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潜伏先に選んだのは、東京の西の外れにある小さな農村だった。
三六〇度、山々に囲まれ、田園の中に点々と家々が建つだけの、のどかな土地。人影はほとんどなく、買い物や病院へ行くにも車で一時間はかかる。まさに辺境と呼ぶにふさわしい地である。
どうしてそんな場所を選んだのかといえば――絶対の信頼を寄せている知人が、空き家を無償で貸してくれたからだった。そこは二十年以上放置されていた一戸建ての古家で、かつて戦時中にその知人が一時的に暮らしていた場所だという。水道・電気・ガスも名義を借りることで問題なく使えるようになり、わたしと天宮さんはそこでひっそりと暮らし始めた。
天宮さんは、殺人の容疑で指名手配されていた。
あのラブホテルに逃げ込んだ翌朝のニュースで、中須が搬送先の病院で死亡したことを知ったのだ。報道では、中須は「会社員」として扱われていた。だが今となっては、本当にただの会社員だったのか疑わしい。
しかし、少なくとも世間から見れば、天宮さんは「善良な会社員を刺殺した殺人者」とされてしまった。
彼は最初、自首するつもりでいた。でもわたしがそれを止めた。だって彼は悪くない――わたしを助けようとしただけなのだ。頭では「それでも問題だ」と理解していたが、どうしても納得できなかった。そんな結末は、あまりにも理不尽に思えたからだ。
それに、何より天宮さんと離れ離れになるのが怖かった。
正直、わたしの単なるわがままだった。だって久やあの金髪の男たちが血眼になってわたしたちを追っているのは間違いない。根拠があるわけではないが、わたしたちが知ってしまった秘密を簡単に警察に差し出すとは考えにくいからだ。
わたし達が逮捕されることは向こうにとっても都合が悪いはずで、警察より先にわたしたちの居所を突き止め、始末しようと考える方が自然だ。
そう考えると、わたしは一人になるのが怖くなった。耐えられそうにない。誰かに、いや天宮さんに甘えたかったのだ。結局、彼の逃亡はわたしのわがままから始まったのだ。
潔く自首した方が、当然罪は軽くなる。うまくいけば正当防衛として無罪になる可能性だってある。そうなれば、久たちの犯した罪も公になり、一網打尽に逮捕されるかもしれない。それが一番理想的な結末だ。
でも、もしうまくいかなかったら?
そもそも天宮さんは「殺人」の容疑で逮捕されるわけだ。そんな人の話を、警察がまともに取り合ってくれるだろうか。しかも今、警視庁は同時多発テロの発生で大忙しだ。天宮さんがどれだけ必死に訴えたところで、ないがしろにされる可能性は十分にある。
そうなったとき、わたしはどうすればいいのか。
天宮さんは拘置所、わたしは一人きり。そんな状況で久たちに捕らわれでもしたら……想像を絶する仕返しを一身に浴びることは目に見えている。殺された方がまだマシなくらいに。
とにかく、わたしはそんなことばかり並べ立てて、彼の罪を重くしている。本当に最低で、下僕のような身勝手な判断だと思う。わたしはどうしようもない卑怯者なのだと自覚していた。
それでも、わたしは彼に甘えてしまった。
移り住んだはいいものの、これからどうすればいいのか、どんなふうに生活していけばいいのか――あまりに無計画だったわたしたちは途方に暮れていた。
そんな折、村で唯一のお祭りで知り合った斎藤さんという六十代ほどのご老人に、「農業をやってみないか」と声を掛けられた。過疎化の一途をたどる村では、新参者の若者、それも男女二人組はいやでも目立つ。だからこそ、斎藤さんの方から話しかけてきたのだ。
斎藤さんは足腰を悪くしており、一人で農業を続けるのが難しくなっていたらしい。そこに職を探している若者がいれば、ためらう理由はなかったのだろう。わたしたちにとっても願ってもない話だった。なにより天宮さんは指名手配されている身、正規の会社勤めなどできるはずもない。そう考えると、余計な詮索もせずに雇ってくれる斎藤さんの申し出は、本当にありがたいものだった。将来的に、二人で農業を営んでいくのもいいな――そんな希望的観測さえ芽生えていた。
それからは、日中、天宮さんは斎藤さんの田畑の手伝いに出掛けるようになった。本当はわたしも農業を習いたかったのだが、人手が余ってしまうこと、そして斎藤さんに二人分の給料を支払う余裕がなかったことから、仕方なく隣町のスーパーでアルバイトを始めることにした。
彼はまるで人が変わったかのように、真面目に働くようになった。農作業は肉体的にかなりきついはずなのに、愚痴ひとつこぼさない。むしろ、わたしの方がアルバイト先で溜め込んだ鬱憤を一方的にぶつけてしまうことが多かった。
