか……答えを見つけられない。だから、とりあえず気になったことを訊ねてみた。

「もしかして、その夢野屋というのは、株式会社ドリームの旧社名ですか?」

「えぇ、そうよ。よくご存知ね」

驚いたように二宮さんは答えた。

やはり、あの会社はそういう会社だったのだ。父も、わたしも、ずっと騙されていたのだ。あの脆すぎるルビーのネックレスも偽物だったとすれば辻褄が合う。ジュエリーも、壺も、訳のわからない家電製品も……全部、偽物か欠陥品を売りつけられていた可能性がある。腸が煮えくり返る思いだった。

相当わたしの顔が強ばっていたらしく、二宮さんに「大丈夫?」と心配されてしまった。さっきまで女々しく泣いていたのに、今度は怒りを露わにしているのだから、きっと情緒不安定な女だと思われているに違いない。

もう一つ、気になることがあった。二宮さんの話の中に出てきた、中須という男。同じ苗字。どうしても単なる偶然とは思えなかった。話に出た中須はすでに亡くなっているし、生きていたとしても年齢的に違和感がある。だから同一人物だとは考えていない。けれど、息子か親戚である可能性は高い。もしそうなら、一家揃ってどれほどの人をこれまで苦しめてきたのか……。

その想像に、さらに顔が強ばった。今鏡を見れば、きっと般若のような形相になっていることだろう。

「いつか、またあの人に会いたいわ」

二宮さんが、ぽつりと呟いた。

――そうか。

わたしはようやく、彼女に掛けるべき言葉に思い至った。

深呼吸をひとつ挟み、気持ちを落ち着かせてから、一語一句を噛みしめるように伝えた。

「一度、清水くんとゆっくり話してみます」

「そう……」

二宮さんは、とても嬉しそうに微笑んだ。


―――――――――――――――――――――――――――


 【憎悪は嫌悪より、長続きするものだ】

あのアドルフ・ヒトラーの有名な言葉だ。

この言葉に従うなら、俺は佐伯雪音をただ“嫌っている”にすぎない。圧倒的な憎しみが足りていない――もっと徹底的に憎み、嫌悪を憎悪へと育てねばならない。

この期に及んでも、復讐に対する罪悪感が頭の片隅に残っている。だからこそ、もっともっと憎んで、このしこりを取り除く必要がある。

雪音が自分の不運を嘆き、涙をこぼし、絶望する……そんな胸のすくような――いや違う。興奮を煽るような……いや、下品だな。勃ってしまうような……それは論外だ。嘲笑をかっさらうような――そうだ、これだ!

――――嘲笑をかっさらうような光景が見たい。

そのためにも雪音への憎しみをさらに高める。まずは、彼女の悪い点を一つずつ掘り下げ、箇条書きにしていこう。


[・佐伯雪音は性格が悪い]

この一文を拾ってみると、思い当たる節はいくつもある。あの木っ端微塵に振られたあとのことだ。彼女の態度は露骨だった。矢後が合流してからは、まるで俺など存在しないかのように扱い、簡潔に言えば無視を始めたのだ。挙げ句の果てには、注文とは違う甘ったるいコーヒーを出したり、ラーメンに箸をつけなかったりと、あからさまな嫌がらせを平然とやってのけた。これだけでも、彼女の性根がいかに腐っているかがわかるだろう。

この経験を踏まえると、一つの仮説に辿り着く。彼女は学生時代、弱い者いじめをしていたのではないか――。本人は「いじめはあったけれど、基本的には傍観者だった」と言い訳がましく語っていたが、あれは真っ赤な嘘だ。むしろ積極的にいじめていた可能性だってある。都合のいいように記憶をねじ曲げたのか、あるいは意図的に改ざんしたのかはわからないが、後になって後ろめたさが芽生えた。その結果、ゆずるがいじられていることに過敏に反応し、過去の過ちを帳消しにしようとしたのだろう。浅はかな考えだ。

だが俺は、それを見抜いてみせた。佐伯雪音が性悪女であることを、この身をもって証明したのだ。彼女は隠しきれなかった。醜悪で低学歴の無職野郎――つまり社会的弱者を前にして、根本にある嗜虐的な性格を抑えきれなくなり、俺に嫌がらせを図ったのだ。なんという女だ!

