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いたずら青年、世にはばかる  作者: 堀尾 朗
最終章「復讐」(前編)
24/36

—5—

 二礼二拍手一礼。公園のベンチを占拠する男──“煤だらけ”を拝む。

刻は昼過ぎ。ブランコが軋む音と、砂場で歓声を上げる幼児たち。ベビーカーを押す母親の笑い声が響く、穏やかな昼下がりの公園。

だが、その空間に横たわる煤だらけは、明らかに異質だった。場違いな異物を見るように、冷たい視線が幾つも突き刺さる。

「今日はどうしたんだ?」

彼は体を横たえたまま、口だけを動かして訊いてきた。

昨日、雪音が俺のアパートの老婆から聞き出した話。年齢の合わない“息子”と、定期的に渡される金。どう考えても詐欺の匂いがした。

その相手が中須である確証はない。だが他に手掛かりもない以上、ここに縋るしかない。

透明マントと指輪を取り返し、雪音を救い、慰謝料請求への突破口とするために。

今の俺には、この細い一本の線しか残されていなかった。

一通りの説明を終えると、煤だらけはゆっくりと顎をしゃくって、隣のベンチを示した。まるで王が家臣に席を与えるかのような所作だ。俺と真鍋はそのまま腰を下ろす。

真鍋はというと、すっかり信者の顔であった。かつて聞かされた“豪遊の夜”や“女遊びの武勇伝”を未だに神話のように崇めているらしく、胸を高鳴らせて目を輝かせている。まるでアイドルに再会したファンだ。

「もう一度、あの日のお話を…」

案の定、熱のこもった声が漏れたが、俺は手で制した。

「今はそれどころじゃない」

そう小声で告げる。ちょうどその時、老婆の姿が公園に現れたのだ。

いまやるべきは煤だらけの昔話に耳を傾けることではない。――老婆と、その待ち合わせ相手を見極めること。それが唯一の使命だった。

老婆は杖を突いてゆっくりと歩いていた。普段は持ち歩かないそれも、今日は遠出だからだろう。背中は丸まり、歩幅は小さいが、その瞳は幼児たちを見守る時だけ柔らかくほどけていた。駆け回る子どもたちに穏やかな眼差しを送る姿は、遠目には心温まる光景に見えた。

やがて老婆は足を止め、辺りを見渡す。息子と名乗る人物を探しているのだろう。――待ち人はすぐ近くにいた。

その瞬間、老婆の足取りが急に軽くなった。杖を支えにしながらも、まるで若返ったかのように前へ進もうとする。視線の先に立っていたのは、背筋を異様なほどに伸ばした細身の男。公園入口の境界線に突っ立ったまま、老婆を認めても一歩も動こうとしない。

「……田丸」

思わず息を呑んだ。先日、株式会社ドリームの本社で早乙女と談笑していた、あの胡散臭い男だ。

「ちっ、あの野郎!」

隣の真鍋が今にも飛び出そうと腰を浮かせる。だが俺は手で制した。まだ時期尚早だ。

「落ち着け、今は動くな」

耳打ちで作戦を告げると、真鍋はニタリと笑い、すぐさま動きに移った。

俺はベンチから立ち上がり、なに食わぬ顔で老婆と田丸の距離を詰め、木陰に身を隠した。

田丸は馴れ馴れしい声色で「お母さん、体の調子はどうだい?」などと気遣いを口にしている。だが、口元の笑みとは裏腹に、その目は冷たく濁り、微塵も温かさを宿してはいなかった。

「心配いらないよ。それより大丈夫なのかい?だいぶ痩せているようだけど、ご飯はちゃんと食べてるのかい」

本当の親子なら胸を打つやり取りなのかもしれない。だがこれは――詐欺だ。目の前で行われているのは欺きであり、心を鬼にせねばならない。

しばらく弛んだ会話が続き、やがて老婆が懐から封筒を取り出した。その瞬間を狙って声を張った。

「おいお前!お年寄りを騙すのはやめろ!」

老婆はのんびりとこちらを振り向き、「あら、清水さん」と呑気な声を上げる。

一方で田丸は「なんですか、あなたは」と白を切ろうとしたが、嘘が下手なのか顔がひきつっている。俺は有無を言わせず彼の手首を掴んだ。途端、田丸は反射的に抵抗を見せた。