彼はよく笑った。以前のような豪快な笑いではなかったけれど、常に和やかな空気をまとっていて、ときには控えめに声を上げて笑うこともあった。
ただ、あれほどおしゃべり好きだったのに、冗談を言うことはなくなった。最近では聞き役に回ることの方が多く、そして嘘をまったくつかなくなった。それは本来なら良いことなのに、どこか寂しくもあった。
そう、セクハラ発言も全くなくなったのだ。
あれほど鬱陶しいと思っていたはずなのに、全くなくなるとそれはそれで、彼がわたしを異性として意識していないように感じられて、正直いえば悲しかった。だって、同じ屋根の下で一緒に暮らしているのに……。
あの日の真相を訊ねたこともあった。例の高級レストランに久が突然現れた件だ。彼は多くを語らなかったが、いくつかはっきりしたことがある。天宮さんはその晩、中須とあの金髪の男に暴行を受けており、デートどころではなかったこと。そして、メモ代わりにも使っていたスケジュール帳を奪われてしまっていたこと。ちなみにあのレストラン自体、久本人から以前紹介された店だったという。
わたしは、彼の潔白の主張を素直に受け入れることにした。
夢野屋の不正についても訊ねたことがある。けれどこの話題になると、彼は決まって苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。それでも、いくつかだけは聞き出せたことがあった。
夢野屋が不正営業に手を染めたのは、久が社長に就任した直後――七年前のことだという。久と、そのとき入社した中須ら十数人が中心となり、積極的に行っていたらしい。夢野屋の大幅な売上上昇の要因は、実はその不正営業にあったのだ。
七年も前から……。わたしは一抹の不安を覚えて、重い口を開いた。
「もしかして、あのローナイも……」
天宮さんは視線を逸らし、小さく頷いた。
ああ、やっぱり。なんとなく予感はしていたけれど、改めて突きつけられると動揺を隠せなかった。つまりわたしは、知らず知らずのうちに犯罪に荷担していたということになる。
「田所様はそのこと……」
彼は大きく頷いた。その仕草に、ほんの少し救われた気がした。落ち着いたら、誠心誠意謝罪をして、お詫びの品を贈ろう――そう心に誓った。潜伏の身である今は所持金も少ないが、実家に戻れさえすれば貯金だってあるのだ。
わかったのはこれくらいで、具体的にどんな不正営業をしていたのかについては、彼は終始「知らない方がいい」の一点張りで、決して口を割らなかった。
それでも、わたしと天宮さんにとって一つだけ幸福だったのは、あの事件が新聞やテレビで大きく取り上げられることが少なかったことだ。当時、連日報道を独占していたのは同時多発テロであり、小さな事件のほとんどは影を潜めていた。だからこそ、村の人たちはわたしたちを疑うことなく受け入れてくれた。むしろ若者というだけで優遇されていたくらいだ。
村の人たちは、とにかく優しかった。お金のなかったわたしたちに夕飯の残りを分けてくれたり、ときにはお米や野菜までいただけることも多かった。やがて村特有の助け合いの精神に、天宮さんの人懐っこい性格が加わって、頂き物は異常と呼べるほどに増えていった。食べ物に困るどころか、余らせてしまうほどだった。
子どもたちに絵本を読み聞かせることもあった。すぐに懐いてくれた子どもたちのおかげで、道端の井戸端会議にも顔を出せるようになった。天宮さんは農業にすっかりのめり込み、家に帰ってからも熱心に勉強していた。その頃の彼の口癖は、「いつか自分たちの田畑を持って、二人で栽培しよう」であり、わたしはいつだって元気に応えていた。
年に一度の祭りでは、半ば強制的に神輿を担ぎ、カラオケ大会にも参加した。演歌が飛び交う中、若者らしい歌を望まれて、天宮さんはTHE BLUE HEARTSを、わたしはZARDを歌った。
そんな平凡で、けれど幸せな生活が一年以上続いた。
だが――その幸せは唐突に終わりを告げた。
ある日、彼はわたしの前から姿を消したのだ。
「俺、また嘘つきに戻るよ。じゃあまた」
それが、わたしに残した最後の言葉だった。
それまで柔らかな口調しか見せなかった彼が、その日だけは冷たく、怒気を帯びた声を吐いた。なにに対して怒っていたのか、わたしにはまったく覚えがない。追いかけようとしたが、それは叶わなかった。いつの間にか手足を縛られていて、成す術もなく、ただ翌朝まで泣き続けるしかなかったのだ。
それ以来、彼とは一度も会っていない。
そして、彼が去ってから数日後のことだった。
夢野屋時代の同僚が、忽然とわたしの前に現れ、こう告げた。
「田所様が、夢野屋を詐欺被害で訴えたらしい」と……。
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