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いたずら青年、世にはばかる  作者: 堀尾 朗
第4章「強引な訪問販売と詐欺は紙一重」
19/36

—6—

 告白をしたのは、彼女の方からだった。


臆病者の私は、彼女と何度もデートを重ねながらも、なかなか次の一歩を踏み出せずにいた。

初デートから一年。月に二度、多い時は毎週末のように二人で街へ出掛けた。

普通なら、とっくに脈ありと判断して告白に踏み切るのだろう。だが私は、デート中に必ずと言っていいほど小さな失敗を重ね、帰る頃には自信を削り取られてしまう。自己嫌悪に沈み、無口になるのがいつものパターンだった。

大学の友人に相談すると、「そんな調子じゃ、そのうち彼女に愛想を尽かされるぞ」と呆れ交じりに忠告された。

彼女は人気者で、恋文や告白を受けることも多い。私のような冴えない男とデートしてくれているだけでも奇跡──そう友人に言われ、苦笑いしかできなかった。

焦りを覚えた私は、意を決して彼女を夜の公園に呼び出すことにした。時刻はすでに二十一時を回っていた。

映画館のアルバイトを終えた彼女は、疲れの滲む足取りでやって来た。

しかもその公園は駅から見て彼女の家とは逆方向。自分の気の利かなさに胸の奥が痛む。

「急に呼び出してどうしたの?」

私を見つけると、彼女は小首を傾げ、ぱちりと瞬きをした。

「……実は、君に大事な話があって」

その一言を口にするだけで、心臓が暴れ馬のように暴れた。一呼吸置かなければ、倒れそうだった。

「なに?」と穏やかに促され、

「君のことがすっ……」と切り出した瞬間、怖気づく。咄嗟に「ステーキの話」を始めてしまう。

「そう。美味しいよね。それで?」

小さく笑いながら続きを促されるも、私はまたも「スノーボード」の話へ逃げ込んだ。すると今度は、「そういえばスイーツも好きだよね?」「スクーターって乗ったことある?」と、全く脈絡のない“ス”攻めが始まってしまう。

止めよう、今度こそ止めようと思っても、頭の中の単語帳が勝手にめくれ、次々「ストーブ」「スープ」「スランプ」と、雪崩のように口から滑り出す。

告白どころか、もはや早口言葉の練習か何かのようだ。

自分で自分の暴走を止められず、心の中で頭を抱えていた。

──もう無理だ。

そう思ったその時だった。

「わたし、あなたのこと好き。付き合ってください」

あまりにもあっさりとした逆告白に、頭の中で何かが弾けた。時間が一瞬止まったように、耳に入ってくるはずの夜風の音も消える。

目の前の彼女は、ほんのり頬を染め、小さく唇を結んで私を見つめていた。

「……え?」

情けない声が漏れる。返事を促すように、彼女は小首を傾げた。長い髪が肩からさらりと滑り落ち、街灯の光を受けて柔らかく揺れる。その仕草に心臓が跳ねた。

「返事は?」

潤んだ瞳でまっすぐ見上げられ、私は反射的に首を激しく縦に振っていた。


そして彼女は、そっと距離を詰め、私の頬に手を添えて──

その夜、人生初めてのファーストキスをくれた。


 交際は順調だった。

夏は海へ行き、秋は紅葉を見に登山、クリスマスにはきらびやかなイルミネーションの中を手を繋いで歩いた。まるで夢の中を生きているような日々だった。

もちろん、私は相変わらずのどんくささで、海では溺れて彼女に救われ、登山では滑って転び紅葉を散らして管理人に怒られ、クリスマスにはイルミネーションのコードを引っ掛けて周囲を真っ暗にしてしまった。それでも彼女は声を上げて笑い、すべてを許してくれた。


