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いたずら青年、世にはばかる  作者: 堀尾 朗
最終章「復讐」(過去編:雨宮と二宮)
27/36

—1—

 「晴ちゃん。社長が今日、上野のいつもの居酒屋で新年会をやるって言い出したんだけど、晴ちゃんも来るかい?」

仕入れのダンボールを倉庫に運び込み、中身の商品を仕分けていた時のことだった。先輩の天宮賢三さんが、いつものニヤついた顔で声を掛けてきた。

「また嘘をつかないでください。社長は今日、大阪に出張のはずですよ。朝礼で言ってましたよね。二、三日向こうに連泊だって」

淡々と彼の嘘を暴くと、天宮さんは肩を竦めて笑う。

「そうなんだ。それは知らなかったな」

――毎度のことだ。

「詰めが甘いんですよ」

溜め息まじりに言い放つ。魂胆は見え透いている。

きっとその居酒屋に行ってみれば「中止になった」だのなんだのと言い出して、結局は二人きりで飲む羽目になるのだろう。

正攻法で誘っても、私が断るのを知っているからだ。だからこうして、時折幼稚な嘘を吐いては、どうにかして二人きりになろうとするのである。


 夢野屋――ジュエリー製造および販売を行う会社。総従業員は三十名ほど。台東区内の町工場を拠点とし、近隣に販売店を構えている。

「質にこだわり、妥協を許さぬこと」――それが創業者であり社長でもある夢野友蔵の信条であり、そのまま社風に根付いていた。

東京都台東区、御徒町にある夢野屋ジュエリーショップ店。それが、わたしの職場だ。主な業務は接客だが、最近では三つ年上の先輩・天宮さんが外回り営業に異動となり、代わりに売上管理や在庫管理を任されることになった。必然的に、天宮さんから直接教わることも多くなっていた。

「おい、無駄話している暇があるのか?」

いつからそこにいたのか。倉庫の内扉脇に男の姿が立っていた。

「「おはようございます、専務」」

天宮さんとわたしは慌てて声を揃える。しかし、いつものように返事はない。専務は傍らに置かれたネックレスケースを手に取り、パカリと開けると――

「こんなガラクタごときに……」

丸い目を細め、ふっくらとした頬を震わせ、たらこ唇を歪めた。

その平安貴族めいた風貌の男は、社長の実の息子にして次期社長と目される夢野久であった。彼が憎々しげな態度を取るのは、経営方針の違いによるものだろう。多岐に渡る商品の販売によって事業拡大を狙う久と、ジュエリー一筋を貫く友蔵社長。二人はそのことで幾度となく衝突していると聞く。

「……そういえば二宮」

ねっとりとした視線がこちらに注がれ、思わず身構える。

「田所様ご依頼のK18-729は入荷済みか?」

「えっ……」

困惑のあまり声が詰まった瞬間、専務は途端に声を荒げた。

「まさか、まだなのか! なんで君はそんなこともまともにやれないんだ!」

「ですが、わたし、そんな話……」

「言い訳はするな! イライラする!」

こめかみを押さえ、低い声で唸る専務に対して、私は心の中で叫んでいた。

――そんな話、聞いてません!

だが、専務に聞く耳などあるはずもない。

噂では、京都の祇園で舞妓のいるお茶屋に、友人の勧めを真に受けて野球用ユニフォームで行ってしまい、赤っ恥をかいたことがあるらしい。その際に引きちぎったのだとか。……それが本当かは知らないが、目の前の姿と妙に符合している気がした。

成す術もなく、私は下唇を噛み締め、この理不尽な説教に耐えるしかなかった。すると――専務の口角がわずかに上がった……気がした。

背筋が凍る。もしかして確信犯なのか?