目頭が熱くなる。自分がいかに価値の低い人間なのか、改めて痛感させられてしまった。いや、むしろ連絡先を交換してくれただけでも有難いことなのかもしれない。

しかも彼女は……怒ってもあまり怖くない。そこがまた可愛らしいというか、憎め――いや違う。そうじゃない。これでは方向性が逸れてしまう。


[・佐伯雪音には銀行マンの恋人がいる]

別にそれ自体が悪い点ではないが、憎むうえで重要な要素だから記しておく。

彼女自身が認めた話で、聞けばその男は高身長・高学歴・高収入のいわゆる“三高”だという。まずそれだけで鼻につく。

当時は「単に俺を遠ざけるための程度の低い嘘だろう」と軽く見ていたが、今では案外本当かもしれないと思うようになった。雪音と言えば、高飛車・高飛車・高飛車の三拍子だ。釣り合うのは確実にあの銀行マンであり、低能・低意欲・低反発枕を好む三低の俺など相手にされるはずがない。

ましてや、あの高飛車女のことだ。三高などでは満足しないだろう。つまりその銀行マンは、優秀で気配りもできる男に違いない。エリートでありながらそれを鼻にかけず、誰にでも優しく、誰とでも壁なく接する――完璧な人格を備えているに違いない。頭脳明晰、運動神経良し、絵も歌も得意、器用に何でもこなすとなれば、もはや田中角栄時代に制定されたという「エリート迫害法」に従って滅多刺しのうえ火あぶりにしても割に合わないくらいだ。

そんな“完璧”な奴などいないと現実逃避している諸君よ、残念ながらそういう奴は実在する。

不公平を嘆く前に、われわれはどうやって奴らを蹴落とすかを徹底的に考え抜くべきだ。ただし「努力する」などという非現実案は不採用だ。そもそも努力ができないから差が生まれているのだ。本質を見誤ってはいけない。あくまで、ぐうたらに楽をし、基本的には家から一歩も出ずに済む状況下で奴らを抹殺できる方法でなければ案として認めない。

……なるほど、インターネットはそのために普及したのだ。あれは人々の生活を豊かにするためではなく、社会に馴染めない無職に対する救済処置として開発されたのだ。

よし、すぐにでも実行に移そう。まずは雪音の彼氏に罵詈雑言――具体的には「バカ」「アホ」「死ね」を浴びせてやる。

……待てよ、雪音の恋人の名前は何だ?本人に聞けば怪しまれるだろう。匿名での卑劣なやり方でないと意味がない。ここは短絡的に「雪男」と仮名を付けておくか。

……なんて頓珍漢な書き込みだ。雪男って誰だ?これではただ雪山の化け物に罵声を浴びせているだけに見える。馬鹿らしい。


どす黒い感情、継続。

かの田中角栄は気づいていたようだが、この国に「エリート」という存在があること自体がそもそもの失敗なのだ。奴らは私利私欲に囚われ、格差社会を生み出した。文化というオブラートで包んだ自然破壊たる愚行をして、科学を発展させては効率と便利さを掲げ、世の中をどんどん複雑にしてきた。本来、人間という生き物は、寝て食べて子孫を残せればそれで幸せだったはずだ。その根っこの欲望を切り捨て、一時的な快楽で大衆を黙らせてきたのが奴らだ。

もう俺は奴らを信じない。スマホを川に放り投げるふりをしてみる。服を引き裂く素振りをしてみる。怖くてできなくても、その所作を思い返すだけで、奴らの与えた洗脳の深さを思い知る。それが、あいつらにやられた“罪”の証左だ。

なんて罪深いことをしてくれたのだろうか。神は人に平等を与えたとされるが、奴らこそが不平等を生んだ張本人だ。人類はもう後戻りできない地点まで来てしまったのも事実だ。だからこそ、奴らには償いが必要だと俺は思う。その償いの一案として、三大欲求を雑多な人々に返すべきだ。

好きなだけ高級車を乗り回せばいい。大きな屋敷に住めばいい。横柄な態度も大目に見る。ただし、その代わりに我々もその屋敷に寝泊まりして、エリートが馬車馬のように働いている間に昼からぐうたらして、夜は高級料理を囲んでふんぞり返る。男女は好きなだけイチャつけばいい。

