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いたずら青年、世にはばかる  作者: 堀尾 朗
最終章「復讐」(前編)
23/36

—4—

 新宿三丁目。

ビル群の一角にそびえる株式会社ドリーム 東京本社。

その外観は、全面ガラス張りの巨大な壁が空を切り裂くように立ち上がり、夜の街の灯りを反射しては冷たく輝いていた。堂々と掲げられた立看板は、まるでこここそが夢の入口だと誇示するかのようだ。

透明マントで姿を隠した俺と矢後と真鍋は、誰に見られることもなく、鳴り物入りで夢を掲げるこの建物へと侵入した。

フロントには、受付嬢が二人。だがそれ以外に人影はなく、異様な静けさが漂っていた。

彼女たちは真正面を向いたまま、微笑みを崩さず、無駄口ひとつ叩かない。

訪問客もいないのだから少しくらい気を抜いても良さそうなものだが、まるで機械のように微動だにしない。……不気味だ。いや、こんなことを考えてしまう俺のほうが「社会不適合者」なのだと世間に言われれば、ぐうの音も出ないが。


高層ビル内部は、行き当たりばったりで突っ込む俺たちにとって目眩を覚えるほど広大だ。そこで三手に別れて中須を探すことにした。

矢後は上層階、真鍋は中層階、俺は低層階を担当する。連絡手段はスマホのチャット。声を出せる状況ではないので通話は論外、メールは手間がかかりすぎるからだ。

中須が真犯人である可能性に気がついた俺は、すぐにでも電話を掛けて問い質そうと考えた。

だが、矢後は首を横に振った。

――証拠もなしに認めるわけがない。

――それに、もし別に真犯人がいた場合、透明マントの存在を明かすことになる。リスクが大きすぎる。

慎重で理詰めの矢後に、俺はあっさり論破された。

思えば昨夜のうちに、雪音にも“第四の人物”の可能性を説いてみたのだが……。

「もし証拠が見つかったら、殺しても良いから」

そんな物騒なことを言い出したので、宥めるのに骨が折れた。


低層階は、社外の人間に開放されたフロアがほとんどだった。

大講義室、パーテーションで仕切られた商談スペース、ガラス張りのダンススタジオ――どこもかしこも「ドリーム」を連呼する熱気に包まれていた。

大講義室では、仙人のような髭を蓄えた老紳士が壇上に立ち、現社長のサクセスストーリーや夢を叶える方法を熱弁している。

「勝ち組と負け組を分けるのは、向上心の差だ!」

老紳士の声に、性別も年齢もバラバラの聴衆が神妙にうなずいていた。

商談スペースでは、スーツ姿のセールスマンがカタログを片手に、夢や金、友情、恋愛といった幸福論を語っている。曰く「幸福には理由がある。それは物の形や素材、色彩の組み合わせで決まる」のだそうだ。要はグッズを買えという話らしい。どのブースでも決まり文句のように「ドリームを叶えるために妥協はするな」と繰り返されていた。

さらにダンススタジオ。鏡張りの壁の前で人々が満面の笑みを浮かべ、発声練習のようにスローガンを連呼している。

「ドリームは諦めなければ必ず叶う!」

「昨日も今日も明日もチャンス!」

「人類は皆家族!」

一糸乱れぬコールに、薄ら寒いものを感じた。――ひねくれ者の俺には、その光景は眩しすぎた。

真鍋から「怪しい談合発見。六階応接室にて」との通達が入った。

彼は中須の顔を知らないので人違いの可能性もあったが、ともかく集結することにした。

そして案の定、中須ではなかった。だが、そこにいた人物は――俺にとって興味深すぎる存在だった。————元上司、早乙女部長。

相変わらず、偉そうにふんぞり返っている。腕を組み、股をこれでもかと開き、顎をしゃくってはご満悦。まるで悪代官と越後屋の茶番劇だ。目の前の細身の男と談笑している姿に、嫌でも視線が吸い寄せられる。

「田丸さん。今回はしっかり頼みますよ。こちらももう後には引けませんし、捨て駒も出払ってしまいましたからね」

不敵な笑みとともに放たれたその言葉に、耳がひりついた。

捨て駒――?