指示したつもりでいたのではなく、最初から私を困らせるために、でっち上げを言い立てているのではないか?そんな疑念が頭をよぎる。

そういえば、先日も初耳の資料提出期限を過ぎていると怒鳴られ、平謝りさせられたばかりではなかったか。つまりこれは――嫌がらせだ。

思い当たる節はある。以前、同僚から「専務は君に好意を寄せてるらしいぞ」とからかわれたことがあった。冗談半分で「そんなの絶対無理」と返したのだが、その翌日から、専務の態度は一変した。

それまでは柔らかな口調と物腰だったのが、急に風当たりが強くなり、なにかと突っ掛かってきては、過剰に怒鳴り散らすようになったのだ。

……今思えば、あの同僚は専務の回し者だったのかもしれない。

「大体君はな! 先日も――」

「まぁまぁまぁ」

嫌がらせに鼻息荒く息巻く専務の言葉を、天宮さんが強引に遮った。ギロリと鋭い視線が天宮さんに突き刺さる。歯軋りを立て、露骨に不快を示す専務に対し、天宮さんは飄々とした口調で言い募る。

「そう目くじら立てんでもよろしいじゃないですか。田所様なら、ちょっとやそっとの入荷遅れで怒りはしませんよ。考え過ぎですって。それに……」

胸の奥が熱くなるのを感じた。

確かに彼は虚言癖の持ち主だ。

――帰国子女だと豪語するが、両親は畳屋(生粋の江戸っ子ではないか!)。

――連休中は軽井沢の別荘でバカンスしていたと言うが、実際は近所のパチンコ店で何度も目撃した(矛盾だらけ!)。

――「ハワイに連れてってやる」と言って連れて行かれたのは湘南(下らなすぎる!)。

――「浜崎あゆむのコンサートチケットが二枚余ってる」と誘われ、辿り着いたのはラブホテル(意味不明!)。

知り合ったばかりの頃は幾度となく騙され、苦汁を飲まされた。

それなのに――今、わたしの目には彼が紳士的に格好良く映っている。

「好意の異性と接するときに眉間を寄せちゃいけませんぜ。まぁ、お互い穴兄弟になれるよう尽力しましょうや」

……前言撤回である。

やはり双方、低俗な男でしかない。これは性的嫌がらせに当たらないのだろうか? いつの日か、そう叫べる時代がこの国に訪れるのだろうか。

天宮さんの下品な発言に、専務は分かりやすく動揺を示し、頬を赤く染める。先ほどの激昂は急降下し、苦し紛れの捨て台詞を吐き捨てて、逃げるように立ち去った。

それを見届けた天宮さんは、冗談めかしてこちらに微笑みかけてくる。だが、わたしは外方を向いてやり過ごした。


―――――――――――――――――――――――――――――――


 それから数週間後のこと。

その日、わたしは給与を受け取るため、事務所兼務の工場を訪れていた。いつもなら社長の夢野友蔵が店に顔を出し、給与を直接手渡してくれるのだが――今回は書類作成を手伝ってほしいとのことで、こちらから出向くことになったのだ。

事務所の最奥にある社長席には、すでに先客がいた。

ピシッとしたスーツに、両サイドを刈り上げ整髪料で盛られた髪。上背の体格。――天宮さんだった。彼はデスクの前に立ち、社長と談笑を交わしていた。その背中がこちらを振り返る。

「あらっ、なにか良い香りがすると思ったら、晴ちゃんじゃないか」

天宮さんの軽い 性的な嫌がらせ は、軽く会釈して受け流した。

そして、右手にペン、左手に煙草を弄んでいる社長へ声を掛けた。

「社長、おはようございます。書類作成のお手伝いに参りました」

「おぉ、来たかね。よろしく頼むよ」

夢野友蔵――五十代半ばにしては皺が少なく、髪も黒々としている。ただ、過去の日焼けのせいか、顔の至る所にシミが目立つ。

両手には金ぴかに光る指輪。首にはローマ神話をモチーフにしたネックレス。耳には、男性には珍しいリングピアス。加えて鋭い目つきと威嚇するようなオールバックの髪型。街中ですれ違えば避けて通りたくなるほど、近寄りがたい風貌だ。