 やがて私は社会人となり、彼女との時間は少なくなったが、それでも毎晩電話をし、彼女は時折、私の一人暮らしの部屋を訪れて掃除や洗濯をしてくれた。

ある晩、テレビを観ながらふと尋ねた。

「どうして、僕なんかと付き合ってくれるの?」

ずっと胸の奥に引っかかっていた疑問だった。

「なんでかな……わからない」

彼女はテレビ画面に視線を残したまま、少しだけ口角を上げてそう答えた。

その声は優しいのに、どこか遠く、掴みきれない。

胸の奥に、針で小さく突かれたような不安がじわりと広がった。


 そして、二十七歳の夏。私はついにプロポーズを決意した。

給料三か月分を貯め、結婚指輪を買うための資金を用意した。

そして、さりげなく情報を引き出すつもりで、彼女に電話を掛けた。

「ねぇ? 君のお母さんの指輪のサイズって何?」

わざと何気ない風を装ったつもりだったが、声が少し上ずっていたのだろう。受話器の向こうで、彼女がふっと笑った気配が伝わってきた。

「そんなことより、欲しい物があるの。一緒に明日付き合って」

笑みを含んだ声音に、胸の内をすべて見透かされているような気がした。


翌日、有休を取って向かったのは、台東区の下町にある小さなジュエリーショップだった。

「前に偶然立ち寄って、気に入ったの」

彼女はショーケースを覗き込み、指輪を一つひとつ丁寧に試着していく。だが、手に取るのは私が用意していた予算よりも、ずっと控えめな価格のものばかりだった。

「もっと高価なものが似合うと思うけどな」

「わたしはこれが好きなの」

その言葉は揺るぎなく、結局その日、彼女は何も買わずに店を後にした。

「やっぱり私には高くて買えないわ」

その背中越しに響いた言葉が、妙にゆっくりで、わざと聞かせるような声音だった。

――ああ、これが欲しいって、ちゃんと伝えてくれてるんだな。

少し芝居がかったその健気さが、切なくも愛おしく、私は笑いをこらえるのに必死だった。


 数日後、私は一人で再びその店を訪れた。しかし、肝心の彼女が欲しがっていた指輪のデザインを失念していた。困り果てていると、前回接客してくれた女性店員が声を掛けてくれた。

歳は私と同じくらいだろうか。落ち着いた声色に柔らかな物腰、美しいが控えめなスーツ姿。ジュエリーショップの店員にしては珍しく装飾品を身につけておらず、それがかえって上品さを引き立てていた。

「こちらですよ」

そう言って差し出されたのは、0.2カラットの小ぶりな指輪。透明度の高いダイヤは、光を受けるたびに繊細な七色のきらめきを放つ。細身のプラチナリングは、無駄のない滑らかな曲線を描き、石座は低く、指に沿うよう控えめに収められている。派手さはないが、洗練された輝きが、彼女の細く白い指にしっとりと馴染む光景が、ケース越しにもありありと浮かんだ。

「大事にしてくださいね」

涼やかな笑みと澄んだ声、切れ長の瞳に宿る知性の光が一瞬きらめいた。

店員の言葉に背中を押され、私は購入を決意した。


 そして迎えたプロポーズ当日。

場所は、何度も迷った末に選んだ高尾山の山頂。眼下には夏の緑が広がり、吹き抜ける風が心地よい。

膝をつき、ケースをパカッ──しかし、勢い余って逆さに開き、指輪が土の上に転がり落ちた。

「縁起が悪い」と彼女は眉をひそめたが、すぐに苦笑して許してくれた。

私は急いで拾い上げ、土を払い、改めて差し出す。

彼女は小さく息を呑み、瞳に涙を浮かべながら微笑んだ。

「いつだったかの答え。あなたの好きなところは……」


―――――――――――――――――――――――――――――――――


スマートフォンが震えた。画面に表示されたのは、娘の名前。

耳に当てると、懐かしい声が響く。

「――お父さん。ごめんね。全部解決したから、もう帰って来ても大丈夫だよ」

五十八歳になった今も、私は相変わらず娘に支えられている。

情けないと思う反面、それを手放せない自分がいる。

……まぁ、今さら変われたところで、どうということもないのかもしれないが──。

お読みいただきありがとうございます。

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