「悪名高きインチキ企業ドリーム」

素性を暴露した途端、田丸の顔はさらにひきつった。

不穏な空気を察した老婆が、痩せた体を前に差し出して田丸を庇う。

「なにを言っているの。離しなさい!」

「こいつは詐欺師なんです。息子さんでもなんでもない!」

必死に説得を試みるが、老婆は聞く耳を持たない。皺だらけの手で俺の腕を引き剥がそうとする。その姿は幼き子供を守ろうとする母そのものだった。だが――それが偽りの“息子”であることが、なんともやりきれない。

平日の公園。幼児と母親たちが穏やかに遊んでいた空気は一変し、異様な騒ぎにざわめきが広がる。母親たちは子どもの肩を抱き寄せ、遠巻きにこちらを見ながら距離をとっていく。その視線は冷たく、まるで「危険人物」とでも言いたげだった。

「言い掛かりも大概にしろ!」

田丸が渾身の力で腕を振り払う。その反動で老婆の身体がよろめく。咄嗟に抱きとめたが、その一瞬の隙を突いて田丸は公園の外へ走り出した。

次の瞬間――豪快な転倒音が響く。

透明マントで姿を消していた真鍋が、絶妙なタイミングで足を引っ掛けたのだ。田丸は派手にすっ転び、地面に押さえつけられた。

「逃げて…逃げて…!」

老婆の嗄れた声が、公園中に響く。その必死さは鬼気迫るものがあり、正直、胸にわずかな憐れみが芽生える。

だが俺には後始末の術などない。こういう時、雪音がいてくれれば何とか収めてくれるのだろうが――俺は早々に諦め、老婆の叫びを背に放置することにした。

だから、地面に押さえつけられた田丸に近づいた時も、真鍋と二人がかりで煤だらけのいるベンチまで引きずっていった時も、そして田丸に中須の所在を問い詰めていた時も――

老婆はずっと近くにいて、俺の肩をしきりに叩きながら「乱暴しないでくれぇ~」と懇願してきた。やりにくいことこの上ない。声だけ聞けば、まるで俺が高齢者を虐待しているようにも響く。通報でもされたら厄介だな、と一瞬冷や汗が滲む。

だが、その心配は杞憂だった。なぜなら、先ほどまで公園にいた幼児と母親たちは、すでに蜘蛛の子を散らすように立ち去っていたからだ。

ホームレスの横で若い男二人が揉み合い、老婆が必死に止める――その異様な光景に恐れをなしたのだろう。残されたのは俺たちと煤だらけと老婆、そして取り押さえられた田丸だけ。

根気のいる尋問の末、ようやく田丸の口から情報を引き出すことができた。曰く、中須は現在行方不明であり、会社も無断欠勤を続けているという。

透明マントの紛失、透明人間による強盗事件、そして中須の失踪――偶然にしては出来すぎている。むしろ疑わしいこと、この上ない。

元上司であり、デルクス株式会社の部長・早乙女についても訊ねたが、田丸は口を固く閉ざした。仕方なく、ここで切り札を切る。

煤だらけに声を掛ける。

「……すみませんが、お願いします」

俺の一言に、煤だらけはニヤリと口角を歪めた。次の瞬間、田丸の鼻先に数年は磨いていないであろう口臭をふきかける。

「ぐっ……!」

想像を絶する悪臭に、田丸は顔を背けようともがき、悶絶した。だが、それでもなお、なお抵抗を見せるのだった。

今度は唾を吐きかけてもらった。ベチャリと顔に飛び散った瞬間、さすがの田丸も観念したらしく、力なくうなだれた。

余談だが、この煤だらけとの契約は「協力の代わりに一杯奢る」というものだ。中須から慰謝料をたっぷり貰えれば安い投資だ。

ただし問題がひとつ。あまりの臭気と不快感に田丸の顔は真っ青で、まともに口を利けなくなっていた。仕方なく、ポケットティッシュで顔についた唾を拭き取ってやると、ようやくか細い声で話し始めた。