会社に“捨て駒”なんて言葉が存在するのか。胸の奥に嫌な引っ掛かりが残る。

談笑相手の男は「失礼致しました。今後は二度とこのようなことがないよう、経理部にも厳しく言っておきます」と頭を下げていた。

だが、そこで興味深い話は終わってしまった。あとは気の抜けたゴルフの予定調整に移り、これ以上は何も得られそうにない。

痺れを切らした矢後から「他を当たろう」との合図が届き、俺たちは再び各フロアへ散った。だが一日を費やしても、中須の姿は見つからない。成果ゼロのまま帰路につくしかなかった。

「折角有給まで取ったのに、とんだ骨折り損のくたびれ儲けだな」

隣で悪態をつく矢後を横目に、俺の胸中には別の思いが広がっていた。

―――なぜ早乙女がドリーム社にいたのか。あの「捨て駒」とは誰のことなのか。

考えれば考えるほど疑問は湧き出し、やがて一つの可能性にたどり着く――それは、俺の“不当解雇”と直結しているのではないか、ということだ。

沈む夕陽がビルの谷間を赤く染める。その色と同じように、俺の胸の内では真っ赤な感情が燃え盛っていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


 朝、目を覚ました瞬間、ドンドンと玄関を叩く音とインターホンの連打、そして雪音の声が部屋中に響き渡った。

「いるんでしょ? 出てきなさいよ!」

眠気眼のまま扉を開けると、本日も安定の不機嫌フェイスの雪音が仁王立ちしていた。

「電話くらい出なさいよ」

慌ててスマホを確認すると電池切れ。昨夜は疲れ果てて充電もせず、死んだように眠ってしまったのだった。心を込める気ゼロのまま謝罪し、用件を尋ねる。

「そんなことより――昨日、証拠は掴めたの?」

芳しくない報告をすると、雪音は「使えない」と言わんばかりに深いため息。続けざまに本題を畳み掛けてきた。

「まず一つ、うちの片付けを手伝って。拒否権はないよ。あなた達が真犯人じゃなくても、種を撒いたのは事実なんだから。それぐらい当然でしょ。それと昨日気付いたんだけど、お母さんの形見の婚約指輪が盗まれてたの。何も取られてないと思ったけど、やっぱり金目の物は狙われてたのよ。これで真犯人が見つからず、指輪も戻らなかったら――あなたのこと、一生許さないから。覚悟しといて。最後に、ニュースは見た?」

淡々と理不尽を突きつけられ、思わず面食らって反応が遅れる。

「……いや、見てない」

胸の奥に、不吉な予感が広がっていく。雪音は黙ってスマホを弄ったあと、画面をこちらに突きつけてきた。

「あなた達の状況は最悪よ」

雪音から押し付けられたスマホを覗き込む。そこに映っていたのは、昨晩都内で発生した連続強盗事件の記事だった。

――狙われた宝石店の複数店舗に設置されていた防犯カメラの映像には、奇妙な現象が映し出されていた。

ガラスケースが、前触れもなく突然ひび割れて崩壊。中の宝石がふわりと宙に浮き、そのまま店外へと飛び去っていったという。

記事の締め括りには、半ば冗談めかして「透明人間の仕業か?」と記されている。

「……で、これがどうした」

スマホを突き返すと、雪音はハトが豆鉄砲を食ったような顔をした。

「鈍感にもほどがあるでしょ」

呆れ声で返され、なおも理解できずにいると、彼女は一つひとつ丁寧に説明してきた。

もし、この強盗犯と透明マントを盗んだ犯人が同一人物だった場合――

その者が捕まれば、透明マントの存在が警察の目に触れるのは必至。そうなれば開発者は追及され、これまでの使用歴や他の違法利用まで徹底的に洗い出される。そして最悪の場合、関係者一同が「ごっそり逮捕」の未来図が待っている。

そこでようやく、背筋に冷たいものが走った。

……なるほど、最悪とはこのことか。

『都内在住の二十三歳無職、清水光亮容疑者――迷惑防止条例違反で逮捕』

そんな見出しが頭をかすめただけで、背筋に氷柱を差し込まれたような寒気が走った。

「一刻も早く真犯人を見つけなければ」

そう焦りに駆られた俺に、雪音は矢後と真鍋に相談するよう助言した。二人は既に佐伯家に集まっているらしい。ならば動くしかない。

彼女を玄関先に待たせ、俺は慌ただしく身支度を整える。

顔を洗い、歯を磨き、着替え、髪を撫でつけ、息を切らしながら玄関を開けると――雪音は隣人の老女と談笑しているところだった。

「このアパートで、普段見掛けない若い男の人を見ませんでしたか?」

彼女は、いつもの不機嫌顔とは打って変わり、柔らかく穏やかな笑みを浮かべて老女に尋ねていた。

その声色は驚くほど優しく、相手を安心させる響きがある。老女は腰を折りながらも目を細め、まるで孫に話しかけられたかのように嬉しげに頷いている。

彼女はこうして誰にでも好印象を与えてしまうのだから恐ろしい。

――だが俺にだけは、この上なく不機嫌な仏頂面を突きつけてくるのだ。理不尽極まりない。まさに七方美人。

「どうかねぇ……思い当たらんが、若いといえば息子が来たくらいかね」

腰を直角に折った老女が、ゆっくり小首をかしげた。

雪音の聞き込みは空振り――そう思った俺に、しかし小さな衝撃が走る。俺以外の若者なんてこのアパートにいない。もし別の“若い男”を見たなら、それはすなわち中須の可能性が高いのではないか。