しかし、口を開けば穏やかな口調に砕けた言い回し。案外接しやすい人物でもある。

――小太りで気弱そうなくせに偉そうな態度、冗談ひとつまともに返せない息子・久(専務)とは、まるで正反対の父親であった。

「いや~晴ちゃんに会えるとは、今日はラッキーだな。ラッキーアイテムの勝負パンツが効果を発揮したのかな」

そんなラッキーアイテムあるか!どこまで彼にはデリカシーというものがないのだ。社長の手前、上品に笑って流そうとしたが、きっと顔は引き攣っていたのだろう。

わたしの表情を読み取ったのか、社長が天宮さんに困り顔を向けて、聞き慣れない単語を口にした。

「おいおい、君の発言はセクシャルハラスメントに該当するぞ」

「せくしー……メン、なんですって?」

「セクシャルハラスメント。まあ、性的嫌がらせってことだ。アメリカじゃあ、結構問題視されているらしい」

「性的嫌がらせ?なにをご冗談を。手すら触れていないじゃないですか」

「発言だけでも、相手を不快にした場合は、それも一種の性的嫌がらせになるんだそうだ。最悪、裁判になることもあるらしいぞ」

「そんな馬鹿な!それじゃあ日本中で裁判をやらなきゃいけないじゃないですか! 裁判所は休みなく馬車馬のごとく働かされ、やがて過労死……死人が出ますよ!その場合、女性側はどう責任を取ってくれるんですか!」

どういう論理だそれは!馬鹿馬鹿しくて、わたしは思わず小さく笑ってしまった。

「別に気にしてないですよ」

寛大なる心持ちでそう言ってやると、天宮さんは安堵の表情を浮かべた。少しは気にしたらしい。これに懲りて改めてくれれば有難いのだが……。

まあ、どちらにせよ裁判を起こすのもかったるいし、そもそもわたしには第一人者になる勇気などない。結局のところ、わたしは弱い女なのだ。

「ご両親は元気かね?」

話題が変わったことにホッとする。気持ちを切り替え、両親が意気軒昂であることを溌剌と答えると、社長は満足そうに頷いた。

わたしの両親と夢野夫妻は古くからの友人である。特に父と夢野友蔵さんは、戦後間もなく就職した工場で出会って以来、気心の知れた親友だった。

ふたりが起業するきっかけとなったのは、居酒屋で知り合った米兵が腕にしていたブレスレットだったという。当時、ジュエリーは庶民には縁遠いもので、ふたりも目にする機会はなかった。だからこそ、初めて見たその“イカした”ブレスレットに強く魅了されたのだ。

戦時中は輸入も製作も禁じられていたジュエリーだが、戦後の欧米化で飛躍的に進歩を遂げ始めていた。ジュエリー製作会社に再就職したふたりは切磋琢磨し、やがてそれぞれの道で起業に至る。

ただし、職人気質で製作に誇りを持つ夢野と、知識を深め広めたいと考える父とでは、志が異なっていた。そうして別々の道を歩んだが、夢野屋が商店を出したことで再び道が交わる。――近々、両社の合併話が持ち上がっているのだ。

いずれは店を継ぐようにと両親に言われているわたしは、“勉強”という名目で夢野屋に送り込まれたのだ。

「じゃあ、僕はそろそろ外回りに行きましょうかね」

席を立とうとした天宮さんに、社長が声を掛けた。

「ああ、そうだ。晴子ちゃんも連れて行ってやれないか?」

わたしと天宮さんの驚きの声が重なる。

「え~、でも今日は田所様のところに回る予定なんですよ。話の邪魔になります」

はっきり否定され、思わず腹が立つ。しかし社長は、天宮さんの不満を軽くいなし、こう切り返した。

「いやいや。ジュエリーショップ店として確実な実績のある、二宮ジュエリーの次期経営者・二宮晴子さんにご教示いただくのだよ。これも勉強だ」

「……俺が教わる方!」

こうして、経験皆無のわたしが、天宮さんの外回りを“指導”するという妙な成り行きとなった。

ちなみに、わたしが本来呼び出された理由である資料作成は――おそらく欺瞞である。

お読みいただきありがとうございます。

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