「早乙女さんとは、ただの取引先の関係だ……!」

なおも口を濁す田丸。どうにもお仕置きが足りないようだ。

透明マントを羽織った真鍋が、みぞおちにボディーブローを一発。鈍い音とともに田丸は腹を押さえ、息を詰まらせた。

「さぁ、正直に吐け。でなければ――俺が掛けた魔法は解けないぞ」

血も涙もない、極上の拷問である。

「わ、わかった!洗いざらい話しますから……ご勘弁を!」

ようやく観念した田丸は白状した。

ドリームはデルクスから安値で商品を仕入れ、それを転売しているのだという。

「それはおかしいだろう」

俺は即座に噛みついた。

「デルクスはイベント会社であって、製造業者や卸売業者じゃない。売る物なんて……イベント用の小道具か――」

思い至る。脳裏をよぎったのは、あのやけに壊れやすかった“ルビーのネックレス”。

「つまり、イベント用の偽物を“本物”として売りさばいていたってわけか!」

「商標法違反だ!」真鍋の叫びが室内に響いた。

その時――「駄目よ、たける。そんなことしちゃ」

老婆が慌てて割って入った。痩せ細った腕で田丸を庇い、必死の形相で睨んでくる。

……この期に及んで、まだ“息子”だと信じ込んでいるらしい。

誰だよ、たけるって。そんな名前のやつ、この場に一人もいない。

馬鹿馬鹿しくて否定する気にもならなかった。

「だが、そんなこと会社が許すはずないだろ」

「ですから、あくまで個人的に売り込みに来ているんです。振込も、早乙女さんの個人口座に……」

「お前、自分が何をしてるかわかってんのか?」

「僕だって好んでやってるわけじゃありませんよ。本来の担当は中須さんだったんです。でも行方不明になったから、仕方なく僕が引き継いでいるだけで……」

――重要な情報を手に入れた。

つまり、中須と早乙女には面識があった。そして俺の個人情報も、おそらく早乙女の口から流れていたということだ。

「……“捨て駒”ってなんのことだ」

核心を突かれ、田丸は渋い顔をして口をつぐんだ。

そこで煤だらけがズイッと顔を近づける。数年は磨いていないであろう口臭が、田丸の鼻先にまとわりつく。あまりの凶悪さに田丸は目をぎゅっとつぶり、観念したように慌てて言葉を紡ぎ出した。

「い、以前……うちの経理部員が、誤って会社宛に振込をしてしまったんです。デルクスとは正規の取引もありますから、その時も普通に処理されて……。でも、その月はイベントを行っていなかったんです」

田丸は脂汗をにじませながら、途切れ途切れに説明を続けた。

「それで不審に思った経理部員が、デルクスに問い合わせてしまったんですよ。だから帳尻を合わせるために“手配ミス”に仕立てて、ありもしない取引をでっち上げたんです。その“手配ミス”の責任を背負わされたのが――捨て駒でしょうね」

……つまり、完全にしてやられたというわけだ。

あのクソ上司め!一発ぶん殴らなければ気が済まない。

「次に早乙女と会う予定は?」

「数週間先です」

そんな悠長に待っていられるか。ともなれば――今すぐにでも会社へ殴り込むしかない。

中須の住所も聞き出したところで、田丸を解放した。地獄のような拷問を終えた彼は、その場にへたり込み、震えていた。

俺は煤だらけに礼を言い、その場を後にした。

「おう、また来いよ」

真鍋は残って煤だらけに一杯奢ることになっている。

因みに老婆は、倒れた田丸に向かって、「もうあんたなんて息子じゃない。二度と顔を見せないで」と勘当を言い渡していた。どうやら、いまだに“息子”と信じているようだが……まあ縁が切れるなら結果オーライだ。

「さてと」

自らの頬を軽く叩き、気合を入れ直す。

次なる目的地は――新宿、デルクス株式会社。

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