「息子さんですか……おいくつなんですか?」

「五十五かねぇ」

若者どころか初老だ。だが、よく考えれば老婆の年齢からすれば不思議ではない。

雪音は「そうですか……」と肩を落としたが、老婆に「元気出して」と励まされ、すぐに持ち直した。

「では、もし色白の二十代後半くらいの男性を見かけたら教えてください」

「それなら私の息子かねぇ」

「……はい?」

雪音が固まった。俺だって固まる。おいこのボケ老人!二十代って言ってんだろうが、と内心で毒づく。

それでも雪音は表情を崩さず、にこやかに切り返した。

「お孫さんのことですか?」

「いいえ、息子ですよ」

「え……でも、息子さんは五十代じゃ……」

「あら、そうねぇ。不思議だわ。でも息子は優しい子でねぇ。独り身で心配だから、よく顔を見せに来るんですよ」

――からかっているのか、本気でボケているのか。俺には判断がつかない。

雪音はそこで笑顔を消し、顎に手を当てて思案顔になった。

「失礼ですが、その息子さんはどのような用件で来られたんですか?」

「フッ」

探偵気取りな態度に、俺は思わず鼻で笑った。すると雪音がギロリと睨んできて、俺は縮み上がった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


佐伯家に集結した俺と矢後と真鍋は、リビングの掃き掃除をしながら、今後の対策について話し合った。

結論――この難局を乗り越えるには、警察より先に透明マントを奪い返すしかない、ということになり、その作戦を三人で案出し合った。

「ちょっとお父さん!そんなの捨ててよ!」

別部屋から雪音の怒声が響いた。すっかりキレキャラが板に付いた彼女が吠えているということは、また佐伯さんがなにかやらかしたのだろう。

実際、先ほども「まずは床を掃除してから家具を動かそう」と段取りを決めたというのに、一人だけ本棚の整理を始めて叱られていた。掃き掃除を任せても、室内でゴルフをしているかのように箒を振り回すので、俺達にぶつけるわ、花瓶や壺にぶつけるわで、余計に部屋が荒れる始末だった。

「ごめんなぁ、ごめんなぁ……」

哀れな嘆きの声をBGMに、溜まった破片を塵取りに入れていく。

「ちょっとお父さん!これ!わたしの大事な物、勝手に捨てないでよ!んもう!」


ようやく大物ゴミをまとめ、床の掃き掃除と水拭きを終えると、リビングはがらんどうと化していた。家具は別部屋に避け、ゴミは屋外に出したためだ。それでも荒んで見えるのは、床の凹みや、壁にこびりついた黒い煤、そして何より割れた窓ガラスのせいだった。冬の冷気がヒューヒューと流れ込み、環境は最悪だ。

切りの良いところで雪音に報告すると、珍しく「休憩していいよ」と許可が下りた。ありがたくそれを頂戴し、三人で割れた窓辺に腰を下ろして紫煙をくゆらせていると、雪音がホット珈琲を持ってきてくれた。砂糖もミルクも入っていないのを確認して、俺は胸をなで下ろす。

「手伝ってくれて、ありがとうね」

その一言に、俺達男共は揃って「いえいえ」と気分を良くした。まさに小悪魔的なタイミングだ。

そこへ、佐伯さんが顔を覗かせた。

「雪音、由美子の指輪が見当たらないんだが、知らないか?」

――婚約指輪。雪音は一瞬、漫画でよくある“珈琲を吹き出しそうになる素振り”を見せて、脂汗を滲ませながら答えた。

「し、知らないよ。その辺にない?」

こっそり耳打ちすると、やはり彼女は指輪の盗難を黙っているらしかった。鈍感な佐伯さんは、ゴミ袋を漁り出したが、雪音は止めることもなく、ただ見ているだけだった。

あとで「正直に言えばいいのに」と伝えると、雪音はしょんぼりとして、珍しくなにも言い返さなかった。それだけ、あの指輪が両親にとって掛け替えのないものなのだろう。

俺にはそれ以上突っ込むことができなかった。

「絶対に見つけてね」

彼女の横顔は切実で、その瞬間――“もし俺が奪い返した指輪でプロポーズしたら、承諾がもらえるんじゃないか”なんて愚かな幻想すら、脳裏をよぎった。


お読みいただきありがとうございます。

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