おそらくエリート側は不満を言うだろう。だが自己顕示欲の強いやつらは、崇められればそれで満足する。褒めてへりくだってやれば、案外それで丸く収まるはずだ。

よし。いい感じで憎しみが湧いてきた。あと一押しだ。

雪音と銀行マン。きっと相思相愛で、誰もが羨むベストカップル。やがて結婚し、周囲は祝福の拍手を送る。写真を撮れば、式場のモデルみたいに絵になるはずだ。俺はその傍らで残飯を齧りながら、嫉妬の炎を燃やしている。

ふと、ウエディングドレスに身を包み微笑む雪音の姿が脳裏を掠めた。それは、この世のなによりも可憐で美しかった。チクショー、惜しいところで取り逃がした! 怒りに任せて紙面に走り書きする。


[・佐伯雪音は、銀行マンの恋人がいるという妄想をしているイタイ奴]

うん、これなら誰も傷つかない。


[・佐伯雪音は付き合いが悪い。もしくは多方面に愛想を振り撒き、あちこちに顔を出す半端な奴]

何度誘いをかわされたことか。逆恨みだと棚に上げても、腹は収まらない。

出会った当初から不満はあった。「翌日仕事だから」と言って断られるのは、俺からすれば誠意の欠落だ。相手が本当に面倒な性格ならともかく、仲の良い相手にそれは通用しない。彼女は俺がどれだけそれを楽しみにしているか、想像すらしていないのだろう。冷酷非道だ。

だが、その煩わしさこそが燃料でもある。簡単には落とせない高嶺の花であり続ける姿勢が、妙に火を点けるというか…いや、違うな。

要するに、拗ねているだけで悪口になっていない。よし、多方面に愛想を振り撒く、その方向で攻めよう。

大体こういう奴は、忙しそうに見えて華やかに振る舞うが、その実、誰とも心を通わせていない。要するに信用に値しないのだ。情報通を気取ったゴシップ好きで、やたら気前よく噂を教えてくれるが、一度こちらが失態を犯せば平気で触れ回る。「秘密だよ」や「絶対に言うなよ」が、奴らの耳に届くことはない。友情を平然と踏みにじり、翌日には社内中、校内中に噂が広がっている。

さらに、たまにしか顔を出さないから、何度も同じ話を繰り返す。もうとっくに飽きられた過去のノリを持ち出しては、完全に周囲が白けているのに空気を読めずに続行しようとする。挙げ句の果てに「ノリ悪いなぁ、冷めるわ〜」と捨て台詞。大体こういう手合いは、一年もすれば皆に煙たがられ、仲間外れにされ、あれだけいた友達に見限られて最終的に孤立する。

それでも一人になりたくない憐れな奴らは、格下のグループに取り入ろうとする。だが、元々華やかなグループにいたことが災いし、上から目線な態度を取りがちになる。その結果、格下グループからも見限られ、完全な孤立を迎えるのだ。

……まぁ、雪音に限ってそんなことをするはずがない。よって今の理論は見事に破綻した。なんて無意味な時間だろう。


[・父親が度を越えた天然]

…これは流石に良心が痛むからやめておこう。雪音が可哀想だ。


[・父親が恩人]

…つい普通に褒めてしまった。雪音は喜ぶだろうな。その顔がまた美しい。

駄目だ。全然うまくいかない。どうしよう……全く彼女には手を焼く。いくら悪い点を挙げようが、その可愛らしさと美しさで全て帳消しになってしまう。対処のしようがない。異性としてそれは絶対に無理だ。

男としてのプライドが滅茶苦茶に削られる。毛深くて頭は薄いという屈辱的な現実を背負った俺には、到底かなわない。分が悪すぎる。

結論が出た。中須に土下座でも何でもして、許しを乞うことにしよう。佐伯雪音が嫌がることなど、やっぱりやりたくないのだ。


そう決めた瞬間、これから殴られ蹴られ滅多打ちにされる可能性があるというのに、心はこれまでにないほど幸福感で満ちていた。


お読みいただきありがとうございます。

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